機内食カップ麺よりはまっとうな話題として,
Boise on the weblogにも書いた「タイトな国際線乗り継ぎで走らされた」記憶を拾ってみます.
羽田空港での国内線乗り継ぎでも,走った(あるいはバンで空港内を走ってもらった)経験は何度となくありますが,それはいちいち覚えていないので詳細は省略.
(1) 1998年 ルフトハンザ ベルリン~フランクフルト~関西(1人乗りバス!)
ベルリン~フランクフルト間のフライトは何らかの理由で間引き運航されていて,私が乗ったフライトは30分遅れ.フランクフルトではボーディングブリッジでなく駐機場からバス移動でしたが,タラップを降りると地上で「OSAKA MEXICO」のボードを持った男性係員が待っていました.「私は大阪に行くんだ」と名乗り出ると,「それならこのバスに乗れ」と,待機していたバスに乗るよう促されました.するとバスは私と係員だけをのせて発車し,ターミナルビルの裏口のような場所に到着.係員は業務用通路のような人気のない廊下を通って私を誘導し,ドアを開けるとそこが出国審査,そのすぐ向こうは関西行出発ゲート.係員は「お前が乗る飛行機はあそこだ,すぐ乗れ」と言って去っていきました.
(2) 2000年春 ユナイテッド ボイジー~サンフランシスコ~成田
ボイジーからのフライトが遅れ,サンフランシスコのゲート前で日本人女性の係員の出迎えを受けました.彼女はトランシーバーでゲート係員と連絡を取りながら「早足」で国際線ゲートへ.セキュリティチェックの「通行手形」(優先ゲートを通してもらうためのもの)をもらって,優先ゲートを通過.
(3) 2000年秋 ユナイテッド ボイジー~サンフランシスコ~成田
こんどは別の日本人2名も同旅程.(2)とほぼ同じ状況でしたが,出迎えたのは黒人女性係員.やはりトランシーバーでゲート係員と通信しながら早足で誘導.セキュリティゲートも優先で通過.
(4) 2001年春 ユナイテッド ボイジー~シアトル~成田
シアトルに到着したのは成田行出発予定時刻の数分前でしたが,幸い到着と出発のゲートは隣同士.出迎えはおらず,到着ゲート前に「成田 A**ゲート」と日本語で大書されたサインボードが出されていただけでした.成田行きの搭乗も遅れていて,結局余裕を持って搭乗できました.
(5) 2006年(今回) ユナイテッド ボイジー~シカゴ~関西
Boise on the weblog参照.
(番外:羽田空港編)
羽田空港で私が経験したケースでは,到着便が駐機場からバス移動のケースが多く,この場合,飛行機の前にバンが待ち構えていて,次の搭乗ゲートまで走ってくれます.
出発前にタイトな乗り継ぎが予想される場合は,「乗り継ぎ客」であることをアピールするためのワッペンを渡されたりします(着けるのはちょっと恥ずかしい).
2004年4月の女満別~羽田~出雲のケース.強風で羽田着陸が一時抑止された影響で,20分の遅れ.乗り継ぎが気になって,到着前に機内で「出雲行に乗り継ぐんですけど」と客室乗務員に申し出ると,なんと「私たちも出雲に行くんですよ! でも運航状況はわからないので,地上で聞いてください」との答え.内心「あ,それなら乗り遅れる心配はないな」と思いました.実際,出雲行きは同じ機材,同じ客室乗務員で,20分遅れの出発でした.