Boise on my mind

ウェブサイト「Boise on the Web アイダホ州ボイジー地域情報」の作者短信、運営裏話など

米ドル建て小切手の日本での換金

2005-05-31 | アメリカ生活・文化・社会
仕事柄、外国に送金したり、逆に外国からの送金を受けたりすることがときどきありますが、銀行での手続きはけっこう面倒なものです。
今回、3月末のボイジー訪問(研究集会出席)に関連して米ドル建て小切手を受け取ったので、換金方法をいろいろ調べたついでに、私自身の今までの小切手換金の実例を記しておきます。

(0) 一般論
ウェブでいろいろ調べてみると、日本国内の銀行で外国小切手取立を依頼したときの銀行の対応はまちまちのようで、手数料や所要日数にかなりのばらつきがあるようです。また、一般的に小額の外国小切手は、不渡りなどのリスクを避けるためか、単に行員が面倒な手続きを嫌うのか、「なるべく扱いたくない」ようにも見受けられます。
ちなみに、「外国小切手 換金」などのキーワードでウェブ検索をしてみると、オンラインカジノ関係のページがたくさん出てきます。

(1) 1998年8月:三和銀行中もず支店
口座を開設した直後に小切手を持ち込みましたが、快く対応してくれました。手数料は前払いで2100円。1ヶ月ほどで入金されました。

(2) 2000年6月ごろ:北見信用金庫東支店
信用金庫の場合、外国小切手取立は信金の元締めの「全信連」を通じて行うとのこと。支店自体が外国小切手の取り扱いに不慣れで、いちいち本店に電話とファックスで問い合わせながらのやりとりとなりました。手数料は前払いで、かなり安かった(1000円ぐらい?)と記憶しています。2ヶ月ぐらいで入金されました。

(3) 2002年7月ごろ:北見信用金庫本店
担当者が面倒がったのか、「全信連を通すので日数がかかります。向かいの北洋銀行か北海道銀行に持ち込まれてはいかがですか」との返事だったので、頼むのをやめました。

(4) 2002年8月:住友銀行千里中央支店
(3)で依頼しようとした小切手を持ち込みました。行員は慣れた様子で手際よく手続きしてくれました。手数料がとても高く、5000円近く目減りしました(入金金額から差し引き)。入金までの期間は2ヶ月ほど。

(5) 今回
今の居住地の近くに口座を持っている銀行がなく、また、外国為替を扱っている銀行支店そのものが少ないので、ウェブで見つけたリンクセンスという小切手換金代行業者に依頼しようと思っています。手数料は1000円+振込手数料(入金金額から差し引き)、入金までの日数は100日。小切手換金代行業者はほかにもありますが、個人ウェブサイト(特にオンラインカジノ関係)などの評判を見ると、リンクセンスはかなり好評のようです。

書くことは考えること

2005-05-29 | ウェブサイト運営論
以前、「完全主義」と題してウェブサイト運営論を記しましたが、Mercer Co-op NJ中部生活情報サイトを運営しているよしみさんの完全主義は、並大抵ではありません。「きょうのつぶやき: あぁもう」では、よしみさんが取り組んでいるガイドブック改訂版執筆の苦労を語っていますが、いやはや恐れ入りました! アメリカ生活・地域情報関係の個人ウェブサイトは数え切れないほどありますが、いったい、そのうちのどれだけが、よしみさんほど徹底した完全主義で作られているでしょうか。

中でも、よしみさんのウェブサイト運営・執筆活動について、私が最も敬服するのは、「書くことに対する真摯さ」です。それも、単に「書くこと」でなく、特に「読んでもらうために書くこと」に対して、です。その真摯な姿勢は、「きょうのつぶやき: 物書きという人」に顕著に表れています。

ウェブサイトやブログの文章というのは、他人に読んでもらうために書くものです。情報提供を目的とする記事であれば、その文章は必要な情報を的確に伝えるための文章でなければなりません。意見表明や評論を目的とする記事であれば、事実の正確な把握、冷静な立場での論点整理、そして理路整然たる意見陳述がなされなければなりません。
いずれにしても、ただ書き手が好き勝手に書いただけでは、他人に読んでもらうための文章にはなり得ません。「読んでもらうために書く」ためには、その準備として、まずは情報の収集、分析、整理を行い、そのうえで自分の意見や著述の方針を固め、そして最後に、読んでもらうための「適切な作文」を行わなければなりません。

この一連の「書く」ための作業で、最も労力を費やすのは、「考える」ことだと思います。その意味で、私は「書くことは考えること」だと思っています。

個人ウェブサイトやブログの文章でも、新聞・雑誌・文芸書などの文章でも、それを書いた人がどれほど「考えて書いたか」ということは、ちょっと読めばすぐにわかります。そして、考えられずに書かれた文章というのは、すぐに読む気を失います。逆に、書いた人の「考えの深さ」が伝わってくる文章に出会ったときには、読むことに熱中し、そして、読み手である自分自身も、そのテーマを深く考え始めます。
私が「きょうのつぶやき」の同じ記事にしつこく言及し、トラックバックを送り続けているのはなぜか? それは、よしみさんの文章には「考えの深さ」があり、読み手として考えさせられることがあまりにも多いから、そして、「物書きという人」に、よしみさんの「考えの深さ」が特に強く表れていると思ったからです。

私は、ウェブサイトでもブログでも印刷媒体でも、そういう「考えの深さ」のある文章をこそ読みたい、というより、自分が読むかどうかは別として、「考えの深さ」のある文章が世の中に増えてほしいと願っています。
現実の個人ウェブサイトやブログの世界はどうでしょうか。残念ながら、真剣に考えて書かれた文章で構成されたものはごく一部で、書き手が好き勝手に書き散らかしているだけのウェブサイトやブログがあまりにも多いと感じています。ブログの流行とともに「ブログ=個人日記・私生活露出」という認識が広まっていることで、「書き散らかし」の傾向はますます強まっているように思えます。
よしみさんは「物書きという人」で、
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人様の前に文章を出す限りは、もちろん表現や内容には十分気をつけてはいましたが、
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と、当然のようにさらっと述べていますが、その意識すら欠如したウェブサイト・ブログ作者さえ、あまりにも多いと思っています。

もうひとつ重要な点は、文章を公表することの「影響力」を意識する、ということです。情報提供であれ意見表明であれ、ウェブに公表された文章は、公表された直後から、そのテーマに対する影響力を持ち始めます。同時に、その文章に対する書き手の「責任」が発生します。書き手がこの「影響力」と「責任」を意識しているなら、ウェブに公表する文章は考え抜いて書くはずで、生半可な気持ちでは書けないでしょう。
「影響力」「責任」という考えは、「物書きという人」の
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この数ヶ月で私は、好きなように書くことと、物書きとして書くことは、同じネット上に文章を出すとしても全く違うことだと思い至るようになりました。…(中略)…文章を書くことは簡単なことだけど、ことばの力を感じつつ文章を書くことは単に書くことと全く異なる作業であり、自分にとっても他の人にとっても本当にすごい力となることを、知ったのです。そして私は、ごくプライベートなことは、自分のために、ノートに手書きで書くようになりました。これは自分のさまざまな思いを昇華させ、自分を深く知り、癒すためです。一方たんぽぽなどで文章を書くときやネットに文章を書くときは、外にいる読者を意識し、一つの作品として大切に文章を書くようになっていました。
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という一節にも表れていると思います。

私が「あぁもう」の文中で注目したのは、
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やればやるほど、調べないといけないことや書かないといけないことがでてきて、アリ地獄状態なのです。だからときどき書く時間があっても、書き始めてからの苦しみに恐れおののいて、なかなか手がつけられないときもあります。
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という一節です。「書き始めてからの苦しみ」とは、まさに、「考えて書く」ことの労力の膨大さであり、そして、「書くことの産みの苦しみ」でもあると思います。
よしみさんが書くことに対して真摯な姿勢を貫いているから、そして、産み出そうとするものが大きいからこそ、その苦しみに直面しているのだと思います。

Boise on the Web 作者としての自戒もこめて、世間のウェブサイト・ブログ作者の皆さんに問いかけます。
これほどまでに真摯に考え抜いてものを書いたことがありますか?
書くことの産みの苦しみを味わったことがありますか?
自分が書いて公表した文章の「影響力」と「責任」を自覚していますか?

「ボイジー~成田ノンストップ便就航へ!」補注(その2)

2005-05-27 | ウェブサイト運営裏話
元記事はこちら

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デルタ航空営業部の広報担当者は、「当社の国際線戦略において、成田は最も重要な拠点のひとつ。第2滑走路供用開始は、他社に後れをとっている日本路線で巻き返しを図る絶好のチャンスだ。ソルトレークシティ冬季オリンピックに間に合わなかったのは残念だが、日本と韓国でのサッカーワールドカップもあり、日本路線の充実は今後ますます重要になるだろう」と話し、成田への新規路線開設の意義を強調した。
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これは大嘘です(^^;)。アメリカから成田への路線は、「以遠権」(日本~アジア各地の区間だけの乗客を乗せることができる、日米間の航空協定上の特権)を持っているユナイテッド航空とノースウェスト航空の2社が牛耳っていて、デルタ航空が「巻き返しを図る」余地はありません。デルタ航空はむしろ、同じアライアンス(スカイチーム)のメンバーである大韓航空との提携を重視しているため、デルタ航空にとっての「重要な拠点」は成田ではなくソウル(インチョン)のはずです。

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「ボイジー空港は空軍の飛行場として造られただけあって、設備は申し分なく、滑走路の長さもMD11型機が日本に向けて離陸するのに十分余裕がある。…」
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現在のボイジー空港が空軍の飛行場(B-29爆撃機の出撃基地)として戦時中に建設され、そのために滑走路が長いことは事実です。燃料満載のMD11の離陸滑走距離を満たすかどうかまでは検証していませんが、さすがに、これが明らかに不可能なら、私もこのネタ自体をあきらめるか、あるいは、滑走路延長工事をストーリーに組み込まなければなりません(笑)。

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ボイジーでヒューレット・パッカード社との共同開発に携わるキヤノンの社員は、「仕事で日本とボイジーを頻繁に行き来する私たちにとって、成田ノンストップ便は大助かり。今まではサンフランシスコかシアトルで乗り継いでいたが、今後は迷わずノンストップ便を利用するだろう。早くデイリー運航になってほしい」と話した。
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このネタに現実味を持たせるためには、日本人在住者へのインタビューは欠かせないでしょう(笑)。それで、HP・キヤノン関係に着目したわけです。

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他の航空会社の反応は冷ややかである。…
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そりゃそうでしょう(笑)。冷静に考えたら、この計画が無茶なのは明らかですから。

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一方、ユナイテッド航空を中心とする航空連合「スターアライアンス」の一員である全日空の関係者は、「ハイテク産業を通じたアイダホ州と日本との結びつきには当社も注目している」と話し、デルタ航空の新規路線への対抗策として、ユナイテッド航空運航便に全日空の便名を付与する「コードシェア」の対象にサンフランシスコ~ボイジー線を加えるよう、ユナイテッド航空に申し入れていることを明らかにした。
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これはもちろん作り話なのですが、「このぐらいの施策なら実現してもおかしくない」というつもりで、ちょっと願望をこめて書いてみました。実際、アメリカ東海岸のローカル線(USエアウェイズ運航便)には、ANAコードシェア便が多数設定されています。

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「成田へのノンストップ便就航は、私たちにとって願ってもいないチャンス。成田空港の出発案内にニューヨークやロサンゼルスと並んで『ボイジー』の文字が現れるのは画期的なことだ。
(中略)
まずは、6月のボイジーリバーフェスティバルに向けて、日本人向けの観光キャンペーンを積極的に行い、ボイジー・アイダホ州の魅力をアピールしたい」と語り、日本からの観光客の誘致に意欲を示した。
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このコメントはなかなか振るっているでしょう(笑)。書いた私自身も気に入っています(自画自賛)。

…と、ここまでで、めいっぱい「夢を膨らませる」ストーリーを語っておいて、最後に
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日本語でボイジーの観光情報を提供する唯一のWebサイトである「Boise on the Web アイダホ州ボイジー地域情報」の作者には、早くも観光局からキャンペーンへの協力を求めるメールが寄せられている。
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と、オチをつけたわけです(笑)。ここまで読んで騙されかけた人も、この一文を読んで気づいてくれる、と期待したんですけどね…

「ボイジー~成田ノンストップ便就航へ!」補注(その1)

2005-05-27 | ウェブサイト運営裏話
細かいことですが、「直行便」でなく「ノンストップ便」という言葉で統一します。航空業界の用語では、「直行便」は「便名は変わらないが途中着陸する」場合を含むことがあるので。

元記事はこちら

記事全体の文体は、新聞や雑誌の記事風にしてみました。

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デルタ航空は4月1日、日本行き国際線の新規路線として、ソルトレークシティ~ボイジー~成田線の開設に向けて準備を進めていることを明らかにした。これによって、ボイジーから成田空港へ、ノンストップの国際線フライトで行けるようになる。
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日付はもちろん「4月1日」です。
ユナイテッドやノースウェストでなく「デルタ航空」を選んだのは、マイナーな航空会社のほうが現実味があるかもしれない、ということもありますが、何より「ソルトレークシティをハブにしている」という理由が最も大きいです。これについては後述。

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運航開始日は未定だが、成田空港の第2滑走路が供用開始される4月18日以後、できるだけ早く運航を始めたいとしている。
(中略)
しかし、ソルトレークシティ冬季オリンピック前後から需要が回復しつつあり、また、4月18日に成田空港の第2滑走路が供用開始されて発着枠が増えることから、同社はアメリカ西部から成田への新規路線を開設することにした。
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このネタを思いついたきっかけのひとつが、2002年4月18日の成田空港第2滑走路供用開始でした。これと、ソルトレークシティ冬季オリンピック、日本・韓国サッカーワールドカップ(後述)がちょうど重なったので、ネタとして盛り込みました。

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機材は同社がソルトレークシティ空港に保有しているMD11型機を使用する。客席はビジネス・エコノミーの2クラスで、座席数はおよそ300席。
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デルタ航空が保有している国際線機材の機種は調べて書きました。座席数までは調べなかったので、「およそ300席」というのはあてずっぽうです(^^;)。

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所要時間はボイジーから成田へは11時間程度、成田からボイジーへは9時間程度になるとみられ、
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成田~サンフランシスコ便などの所要時間をもとに想像して書きましたが、ちょっと見積もりが甘かった(短すぎた)かもしれません。

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当初は、同社の主要なハブ空港であるソルトレークシティから成田へのノンストップ便を計画したが、ソルトレークシティ単独では集客面で不安があることから、アメリカ北西部のいずれかの空港に寄港して乗客を集める案が浮上した。そこで、航路上の寄港地として、ハイテク産業の拠点として急速な経済発展を遂げていて、しかも日本とのつながりが近年ますます強まっているボイジーに白羽の矢が立った。
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デルタ航空を選んだ最大の理由がここにあります。ボイジー~成田ノンストップ便が「もしも」実現するとしたら… という可能性を(無理を承知で)考えるなら、それはやはり「他空港発着の便の寄港地になる」ことだろう、と思ったのです。それで、成田への航路上にボイジーが位置するような出発地として、自然に思いつくのはソルトレークシティ、そうなると運航会社はデルタ航空! となるわけです。
もっとも、ハブ空港発着の長距離国際便がハブでない空港に寄港するのは、どう考えても不合理で、航空会社の路線戦略上あり得ません(笑)。

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現在、ボイジー空港ターミナルは拡張工事が進められているが、国際線就航の計画を受けて、新ターミナル1階の到着口にCIQ(税関・入国審査・検疫)の施設を整備するための設計変更に着手した。新ターミナルが完成するまでの間は、現在のターミナル1階の手荷物受取所付近を改装し、CIQの施設を設置して対応するとしている。
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これに関連して、ちょっと気になるのは、ボイジー空港ターミナルの1階があまりにも広々と設計されていて、特にレンタカー会社カウンター付近はガラガラだということ。将来の拡張を見越しているのでしょうが、あのあたりを改装すれば、CIQ施設ぐらいは楽に増設できそうです(笑)。
CIQの問題を簡単にクリアするために、ソルトレークシティ→成田のみボイジー経由にして、成田→ソルトレークシティはノンストップにする、というストーリーも考えられるのですが(アメリカは基本的に出国時のパスポートコントロールを行わない)、それでは面白くないので、CIQ体制作りもストーリーに組み込みました。

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CIQの要員については、現在ボイジー市と関係省庁との間で協議が行われている。当面は週3便の運航にとどまることから、運航日に限ってポートランドまたはソルトレークシティから派遣する案が有力であるが、将来のデイリー運航に向けて、空港内に常設の事務所を設置する案も検討されている。
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これは、あまり根拠はありません(^^;)。ソウルから週3便の定期便が乗り入れている米子空港では、入国審査官が運航日に限って鳥取から派遣されているので、それからの連想です。

長くなるので、続きは次の記事で。

「ボイジー~成田ノンストップ便就航へ!」補注(説明)

2005-05-27 | ウェブサイト運営裏話
3年前(2002年)のエイプリルフールネタとして、Boise on the Web に「ボイジー~成田ノンストップ便就航へ!」という表題の「お楽しみ記事」を載せました。
もっとも、これは「エイプリルフールで読者を騙して楽しむ」という意図ではなく、「もしも…」の話として、99%のジョークと1%の願望をこめた「夢物語」として綴ったもので、むしろ、「何バカなこと言ってんだ」と笑って読んでもらうことを想定していました。
ところが、これを載せた直後に、少なくとも1名の読者がコロッと騙されたことが判明。最初から騙す意図であれば「してやったり!」と喜ぶところですが、私としては想定外の反応だったので、「あらら、困ったなあ」というのが正直な感想でした。

さらに、3年もたった今になって、新たに騙された人がいたことが判明しました。こうなると、騙した張本人の私も、さすがに「責任」を感じてしまいます(^^;)。

それで、少々「言い訳がましい」ことを承知で、あえて「ボイジー~成田ノンストップ便就航へ!」の「種明かし」を試みます。騙す意図はなかったとはいえ、「もしや…」と思わせる仕掛けをいくつか盛り込んでいるので、それを明らかにする、という意味で、元記事への「補注」として書くことにします。

長くなると思うので、「補注」そのものは次の記事で。

トラックバック機能の本質 --- 「言論ツール」としてのブログ

2005-05-21 | ウェブサイト運営論
先ほどの記事で「トラックバック=言及自己申告」という見解を述べたついでに、ブログのトラックバック機能について、私の考えを述べておきます。

私は、ブログの本来の姿は、「日記ツール」ではなく「言論ツール」だと考えています。そして、トラックバックという機能は、ブログを言論ツールとして捉えたときに、最もその本質がはっきりします。

ブログAのライターa氏と、ブログBのライターb氏が、それぞれ自分のブログに自分の意見を投稿し続け、それぞれの「論陣」を張っているとします。
あるとき、b氏はブログAに載せられたa氏の記事を読み、a氏の意見に反対する感想を持ちました。
そこで、b氏はどうやってa氏の記事に対する反対意見を表明するか? ひとつの方法は、ブログAの当該記事に反対意見をコメント投稿すること、そして、もうひとつの方法は、ブログBに反対意見を載せて、ブログAの当該記事にトラックバックを送ることです。
後者の方法が前者より優れている点は何か? それは、b氏が自分のブログBに意見を表明することによって、a氏に対する意見表明と、b氏自身の論陣の強化が同時になされることです。同様に、a氏がb氏への再反論を行うときにも、ブログAに再反論の意見を投稿し、ブログBにトラックバックを送ることで、b氏への再反論とa氏自身の論陣の強化を同時に実現できます。
そして、議論を追ってブログを読む第三者にとっても、すでに張られているa氏とb氏の論陣から、両者の基本的立場を知ったうえで、議論を観察することができるというメリットが生じます。
さらに、意見表明を「相手の場所」に乗り込んで行うのではなく「自分の場所」で行うことで、発言者は自分の発言により慎重になるでしょう(その発言も自分の論陣の構成要素になるのですから)。そのことによって、議論の過熱が抑制され、健全で正々堂々たる議論が行われることが期待されます。トラックバックによる意見交換では、某掲示板のような罵詈雑言の応酬になることはまずないでしょう。

そもそも、多くのブログツールにおいて、コメントとトラックバックは明らかに異なる性格づけがなされています。コメントは基本的には「短い」メッセージの投稿を想定していて、本格的な意見表明を行う場としては適切ではありません。それに対して、トラックバックなら、相手のブログには「私の意見はここに書いたぞ」というポインタだけ置いて、自分の意見を思う存分「自分のブログで」披瀝することができるのです。(逆に、記事に関する質問、ミスの指摘、賛意表明のメッセージなどには、コメントのほうが適しています。)

マスコミなどの論調では「ブログ」=「個人日記」という見方が主流のように思えますが、私はあえて、「ブログは日記でなく言論ツール」という立場を明確にします。そして、トラックバックという機能こそが、言論ツールとしてのブログの本質を最も顕著に表していると考えます。

ここで述べた「トラックバックの本質」に鑑みれば、トラックバックスパム、すなわち、当該記事への言及を伴わないトラックバックが、いかに「許しがたい」行為であるかがはっきりするでしょう。私が先ほどの記事のタイトルに「怒り!」という言葉を使った理由は、まさにこの点にあります。

ついでに言うと、「トラックバック=言及自己申告」が私の立場ですが、「トラックバック=リンク自己申告」である必要はないと考えています。トラックバックが伝達するメッセージはあくまで「言及しました」であって、トラックバック元記事の中にトラックバック先記事への「リンク」が存在するかどうかは本質的ではない、という考えです。
もっとも、WWWの意義はハイパーリンクにあるのですから、言及するからにはリンクするのが自然だと思いますけどね。

「ウェブサイト運営論」というより「ブログ運営論」になってしまいましたが、新たにカテゴリを設けるほどでもないでしょうから、このまま「ウェブサイト運営論」でいきます。

無意味トラックバックに怒り!

2005-05-21 | ウェブサイト運営論
数日前にこのブログ(Boise on my mind)の更新情報を goo ブログに送信する設定をしましたが、その後のわずかな期間に、記事内容に無関係なトラックバックを複数回受けました。その一部は明らかに「いたずら」です。

はっきり言います。記事内容に無関係なトラックバックを送信するのは「迷惑行為」です。この記事を読んだブログ作者は、無意味なトラックバックの送信を厳に慎んでください。(もちろん、このブログに対してだけではなく、あらゆるブログに対して、です。)

トラックバックとは「言及自己申告」、すなわち、「この記事に言及しましたよ」と知らせることを意味します。記事Aに記事Bからのトラックバックが送られていれば、当然、記事Aを投稿したライターも、記事Aを読んだ第三者も、「記事Bは記事Aに言及している、ということは、記事Bには記事Aに関連する情報があるはずだ」と期待して、トラックバックをたどって記事Bを参照します。
ところが、その期待に反して、記事Bは記事Aに一切言及していない、これは何たることか! まじめに記事Aを記したライターばかりでなく、まじめに記事Aを読んでトラックバックを見つけた読者をも欺瞞する行為です!

トラックバックの実験をしたいなら、「トラックバック練習板」で存分にやってください。ブログの宣伝をしたいなら、それ相応のまっとうな告知手段を使ってください。いたずら、練習、宣伝などの目的でトラックバックを送ることは、堅くお断りします。

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…と、ちょうどこの記事を書いた後に、goo スタッフブログの記事「トラックバックスパム・規約違反ブログのご連絡窓口を設けました」を見つけました。やっぱり goo さんもトラックバックに関する迷惑行為の存在を認識して、きちんと対応してくださるんですね。心強いです。

《作者短信》「小金稼ぎ」の大学通いにはまってます

2005-05-20 | 作者短信
以前の記事でちょっと言及しましたが、今年4月から、とある私立大学のアルバイトで小金を稼いでいます。
この仕事は、とてもやりがいがあるのですが、真剣に取り組もうとするときりがなく、かなり疲れます。それでも、自分自身がこの仕事に対する能力と適性を人並み以上に持っているというプライドと、今の仕事に取り組むことが今後の就職活動に必ずプラスになるという信念ゆえに、精力的に取り組んでいます。
ちなみに、今やっている仕事のひとつは、自らすすんで引き受けた無報酬のボランティア。「小金稼ぎ」にすらならない仕事で、わざわざ気力の消耗を早めている気がしないでもありません。でも、この仕事は、給料をもらっている部分の仕事をより充実させるためにぜひ必要だと考えていますし、自分自身のためにも(短期的には、就職活動のためにも)なると信じていますので、引き受けたことに後悔はありません。

本業の研究活動や、Boise on the Webやこのブログの執筆活動など、いろいろやりたいことはあるのですが、なかなかそのための精神的余裕ができません。まずは、今の仕事のペースをつかんで、余裕をもって仕事をこなせるようになりたいと思っています。

《本》世にも美しい数学入門

2005-05-18 | アカデミック
世にも美しい数学入門 ちくまプリマー新書
藤原 正彦 (著), 小川 洋子 (著)

もうちょっと うだうだ帳: うつくしいもの」で紹介されているのを見つけたので、記録しておきます。
藤原氏の著作はまだ読んだことがなく、Amazon のレビューでも良書かどうか判断つきかねるのですが…

リンク先のブログ記事を読んで、ふと思い出したことがあります。
人づての人づてのそのまたうろ覚えで、正確なセリフは覚えていないのですが、ある天才数学者が、自分の子供に、自分のしている仕事を「人の心の中にしかない、目に見えない美しいものをつくっているんだ」と語った、というエピソードです。
数学は自然科学の一部とみなされることが多いですが、私は、「自然科学は人間の外部に存在する世界を研究する学問、数学は人間の理性に内在する世界を研究する学問」と思っています。

そういえば、私自身も先日の記事に、大見栄を張って
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学問は芸術です。中でも数学は最高級に属する「芸術的な」学問です。
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なんて書いてしまいました。いや、実際そう思うのですが、自分がそれに値する芸術的な仕事をしているか、と我が身を振り返ると… まだまだ修行が必要ですね。

相互不干渉主義

2005-05-18 | ウェブサイト運営論
今回は、「狭く深く!」の記事の最後で触れた「相互不干渉」について、私の考えを述べます。

まず、議論の前提として、すでにさんざん語り尽くされた「リンクは自由!」の考え方を確認しておきます。
そもそも、WWW (World Wide Web) とは何か、それは強いて日本語で言い表せば「相互参照情報網」、すなわち「参照」を自在に行うためのシステムなのです。WWWでアクセスできる情報というのは、別のWWW上のドキュメントから参照されるのが当たり前、むしろ、WWWに情報を載せること自体が「どんどん参照してください!」と意思表明しているのと同じことなのです。

そのうえで、私がここで主張するのは、個人ウェブサイト相互間の「棲み分け」「リンク」そして「相互不干渉」です。
すなわち、テーマが近接するウェブサイトが並存する場合や、すでに存在するウェブサイトのテーマに近接するテーマを設定して新たにウェブサイトを作る場合には、

1. それぞれのサイトがカバーする情報の範囲が重ならないようにする(棲み分け)
2. 自分のサイトの情報に関連する情報が相手のサイトにある場合は、リンクによって参照する(リンク)
3. 相手サイトがカバーする範囲の情報については、自分では情報提供を行わない(相互不干渉)

という方針でサイトを運営すべきである、ということです。
以下、1~3 のそれぞれを詳しく述べます。

1. これは、「狭く深く!」で述べたことと同じです。すでにWWW上に存在するウェブサイトの情報と重なる情報を提供するのは、全体の情報量を増やすことにつながらず、労力と資源の無駄です。それぞれの個人ウェブサイトが価値を発揮するためには、それぞれに違った情報を提供しなければならず、そのためには、近いテーマを扱うサイト同士の「棲み分け」がなされていなければなりません。

2. 繰り返しますが、WWWで参照可能な情報というのは、「参照する/されるのが当たり前」です。だから、自分のサイトの守備範囲外だけれど、自分のサイトの情報に関係する情報は、どんどんリンクによって参照すべきです。
逆に言うと、リンクを自由に行ってよいからこそ、自分ひとりで広い範囲をカバーしなくてよい、自分は狭い範囲に集中して、範囲外の情報はリンクによって堂々と他人に依存できる、すなわち「棲み分け」が可能になるのです。

3. これが私の主張の核心なのですが、「棲み分け」を有効に機能させるためには、他人のウェブサイトがカバーする範囲に「干渉」すべきでない、すなわち、他人のウェブサイトの守備範囲に属する情報を自分が持っていたとしても、むやみに自分のサイトの守備範囲を広げて自分でその情報を提供しようと考えてはいけない、その領域は潔く相手に譲るべきである、と考えています。

個人ウェブサイトの並存によって有効な情報提供がなされるようにするためには、境界領域で「競合」してはいけないのです。個々の境界領域で「そっちはあんた、こっちはあたし」という暗黙の境界線をすばやく画定してしまって、「そっち」について自分が情報を持っていたら、惜しみなく「あんた」に与えて、「あんた」のウェブサイトに任せてしまえばよいのです。逆に、「こっち」については、堂々と「あんた」に情報提供を要求すればよいわけです。
「相互不干渉」の立場は、個々のウェブサイトのコンセプトを明確にし、テーマの散逸を防ぐうえでも重要だと考えます。(「テーマの散逸を防ぐ」については別記事であらためて論じます)

Boise on the Web の場合、「こっちはあたし」として主張するのは、

1.ボイジーの基本情報、都市紹介
2.ボイジーおよび周辺地域の観光情報

です。そして、「そっちはあんた」として潔く放棄するのは、

1.在住者のための生活関連情報
2.留学情報
3.アイダホ州一般の情報・ボイジー以外の都市・地域の情報

です。
「そっち」をカバーするウェブサイトが充実するのは、まさに私の望むところであり、私は干渉する気はありません。その一方で、「こっち」については、Boise on the Webと競合するのではなく、Boise on the Webの該当部分に自由にリンクしてくださるか、あるいは、Boise on the Webに情報をお寄せいただいて、Boise on the Webを通じた情報提供に協力していただきたいと願っています。
私が主張する「相互不干渉」とは、そういうことです。

オーバーブッキングの話

2005-05-17 | 旅行・交通
アメリカ航空会社の国内線・国際線では、話としてはよく聞くのですが、自分がそれに出くわすことはありませんでした。
今年3月のボイジー訪問時、ノースウェスト航空成田→ポートランド線(3月25日/NW6便)で初めて「オーバーブッキングによる降機ボランティア募集」の機内アナウンスに出会ったので、記憶を頼りに記しておきます。

ボランティア募集数は1名。最初のオファーは「ノースウェスト航空ロサンゼルス経由に振り替え、成田→ロサンゼルスはビジネスクラス、ロサンゼルス→ポートランドはエコノミークラス」でした。ビジネスクラスへのアップグレードは魅力的ですが、私はボイジーに早く到着したかったので、このオファーは受けられませんでした。
この条件ではボランティアが現れなかったらしく、しばらくして、「最終目的地がロサンゼルスの人が対象、ユナイテッド航空成田→ロサンゼルス直行便に振り替え、ノースウェスト航空アジア内無料航空券進呈」というオファー。この条件でボランティアが現れたのか、しばらくしてドアクローズし、出発しました。

帰りの3月31日NW5便は、満席ではありましたがオーバーブッキングはなく、すんなりと出発しました。

私は海外渡航時はたいてい一人旅なので、状況しだいではボランティアとして名乗り出るところですが、そういう経験は今のところありません。
日本国内線では、ボランティアの募集に応じたことが一度ありますが(チェックイン時)、結局予定の便に搭乗できました。日本の航空会社の場合、ボランティア不足を警戒してか、少しでも座席不足の懸念があれば、すぐにボランティアの募集を始めてしまうようですね。

ボランティア募集とは違いますが、ユナイテッド航空の成田~ソウル線で、往復ともビジネスクラスに無償アップグレードされたことがあります。たぶん、アジア内のいわゆる「以遠権」路線では、アップグレードで調整することを前提に大幅なオーバーブッキングを行っているのでしょう。

「家」のつく職業

2005-05-14 | アカデミック
きょうのつぶやき: 物書きという人」で、「作家とは何か」という疑問を発端に、「作家」や「ライター」に関する考察が展開されていますが、ここではちょっと違う切り口で「作家」という職業名について考えてみたいと思います。

「作家」には「家」の字がついていますが、同様に「家」がつく職業は世の中にたくさんあります。画家、書家(書道家)、写真家、彫刻家、陶芸家、作曲家、演奏家、舞踊家、落語家、漫画家、演出家… ついでに言うと、「作家」をそのまま含む劇作家、放送作家などという職業もあります。それでは、これらの職業に共通する特徴は何でしょうか? おおかた、次の2点に集約されるのではないかと思います。

1. 創作・表現するものに何らかの意味での芸術性がある
2. その名前が指し示す活動を生業としている

1.の意味でこれらの職業を総称すると「芸術家」、2.の意味だと「専門家」となって、どちらにしても「家」がつきますね。
柔道家などの「武道家」は、芸術家とは違いますが、その道を究めて芸術の域に達した人、と考えれば、上の特徴づけに含まれると考えてよいと思います(単なる柔道選手を「柔道家」とはいわないでしょう)。

この観点で「作家」という職業を見直すと、「作家」を名乗るためには、書いている作品が「文芸」でなければならない(必ずしも小説(フィクション)である必要はないが)ということになります。
「物書きという人」で物書き論を展開したよしみさんは、自分の本に「私は作家だ」と繰り返し書いているエッセイストに反発していますが、それはつまり、よしみさんがその人の書いたものを文芸とはみなさなかった(芸術性を認めなかった)ということでしょう。
よしみさんは「物書きという人」で、作家の条件として、
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つまりどんな題材を扱うにしろその人固有の世界を創造している人は、作家と呼べるのではないかと私は思います。
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と述べていますが、この見解は、「作家」=「書いたものが『文芸』である」という私の解釈と、それほど違っていないように思います。

ちなみに、上述の特徴づけにあてはまらない(2.を満たすが1.を満たさない)職業名として、法律家、実業家、評論家、政治家などがあります。私は、(個人的な意見として)最後の二つは「評者」「政治者」で十分だと思いますけどね。建築家はちょっと微妙ですが、建築には芸術性を認めてよいと思います。
まぁ、ほかにも、収集家、愛好家、美食家など、職業とはいえない「家」もいろいろありますが…

ところで、私の職業を言葉で言い表すと、研究者、科学者、数学者、学者… どれをとっても「者」がつく職業名で、「家」はつきません。
ここで、あえて声を大にして言いましょう。学問は芸術です。中でも数学は最高級に属する「芸術的な」学問です。その意味で、われわれは研究家、科学家、数学家、学術家などと名乗ってよいはずです。でも、そのような呼び方は一般的ではありません。学問に携わる人々はなんと謙虚なのでしょう!
関孝和、建部賢弘など、和算(江戸時代の日本独自の数学)の研究者は「和算家」と呼ばれています。上述の「家」のつく職業の特徴づけと、和算の数学としての価値を考えるなら、「和算家」という呼称はきわめて適切であるといえます。


(余談)これを書く途中で、頻繁にMicrosoft Bookshelfで「○○家」を引きましたが、だんだん「逆引き広辞苑」が欲しくなってきましたねぇ(笑)。

《本》えくせる絵日記―4コマ漫画アメリカ体験記

2005-05-14 | アメリカ生活・文化・社会
えくせる絵日記―4コマ漫画アメリカ体験記

この本については、元になったウェブサイトにコメント投稿などで少し貢献しているので、あまりこき下ろすのは気が引けるのですが(^^;)、先ほどの記事でいうところの「含蓄」があるわけではなく、「それってヘン!」の段階でのお笑いネタ集になっています。その意味で、冷静な立場で読むと「だから何なの?」というしらけた感想で終わってしまうかもしれません。

もっとも、「それってヘン!」のカルチャーショックをお笑いネタとして楽しむこと自体を、「くだらない」と切り捨てるつもりはありません。ただ、そんなお笑いネタひとつとっても、背後には異文化理解のヒントが隠れているかもしれない、その「背後」にまで考えを及ばせて読めるか? ということが、「読者」の側に問われるのではないかと思います。

《本》アメリカ暮らし すぐに使える常識集

2005-05-14 | アメリカ生活・文化・社会
アメリカ暮らし すぐに使える常識集―知ってトクする生活情報BOOK

きょうのつぶやき: 物書きという人」で言及されています。
私自身は、今後アメリカに住む予定があるわけではなく、この本をすぐに入手したいとは思わないのですが、ちょっと気になったので、ここに記録しておきます。

以下は、本の紹介とは直接関係ありませんが、思うところを少々…

こういう「アメリカ生活本」に対する私の興味の持ち方というのは、それが「実際に役に立つか」ということより、むしろ「アメリカの文化や社会の理解につながる『含蓄』をどれだけ含んでいるか」なんですね。
以前の記事に書いた「アメリカ暮しQ&A」を、私は8年前のボイジー研究訪問時に持って行きました。この本は「駐在員の妻」の立場を強く意識して書かれているので、はっきり言って、駐在員でもなければ妻もいない私には不要な情報のほうが多いです(出産、育児、教育、不動産購入など)。それでも、この本はとてもためになりました。なぜかというと、この本は「日本人がアメリカの文化や社会を理解し、アメリカ地域社会の一員として溶け込むための手助けをする」という思想で書かれていて、アメリカの文化や社会を知るためのヒントを豊富に含んでいるからです。

アメリカで心地よく暮らすためには、アメリカ文化を拒絶してもいけないし、無批判に迎合して「アメリカかぶれ」になってもいけない、冷静な目でアメリカ文化を観察し、そして「知り」、そのうえで自分自身の対処のしかたを身につけることが必要だと思うのです。母国の常識に反するカルチャーに出会ったとき、「それってヘン!」「信じらんなーい!」という段階で思考停止するのではなく、「ふーん、それはそういうものなんだ、なるほどねぇ」と、一歩引いて冷静に考えるマインドを持つことが、異文化に適応するための第一歩ではないでしょうか。