智徳の轍 wisdom and mercy

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六つの不衰退の法

2005-03-13 | ☆【経典や聖者の言葉】

一一 「向煩悩滅尽多学男達よ、六つの不衰退の法を教え示そう。聴いて、よく作意しなさい。私は説こう。」
「かしこまりました、尊師よ。」
と、彼ら向煩悩滅尽多学男達は覚者にお応え申し上げた。そこで、覚者は次のようにお説きになった。
「向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達が、公にも内密にも、神聖行を共にする人々に対して、慈愛のある身のカルマを成し遂げる限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達が、公にも内密にも、神聖行を共にする人々に対して、慈愛のある言葉のカルマを成し遂げる限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達が、公にも内密にも、神聖行を共にする人々に対して、慈愛のある意識のカルマを成し遂げる限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達が、たとえ鉢に入ったわずかなものでさえも、法にのっとって正しく得たというようなものを、分配せずに食べることがなく、持戒者である神聖行を共にする人々と共有して食べる限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、『それらの戒は聖なる戒であり、道徳的に肯定されるべきものであり、悪趣【あくしゅ】に落ちない戒であり、純粋な戒であり、煩悩から解放する戒であり、識者に称賛され、煩悩に負けないための戒であり、サマディに導く』というような戒において、向煩悩滅尽多学男達が、公にも内密にも、神聖行を共にする人々のために、戒を統一させてとどまる限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、『この見解は聖なるものであり、輪廻【りんね】から脱却させるものであり、それをなす者が完全に苦を破壊する』というような見解において、向煩悩滅尽多学男達が、公にも内密にも、神聖行を共にする人々のために、見解を統一させてとどまる限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、そして、これら六つの不衰退の法が向煩悩滅尽多学男達に存続し、向煩悩滅尽多学男達がこれら六つの不衰退の法に従って暮らしている限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。」

【解説】
 ここは、向煩悩滅尽多学男が法友とどのように接するかということに関する規定である。
 ここで、不衰退の法の数が六つになっているが、私はどんどんどんどん落ちていってるのだと思う。まず、上座部仏教から今度は独覚【どっかく】になり、そして法だけ残っている状態という形で落ちていっているのだと思う。要するに、もうこのときには解脱がない。つまり、サハスラーラがないのである。

衰退することはないだろう

2005-03-13 | ☆【経典や聖者の言葉】
一〇 「向煩悩滅尽多学男達よ、それでは、別の七つの不衰退の法を教え示そう。聴いて、よく作意しなさい。私は説こう。」
「かしこまりました、尊師よ。」
と、彼ら向煩悩滅尽多学男達は覚者にお応え申し上げた。そこで、覚者は次のようにお説きになった。
「向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達が、無常の認知を修習し、非我【ひが】の認知を修習し、不浄の認知を修習し、過患【かかん】の認知を修習し、捨断【しゃだん】の認知を修習し、離愛著【りあいじゃく】の認知を修習し、滅尽の認知を修習する限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、そして、これら七つの不衰退の法が向煩悩滅尽多学男達に存続し、向煩悩滅尽多学男達がこれら七つの不衰退の法に従って暮らしている限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。」

【解説】
 これは、解脱における七つのプロセスである。
 まず、「無常」の認知。これは、現象を正確に把握するということである。次は「非我」の認知。これによって、この現象界の、この肉体も含めた「我」が実体ではないということを認識する。三番目は「不浄」の認知。ここで、完全に身からの出離【しゅつり】の準備を始める。次は「過患」。要するにこの現象界、この欲界に生きていることすべてが三苦であるということをしっかりと認識することによって、不浄と同時に、完全にこの現象界からの出離、三界からの出離の準備を始める。次は「捨断」。結局、過患があるわけだから、捨断しなければならないわけである。捨断することによって、自己の本性である空に到達する準備を始める。次は「離愛著」。捨断し、離愛著することによって、この形状界からも完全に離れる。そして、最後に「滅尽」。滅尽することによって、今度は空【くう】の最高点であるマハー・ニルヴァーナに到達する。つまり、これは個人的最終解脱のプロセスなのである。