発見記録

フランスの歴史と文学

ストライキ! シトロエン工場のプレヴェール

2007-05-19 08:27:48 | インポート

プレヴェール1933年の作「シトロエン」は、グループ「10月」 Octobre がストライキ中のシトロエン工場で行なう寸劇のため書かれた。人民戦線政府50周年の1986年、L’Autre Journal誌(No17)に掲載。全文は(異同のある別バージョンだが)ブログPCF Paris 14Poème de Jacques Prévert à l'occasion des grèves de 1933 

Tour_eiffel_citroen_2 Dans les sales quartiers de misère
Ce sont de petites lueurs qui luisent.
Quelque chose de faiblard, de discret, des petites lanternes, des quinquets.
Mais sur Paris endormi,
Une grande lumière grimpe sur la tour
Une lumière toute crue...
Citroën, Citroën...
C’est le nom d’un petit homme,
Un petit homme avec des chiffres dans la tête,
Un petit homme avec un sale regard derrière son lorgnon,
Un petit homme qui ne connaît qu’une seule chanson.
Toujours la même...
Bénéfice net...
Millions, millions...

貧しい、汚れた界隈に
点るのは小さな明かり
何か頼りなげで、人目をはばかる、小さなランタン、ケンケ燈。
けれども眠るパリの上
巨大な光が塔に這い登る
どぎつい光
シトロエン、シトロエン
それは一人の小男の名前
頭に数字を詰め込んだ小男
鼻眼鏡の奥で、いやな目つきの小男
たった一つの歌しか知らない小男
いつも同じ歌
純利益、
何百万、何百万・・・

多額の設備投資、世界恐慌の波及、1930年代初めには生産・取引高、利益も落ち込む中で、シトロエンは次々に新しい車を発表した。33年3月から、トラクシオン・アヴァン生産のため、ケ・ド・ジャヴェル(現在のケ・アンドレ・シトロエン)の工場の改装・再整備が始まる。しかしこの月、10%の賃金カットをきっかけに、複数の工場がストライキに入る。通常通り操業が再開されるのは5月末。

ストライキを電話で知らされプレヴェールが即刻書き上げた「シトロエン」を何部かタイプし、配り、数時間後には労働者の前で上演した。グループ「10月」は1932年から37年まで活動を行なう。中には失業者もいた。プレヴェール兄弟の他にレイモン・ビュシエール、ロジェ・ブラン、イヴ・アレグレ、マルセル・デュアメル、モーリス・バケら、後に演劇や映画の世界で名を成す人たち。36年の写真には、13歳のマルセル・ムルージの姿も。

「シトロエン」はその後1936年に「赤い鷹」(Les Faucons rouges 10~15歳の子供を集めた。別名Les Amis de l’enfance ouvrière)が再演する。工場の共産党活動家は最初この「極左」グループを怪しみ、門前払いを食わせるが、いざ上演されると大成功を収めた。これはL’Autre Journalの解説に引かれたRodolphe Prager(1918-2002 トロッキスト、第四インターナショナルについて著作がある)の証言。

しかしアンドレ・シトロエンは1935年に亡くなっている。トラクシオン・アヴァン発売初期の欠陥、賭博耽溺、銀行は赤字補填を拒否。34年には破産の申し立て、会社の経営はミシュランの手に渡る。創業者個人の戯画化が目立つプレヴェールのテクスト(カジノでの豪遊にも言及する)を、再演でもそのまま用いたのか?
エッフェル塔をシトロエンの電飾広告が飾るのも、1925年から36年まで。
好敵手ルイ・ルノーも「人食い鬼」l’ogreと渾名された。1913年にはビアンクールのルノー工場で最初のストライキ。アメリカから帰国したルノーが、フォードとテイラーのシステム導入に着手した時期。
自動車工業はこの頃、大きく姿を変える。流れ作業、従来ほど熟練を要しない単純労働は、過労や労働者の知的社会的な地位低下を招く。
労働現場の声は経営者に届かなかったのか?プレヴェールは書く、「シトロエンは耳を貸さない / シトロエンは聞いて(わかって)ない 」Citroën  n’écoute pas… / Citroën n’entend pas...  しかし1920年代初めシトロエンの工場は乳幼児預かり所や食堂など画期的な施設を備えていた。27年にはフランスの雇用者として初めて従業員に年末特別手当を与えた。数字しか頭にない眼鏡のポリテクニシアン、「人食い鬼」、これらの人物像は一体どの程度まで真実なのか。

画像はWikimedia Commons

参考書、Webページ  福井憲彦編『フランス史』(山川出版社)
La voiturette de Louis Renault. Par Pascal Galinier (Le Monde 20.12.98)
André Citroën. Par Marc Nadaud (Anovi)

PSA Peugeot Citroën - Historique

André Citroën. (Wikipédia)