発見記録

フランスの歴史と文学

「馬は人間の最も高貴な征服物である」 ビュフォンの馬 プレヴェールの馬

2006-10-04 21:36:36 | インポート

アルフォンス・アレの短篇「ザ・コープス・カー」(『悪戯の愉しみ』山田稔訳 みすず書房)では、自転車と自動車の普及が、セーヌ県「馬糞拾い人同業組合」の労働者から仕事を奪う。交通手段としての馬は死に瀕している。「そして今後は、人間の最も高貴な征服物といえば、ディヨンとブートンの考案になる、石油エンジンの三輪車ということになるのだ」
訳注に、「十八世紀の博物学者ビュフォンは、馬を「人間の最も高貴な征服物」と呼んだ」

ビュフォンの言葉は、動物好きのプレヴェールも一度ならず引用している。
童話「孤島の馬」Cheval dans une île http://users.skynet.be/sky42184/cheval.htm
の馬は、舟に乗り海に出、離れ島に住みつく。
人間に鞭打たれ、拍車を当てられ、蹄鉄を打たれ、焼き鏝で烙印を押される馬。孤島の馬は、亡命中の革命家のように、虐げられた馬が自由を求め蜂起する日を夢みる。

孤島の馬の想像の中で、えらい人の霊柩車や王の四輪馬車を引く恵まれた馬たちは、反逆しろと訴える馬に言う、”De quoi plains-tu, cheval, n’es-tu pas la plus noble conquête de l’homme ? “(何が気に食わないんだ、君、君は人間の最も高貴な征服物じゃないか)

“S’il est vrai que je suis la plus noble conquête de l’homme, je ne veux pas être en reste avec lui.”(ぼくは人間の最も高貴な征服物かもしれない、でもぼくは人間に借りを作りたくないんだ )
ビュフォンは『博物誌』で、どんな言いかたをしているのか。Gallicaのは写すのが大変だしL’encyclopédie Agoraから

La plus noble conquête que l'homme ait jamais faite est celle de ce fier et fougeux animal, qui partage avec lui les fatigues de la guerre et la gloire des combats; aussi intrépide que son maître, le cheval voit le péril et l'affronte; il se fait au bruit des armes, il l'aime, il le cherche et s'anime de la même ardeur: il partage aussi ses plaisirs; à la chasse, aux tournois, à la course, il brille, il étincelle. Mais docile autant que courageux, il ne se laisse point emporter à son feu; il sait réprimer ses mouvements. non seulement il fléchit sous la main de celui qui le guide, mais il semble consulter ses désirs, et, obéissant toujours aux impressions qu'il en reçoit, il se précipite, se modère ou s'arrête: c'est une créature qui renonce à son être pour n'exister que par la volonté d'un autre, qui sait même la prévenir; qui par la promptitude et la précision de ses mouvements, l'exprime et l'exécute; qui sent autant qu'on le désire, et se rend autant qu'on veut; qui, se livrant sans réserve, ne se refuse à rien, sert de toutes ses forces, s'excède, et même meurt pour obéir.

(人間の征服した最も高貴なものは、この誇り高く気性の激しい動物である、馬は人間と、戦争の労苦、闘いの栄光を分ち持つ。主人に負けず勇猛果敢、馬は危険を察知し立ち向かう、騒々しい武器の音に馴染み、これを愛し、求め、音に負けない熱気に燃える。馬はまた主人の楽しみを分ち持つ、狩りに、騎馬試合に、競馬に、馬は輝き、光彩を放つ。だが勇敢に劣らず従順で、熱気に逸り行き過ぎはしない。動きを抑えることを知り、導く者の手に服するばかりか、主人の望みを推し量る様子、受けとる印象に絶えず従い、馬は突進し、自制し、止まる。馬は自分の存在を捨て、ただ他者の意志によって生き、気を利かすことさえできる生き物で、すばやい精確な動きで主人の望みを表現し、実行する。望まれるだけ感じ、望まれるだけ従う。無条件で身をゆだね、何事も拒まず、全力で尽くし、精魂涸らし、従うために死にさえする。)

プレヴェールは「教育のない馬」のためboucheries hippophagiques(馬肉業者)に注をつける。もっとも馬たちは、馬食よりは―?chacun ses goûts?(蓼食う虫も好きずき)-打たれることに憤りを感じているようだ。

「フランス人は馬肉を今では食べるが、これは19世紀にはじまる(正確には再開された)風習である。ドイツの方が19世紀に先に一般化しているが、パリで許可が公布されたのは1865年である。ナポレオン1世の下で活躍した軍医ドミニク・ジャン・ラレイDominique Jean Larrayは馬肉が衛生的で滋養に富むことを知っていて、病人には馬肉のスープを処方し効果をあげ、モスクワ退却のときも、病人に馬肉のスープを与えている」(松原秀一『ことばの文化史』白水社)
一般化したのは普仏戦争のパリ篭城でやむをえず食べてからだという。ユゴーは馬肉で下痢をした。(同)

Diomede 孤島の馬は「草を少し」食べる。人食い馬も神話には例がある。「トラキア王ディオメデスはアレスの子で、旅人を捕らえて自分の馬に食わせていた。ヘラクレスはディオメデスを逆に馬に食わせてしまい、馬は生け捕りにした」(Wikipedia  絵はギュスターヴ・モローによる) そしてプレヴェールの馬たちも、「最初にぼくたちをぶつやつは噛む 次にぶつやつは殺す」と威嚇する。

ジョルジュ・バタイユは「正統的な馬」(『ドキュマン』片山正樹訳 二見書房)で古代ギリシアの貨幣に描かれた馬の端正な美しさを、それを模倣したガリアの貨幣の、バロック的に歪められた馬に対比する。ギリシアの理想を体現する、最も気高く美しい動物、馬。「不思議な偶然の一致で、アテーナイを産地とする馬は、たとえばプラトンの哲学やアクロポリスの建築と同じ資格で、理想の完成された表現の一つ」なのだ。(傍点を太字で代用)
ピカソ『ゲルニカ』の「傷ついた馬」()は、20世紀の美術を代表する馬にふさわしい。

かつて人間と馬は戦場の友だった。ビュフォンが讃えたように人馬が文字通り一体となって戦う光景が、そこでは見られたはずだ。

ガスカールが『けものたち』や『人間と動物』で書いたように、第ニ次大戦の頃にもフランス軍は馬に依存していて、多くの馬が無残に死ぬ。

プレヴェール『パロール』の「できごと」Événementsでは、トルビアック通りのタクシー運転手が集まる店で、運転手が馬のエスカロープを食べる。
もっとも馬肉料理は現在のフランスでは「レトロでマイナー」であるらしい。
食べ物 新日本奇行 http://weekend.nikkei.co.jp/kiko/20040128so71s000_28.html
フランスで山菜を探す【1. 日本人は雑食人種なのか?】フランスのブルゴーニュからhttp://plaza.rakuten.co.jp/bourgognissimo/diary/200607050000/