Boise on my mind

ウェブサイト「Boise on the Web アイダホ州ボイジー地域情報」の作者短信、運営裏話など

書くことは考えること

2005-05-29 | ウェブサイト運営論
以前、「完全主義」と題してウェブサイト運営論を記しましたが、Mercer Co-op NJ中部生活情報サイトを運営しているよしみさんの完全主義は、並大抵ではありません。「きょうのつぶやき: あぁもう」では、よしみさんが取り組んでいるガイドブック改訂版執筆の苦労を語っていますが、いやはや恐れ入りました! アメリカ生活・地域情報関係の個人ウェブサイトは数え切れないほどありますが、いったい、そのうちのどれだけが、よしみさんほど徹底した完全主義で作られているでしょうか。

中でも、よしみさんのウェブサイト運営・執筆活動について、私が最も敬服するのは、「書くことに対する真摯さ」です。それも、単に「書くこと」でなく、特に「読んでもらうために書くこと」に対して、です。その真摯な姿勢は、「きょうのつぶやき: 物書きという人」に顕著に表れています。

ウェブサイトやブログの文章というのは、他人に読んでもらうために書くものです。情報提供を目的とする記事であれば、その文章は必要な情報を的確に伝えるための文章でなければなりません。意見表明や評論を目的とする記事であれば、事実の正確な把握、冷静な立場での論点整理、そして理路整然たる意見陳述がなされなければなりません。
いずれにしても、ただ書き手が好き勝手に書いただけでは、他人に読んでもらうための文章にはなり得ません。「読んでもらうために書く」ためには、その準備として、まずは情報の収集、分析、整理を行い、そのうえで自分の意見や著述の方針を固め、そして最後に、読んでもらうための「適切な作文」を行わなければなりません。

この一連の「書く」ための作業で、最も労力を費やすのは、「考える」ことだと思います。その意味で、私は「書くことは考えること」だと思っています。

個人ウェブサイトやブログの文章でも、新聞・雑誌・文芸書などの文章でも、それを書いた人がどれほど「考えて書いたか」ということは、ちょっと読めばすぐにわかります。そして、考えられずに書かれた文章というのは、すぐに読む気を失います。逆に、書いた人の「考えの深さ」が伝わってくる文章に出会ったときには、読むことに熱中し、そして、読み手である自分自身も、そのテーマを深く考え始めます。
私が「きょうのつぶやき」の同じ記事にしつこく言及し、トラックバックを送り続けているのはなぜか? それは、よしみさんの文章には「考えの深さ」があり、読み手として考えさせられることがあまりにも多いから、そして、「物書きという人」に、よしみさんの「考えの深さ」が特に強く表れていると思ったからです。

私は、ウェブサイトでもブログでも印刷媒体でも、そういう「考えの深さ」のある文章をこそ読みたい、というより、自分が読むかどうかは別として、「考えの深さ」のある文章が世の中に増えてほしいと願っています。
現実の個人ウェブサイトやブログの世界はどうでしょうか。残念ながら、真剣に考えて書かれた文章で構成されたものはごく一部で、書き手が好き勝手に書き散らかしているだけのウェブサイトやブログがあまりにも多いと感じています。ブログの流行とともに「ブログ=個人日記・私生活露出」という認識が広まっていることで、「書き散らかし」の傾向はますます強まっているように思えます。
よしみさんは「物書きという人」で、
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人様の前に文章を出す限りは、もちろん表現や内容には十分気をつけてはいましたが、
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と、当然のようにさらっと述べていますが、その意識すら欠如したウェブサイト・ブログ作者さえ、あまりにも多いと思っています。

もうひとつ重要な点は、文章を公表することの「影響力」を意識する、ということです。情報提供であれ意見表明であれ、ウェブに公表された文章は、公表された直後から、そのテーマに対する影響力を持ち始めます。同時に、その文章に対する書き手の「責任」が発生します。書き手がこの「影響力」と「責任」を意識しているなら、ウェブに公表する文章は考え抜いて書くはずで、生半可な気持ちでは書けないでしょう。
「影響力」「責任」という考えは、「物書きという人」の
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この数ヶ月で私は、好きなように書くことと、物書きとして書くことは、同じネット上に文章を出すとしても全く違うことだと思い至るようになりました。…(中略)…文章を書くことは簡単なことだけど、ことばの力を感じつつ文章を書くことは単に書くことと全く異なる作業であり、自分にとっても他の人にとっても本当にすごい力となることを、知ったのです。そして私は、ごくプライベートなことは、自分のために、ノートに手書きで書くようになりました。これは自分のさまざまな思いを昇華させ、自分を深く知り、癒すためです。一方たんぽぽなどで文章を書くときやネットに文章を書くときは、外にいる読者を意識し、一つの作品として大切に文章を書くようになっていました。
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という一節にも表れていると思います。

私が「あぁもう」の文中で注目したのは、
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やればやるほど、調べないといけないことや書かないといけないことがでてきて、アリ地獄状態なのです。だからときどき書く時間があっても、書き始めてからの苦しみに恐れおののいて、なかなか手がつけられないときもあります。
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という一節です。「書き始めてからの苦しみ」とは、まさに、「考えて書く」ことの労力の膨大さであり、そして、「書くことの産みの苦しみ」でもあると思います。
よしみさんが書くことに対して真摯な姿勢を貫いているから、そして、産み出そうとするものが大きいからこそ、その苦しみに直面しているのだと思います。

Boise on the Web 作者としての自戒もこめて、世間のウェブサイト・ブログ作者の皆さんに問いかけます。
これほどまでに真摯に考え抜いてものを書いたことがありますか?
書くことの産みの苦しみを味わったことがありますか?
自分が書いて公表した文章の「影響力」と「責任」を自覚していますか?