Libération 記事「北朝鮮 核爆発の証拠はまだない」
(10/10/06)へのコメントから―
coztoujours psychologie
Ce n'est qu'une intuition, mais au pays de l'absurde qu'est la Corée du Nord il semble que l'objectif premier soit de montrer de paraitre... dangereux. Aussi puéril et stupide que ça paraisse, recycler quelques stocks de TNT résultant de 50 ans de guerre froide pour faire un pétard pseudo-atomique, c'est très crédible. Je trouve l'idée d'autant plus crédible que le Chine semble plutôt s'amuser des réactions occidentales. Bon, tant mieux si c'est le cas.
「心理学」 投稿者 coztoujours さん―
直感ですが、北朝鮮という不条理の国では、危険そうに見せるのが第一かと。どれほど幼稚でアホなことのようでも、50年の冷戦で貯えたTNT火薬を再利用して偽装核実験をやるくらい、十分あり得ますよ。中国は、むしろ欧米の反応を面白がっているようなんで、よけい思うんです。ま、偽装ならそのほうがいいけど。
Du fond de mon avenir, pendant toute cette vie absurde que j’avais menée, un souffle obscur remontait vers moi à travers des années qui n’étaient pas encore venues et ce souffle égalisait sur son passage tout ce qu’on me proposait alors dans les années pas plus réelles que je vivais. (Camus, L'étranger )
これまでこの馬鹿げた人生をすごすあいだずっと、未来の底から得体の知れない息吹きが、まだやってきていない歳月をとおして、ぼくのほうに立ち戻ってきて、その息吹きが吹き抜けていくと、人に何を提案されようが、いま生きているのと同様に現実味のない将来の時間のなかで、すべては平らにならされてしまう。(カミュ『異邦人/よそもの』 野崎歓訳による。ムルソーが突然、何かが切れたように司祭に「心の底をぶちまけ」るところ)
窪田啓作訳では「これまでのあの虚妄の人生の営みの間じゅう」
不条理 absurdité 本来は〈非論理的な〉〈分別を欠いた〉〈ばかげた〉などを意味する一般的な言葉だが,フランスの作家 A. カミュが《異邦人》《シジフォスの神話》(ともに1942)で,この言葉に独自の哲学的な意味をもたせ,第2次大戦後の世界に広く流通することになった。(平凡社世界大百科事典)
人力検索はてな あなたが経験した不条理を教えてください.
回答は深刻な話から、最近世の中おかしい!まで様々。
ボードレールは散文詩「妖精の贈り物」Les Dons des féesで、理屈屋には理解できない「〈不条理〉の論理」la logique de l’Absurdeを賞揚する。
説明のつかない行動に人間を駆り立てる力を主題にした「だめなガラス屋」Le Mauvais vitrierには、
J'ai été plus d'une fois victime de ces crises et de ces élans, qui nous autorisent à croire que des Démons malicieux se glissent en nous et nous font accomplir, à notre insu, leurs plus absurdes volontés.
悪戯好きな〈悪魔〉が内に忍び込み、私たちを操って、知らぬ間に彼らのこの上なく馬鹿げた望みを実現させるのだと信じずにいられなくなる、こんな発作と衝動を、私は一度ならず体験した。
訳のむずかしいabsurdeの例。バタイユ『眼球譚』(『目玉の話』として新訳が出た)では闘牛を観るシモーヌを虜にする「三つの瞬間」がある。まず牛が飛び出してくる一瞬、次に牝馬の脇腹に牛の角が深々と突き刺さる時、
...le troisième [moment], quand l’absurde jument galope à travers l’arène, rue à contre temps et lâche entre ses jambes un paquet d’entrailles aux ignobles couleurs, blanc,rose et gris nacré.(Bataille, G.- Madame Edwarda-Le mort-Histoire de l’oeil (10/18)による)
そして、猛り狂った牝馬が闘牛場を走りまわり、でたらめに後ろ足で蹴りまくり、脚のあいだから、白や赤や玉虫色に光る灰色の、おぞましい色をした腸を大量に撒きちらす瞬間。
(中条昇平訳 『マダム・エドワルダ/目玉の話』光文社・古典新訳文庫 以下引用文の訳は本書に倣う)
生田耕作訳(『マダム・エドワルダ』角川文庫)では「間(ま)の抜けた馬が不様に暴れ廻り」、生田訳は初版にもとづくので原文を確認できない。
『目玉の話』では、「よそもの性」と「不条理」が、死体を介して結びつく。バタイユの論理について行くのが大変なところで、部分的引用は問題かもしれないが。
衣装箪笥の中で首を吊って死ぬマルセル。?Quand Simone se releva et regarda le corps, Marcelle était une étrangère et Simone elle-même l’étaiit pour moi.?(シモーヌが立ち上がって、死体を眺めたとき、マルセルは私たちとは無関係なものになり、シモーヌもまた私にとって無関係なものになっていました)
?Au fond, l’absence d’exaltation rendit les choses absurdes ; Marcelle morte était moins éloignée de moi que vivante, dans la mesure où comme je pense, l’être absurde a tous les droits.?(要するに、熱狂が去れば、あらゆるものごとは不条理に見えるのです。考えてみれば、不条理な存在はあらゆることを要求する権利があり、そのかぎりにおいて、死んだマルセルは生きているときよりも私に身近に感じられました。)