発見記録

フランスの歴史と文学

エマニュエル・カレール『ロシア小説』

2007-06-07 06:43:39 | インポート

Romanrusse Emmanuel Carrère, Un roman russe (P.O.L, 2007)

シムノンの作品はロシア小説に比されることがある。1935年、批評家アンドレ・テリーヴは『下宿人』『情死』などを評した中で、?Ils offrent un comprimé de roman russe, à qui il ne manque que d’être diffus et tortueux.? (それはいわば圧縮したロシア小説で、ただ違うのは冗漫でもまわりくどくもないことだ)(Assouline, Simenon, ?Folio?,p.318)
この評に見られる「宿命」fatalité 「悲愴」pathétique 「自然のまま」brutなどの語彙から、テリーヴに何が「ロシア的」と感じさせるのかを推ることはできる。ロシア小説と聞いただけである風景が想起される、紋切型を承知の上でカレールの近作タイトルは選ばれた。

カレールの母が歴史家カレール=ダンコース、これは「常識」なのかもしれないが知らなかった。母方の祖父ジョルジュGeorges Zourabichviliはグルジア生まれ、ロシア革命後独立を宣言したグルジアが赤軍に占領され、一家は亡命。ジョルジュはベルリンの大学で哲学を学び五ヶ国語を話すが、フランスではタクシー運転手や露天商をやるしかない。妻ナタリーとの婚約時代に書いた手紙の、常軌を逸した饒舌、暗いエネルギーに、カレールはドストエフスキー『地下生活者の手記』を連想する。
グルジアを救おうとしなかった西欧に怨恨を抱き、民主主義を信奉せず、ファシズムに共感しながら、ユダヤ人排斥にだけは加担しない。ドイツ軍による占領下、経済部の通訳を務め、風向きが変わりだしても逃亡もレジスタンスに鞍替えもせず、1944年9月10日ボルドーで身柄を拘束されたまま消息を絶つ。
ジョルジュの生と死は長い間、家族の歴史の、大っぴらに語れない部分だった。カレール=ダンコースの欧州議会選挙立候補は、極右の日刊紙に父の対独協力を揶揄する記事が出、取りやめになる。
ジョルジュがベルリンで過ごした時期、亡命ロシア人の中にはナボコフもいた。出会うことのなかった二人だが、カレールは祖父の手紙を読み思う、すべてを高みから見下ろすダンディ、どんな逆境にあっても自らの天才を信じるナボコフこそ、祖父がそうあろうと望み、不安と自己不信から決してなりきれなかった類の人物なのだと。

祖父の物語は単独で小説に仕上げられそうだが、それだけでは「コラボ(対独協力者)」に食傷した文学愛好家を引きつけられない。第二次大戦中赤軍の捕虜になり、ロシアのコテルニッチKotelnitch村の精神医療施設に半世紀以上幽閉されていたハンガリー人の物語(カレールはドキュメンタリー映画撮影のためロシアに旅する)、同居人ソフィーとの愛情生活(近頃の「オートフィクション」の常として大胆であからさまに描かれる)、またカレールは、幼時には話したロシア語を再発見していく。これらの物語が緊密に結びあわされ、冗漫でも野暮ったくもないフランス産ロシア小説が誕生した。

シムノンの『マンハッタンの三つの部屋』は私生活を小説化した例として知られる。しかしシムノンはこの作品を、映画俳優フランソワ・コンブを主人公に、三人称の物語として書く。シムノンの小説にシムノンが現れるややこしさ(それは無限に錯綜させることができる)を、シムノンは嫌った。自伝的な『血統』さえ、少年をロジェと名づけ三人称で書かれる。

カレールは2002年夏、ル・モンドに短篇小説を発表する。書き出しは
Au kiosque de la gare, avant de monter dans le train, tu as acheté Le Monde. C'est aujourd'hui que paraît ma nouvelle, je te l'ai rappelé ce matin au téléphone en ajoutant que ce serait une excellente lecture de voyage. 
(駅のキオスクで、列車に乗る前に、君はル・モンドを買った。ぼくの小説が発表されるのは今日だ、ぼくは今朝、電話で君にそのことを思い出させ、絶好の旅の読書になるだろうと言い添えた。)
ポルノとも愛の手紙ともつかぬこの小説は、パリ発ラ・ロシェル行きTGVに乗ったソフィーが読むはずのものだった。「ぼく」は同じ時間に列車に乗りル・モンドを読んでいる人々の反応を想像する。「君」と呼ばれる女がすぐそばにいるかもしれないことに、彼ら彼女らは、いささか興奮を覚えるのではないか?
しかしソフィーは予定の時刻に列車に乗らない。きわどい、一方的な贈り物として書かれた小説を、彼女は読むことがない。短篇L'usage du ? Monde ?は「小説内小説」としてそのまま再録され、第三章を成す。

ソフィーとの間に最初からあった小さな溝は、このエピソードに明らかな「ぼく」の自己中心性、妄想癖、異様にねじ曲がった性格から、やがて修復不能になる。ソフィーの言葉? tu es vraiment tordu ?(あんたほんとに変よ)を冒頭テリーヴの?tortueux?と重ねるのは安直にすぎるが、自分の手で幸福を壊してしまうような行動に祖父ジョルジュのことを思い、「ひねくれ者の血」などと感じるとしたら、これを宿命と反復の物語にしたがる作者が悪いのだ。