智徳の轍 wisdom and mercy

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五者戒誓行輪廻転生談

2004-09-26 | ☆【経典や聖者の言葉】

 これは、尊師がジェータ林にとどまっておられたときに、戒誓行に入っている五百人の帰依信男に関して講演なさったものです。そのとき実に、尊師は法則の広間において、四つの集団の真ん中にある装飾された覚者の座に座り、穏やかな心で集団を見て、
「今日は帰依信男たちに対する話に関連させて教えを示そう。」
と判断し、帰依信男たちに呼びかけ、こうお尋ねになりました。
「帰依信男たちよ、あなた方は戒誓行に入っているのか。」
「はい、尊師よ。」
と申し上げると、
「あなた方がなしていることは素晴らしいことだ。戒誓行というもの、これは大昔からの賢者たちのならわしであった。というのは、大昔からの賢者たちは、愛著などの煩悩を制御する手段として、戒誓行に時を費やしてとどまったからだ。」
と言って、彼らに懇願されたので、物語をお話しになったのです。

 その昔、マガダ国の王領などの三つの王領の間に森がありました。到達真智運命魂はマガダ国の王領にある大邸宅を有する祭司の家に存在するようになり、青年に達すると、愛欲を捨断し、家庭生活を後にして、その森に入り、人里離れた住まいを作って暮らしていました。
 ところで、その人里離れた住まいから遠くない、ある竹林には鳩である鳥が自分自身の妻と一緒に、あるアリ塚には蛇が、ある林の茂みにはヤマイヌが、ある林の茂みには熊が住んでいました。彼ら四匹は同様に時折、尊い人の所へ行き、法則を聴くのでした。
 さて、鳩は妻と一緒に巣を出て、餌を探すために出発しました。彼の後から、雌鳩が行くと、一羽の鷹が捕まえて立ち去ってしまったのです。彼女の叫ぶ声を聞き、鳩が引き返して見ると、鷹が彼女を連れ去っているのが見え、さらに鷹は叫んでいる彼女を食べてしまいました。鳩は彼女との別れによって、愛著の燃えるような悲しみにあぶられ、思念しました。
「この愛著は極端にわたしを疲れさせる。今、これを制御できないうちは、餌を探すために出かけないようにしよう。」
と、彼は餌を取ることを遮断し、苦行者の面前に行き、愛著の制御のために戒誓行を始めて、そばに座りました。
「わたしは餌を求めよう。」
と、蛇も人々の住まいがある場所に出かけ、国境の村にある牛の牧場において、餌を求めていました。
 そのとき、村長の純白で祭られた牛が牧草を取った後、あるアリ塚の根元において、膝で立ち、角で粘土を取って楽しんでいました。蛇は牛の足音にぎょっとして、そのアリ塚に入ろうとして、去っていくところでしたが、そのとき、牛がその蛇を足で踏みつけたのです。蛇は怒って彼にかみつき、牛はまさにそこで生命の破壊に至りました。村の住人たちは、
「牛は死んだそうだ。」
と聞き、すべての者がまさに連れ立って来て、涙を流し、彼を香りのある花飾りなどによって礼遇し、穴を掘り埋葬して帰りました。蛇は彼らが去ったとき出て、
「わたしは激怒によって、このものの生命を奪い、多くの人々の心に悲しみを与えてしまった。今、この激怒を制御できないうちは、餌を探すために出かけないようにしよう。」
と引き返し、人里離れた住まいに行って、激怒の制御のために戒誓行を始めて、そばに座りました。
 ヤマイヌも餌を求めていると、一頭の死んだ象を見て、
「わたしは大きな餌を得た。」
と喜んで行きました。
 象の鼻にかみつくと、あたかも柱にかみついたときのようでした。そこで、よい味を得られなかったので、牙にかみつくと、あたかも石にかみついたときのようでした。腹にかみつくと、あたかも煉瓦にかみついたときのようでした。しっぽにかみつくと、あたかもこん棒にかみついたときのようでした。肛門にかみつくと、あたかも精製されたバターで作られた砂糖菓子にかみついたときのようでした。
 彼は貪欲によって、食べながら腹の中に入り、そこで、空腹なときは肉を食べ、のどが渇いたときは血を飲み、横たわるときは小腸と肺臓との上に横たわりました。
「まさにここに、わたしの食べ物と飲み物と寝台とが備わっている。どういう訳で他のどこかへ行く必要があるだろうか。」
と、彼は思念して、まさにそこで楽しみを見いだし、外部に出ず、まさに腹の中に住みましたが、間もなくして、熱い風によって、象の死体は乾き、肛門は閉じてしまったのです。肉や血は少なくなり、出る道は見えず、腹の中でヤマイヌは肉体が青ざめ、憔悴していました。
 さて、ある日、時期外れの雷雲が雨を降らせ、肛門は湿り、柔らかくなって、開いたところが見えました。ヤマイヌは隙間を見て、
「とても長い間で、疲れてしまった。この隙間から、わたしは立ち去ろう。」
と、肛門に頭をぶつけました。その圧迫されるところを素早い動作で出たので、肉体は傷つき、肛門にすべての体毛が付着し、あたかもパルミラヤシの幹のように、体毛がなくなった肉体になって出たのでした。
「貪欲によって、わたしはこの苦しみを経験した。今、これを制御しないうちは、餌を取らないようにしよう。」
と、彼は思念して、その人里離れた住まいに行き、貪欲の制御のために戒誓行を始めて、そばに座りました。
 熊も強欲に征服され、森から出て、マッラ国の王領にある国境の村に行きました。村の住人は、
「熊が来たそうだ。」
と、弓や棒などを手に持ってやってきて、そこで茂みに入り、周りに輪を作りました。彼は多くの人々に囲まれた状態に気づき、出て逃げ、そしてまさに逃げているときに、彼はまさに数々の矢や棒によって攻撃されたのです。彼は傷つき、頭から血を流しながら、自分自身が住む場所に行き、
「この苦しみはわたしの強欲と貪欲によって生じた。今、それを制御しないうちは、餌を取らないようにしよう。」
と、その人里離れた住まいに行き、強欲の制御のために戒誓行を始めて、そばに座りました。
 苦行者も、自己の生まれに対する慢に陥って、静慮を生じさせることができなかったのです。それで、一人の独覚が彼の慢が内在した状態に気づき、
「この者は並の生命体ではない。この人は覚醒をなす。まさにこのカルパにおいて、全智に達するだろう。この慢の制御をなして、生起のサマディが生じる状態になそう。」
と、彼は自分の枝や葉っぱでできた小屋にまさに座っていましたが、北の雪山から来て、苦行者の石でできた平たい厚い板に座りました。苦行者は出ると、独覚が自分自身の座に座っているのを見、慢が内在した状態によって、いらいらさせられ、彼に近づき、指をパチッと鳴らして言いました。
「うせろ。浮浪者、不吉なニセの出家修行者坊主よ。何のためにわたしの座る平たい厚い板に、お前は座っているのか。」
「善と徳のある人よ、なぜ、あなたは慢を内在しているのか。わたしは独覚の精通を獲得した者だ。あなたはまさにこのカルパにおいて、全智の覚者になるだろう。あなたは覚醒をなす。種々の徹底を成就し、さらに多くの、しかじかの時を経て、あなたは覚者に達するだろう。覚者の状態であるときの名前はシッダッタであろう。」
と、独覚は彼に名前と家系と一族と第一の多学の弟子などをすべて明かし、
「何のために慢を内在し、乱暴なのか。これはあなたにふさわしことではない。」
と忠告を与えました。彼は独覚によってまさにこのように言われても、彼にうやうやしくあいさつすることはなく、まさに、
「いつわたしは覚者になるのだろうか。」
などと尋ねることはなかったのでした。
「あなたの生まれよりも、わたしの徳の方が偉大であることに気づきなさい。もしできるならば、あたかもわたしのように空間を動き回ってみなさい。」
と、独覚は彼に言って、空中に舞い上がり、自分自身の足の塵を彼の丸く結ばれた髪に払い落として、まさに北の雪山に去ったのでした。
 苦行者は彼が去ったとき、敬虔な感情が生じ、
「この出家修行者はこのように重い肉体で、あたかも風に向かって投げたキワタのように飛び上がっていった。わたしは生まれに対する慢によって、まさにこのような独覚に対して、足にうやうやしくあいさつすることはなく、まさに、
『いつわたしは覚者になるのだろうか。』
などと尋ねることはなかった。生まれというもの、これによって何がなされるだろうか。この世界においては、まさに戒の実行が偉大なのである。それゆえに、わたしのこの慢が増大していくならば、激苦地獄に堕ちるだろう。今、この慢を制御しない内は、あらゆる種類の実を探すために行かないようにしよう。」
と、枝や葉っぱでできた小屋に入り、慢の制御のために戒誓行を始め、小枝でできた敷物に座ったのです。大いなる精通がある善男子は慢を制御し、十全境を修習し、種々の証智と種々の生起のサマディが生じ、歩き回るための場所の端にある石でできた平たい厚い板に座りました。
 それで、鳩などは彼の所へ行き、うやうやしくあいさつして、そばに座りました。偉大な生命体は鳩に尋ねました。
「他の日々には、この時にあなたがこちらに来ることはなく、餌を求めていた。今日は今、戒誓行の誓いを守るようになったのか。」
「はい、尊者よ。」
「どういう訳によるのだろうか。」
と、彼に尋ねて第一の詩句を言いました。

   鳩よ、今、あなたの欲は少ない。
   空を行く者よ、あなたは食物を願わない。
   空腹と渇きを我慢して、
   鳩よ、
   なぜ戒誓行の誓いを、
   守っているのだろうか。

 それを聞いて、鳩は二つの詩句を唱えました。

   以前わたしは雌鳩に飽くなき欲望があり、
   この場所で双方は楽しんでいた。
   そのとき、鷹が雌鳩を捕らえ、
   彼女はなく、感覚の喜びの対象はなくなった。

   様々な状態から、
   彼女との別れによって、
   意識で成り立っている痛みを感じ、
   この理由ゆえに、わたしは戒誓行を守り、
   わたしの愛著が再び来ないように願っている。

 鳩によって自己の戒誓行の行為が説明されると、偉大な生命体は蛇などにそれぞれ尋ねました。彼らも同様に如実に回答しました。

   くねりながら進む者よ、
   二枚の舌を持つ胸ではって進む者よ、
   毒牙を武器とし、猛毒がある蛇よ、
   空腹と渇きを我慢して、
   長い者よ、
   なぜ戒誓行の誓いを、
   今、守っているのだろうか。

   村長の牛は力があり、
   両肩のこぶは揺れ、
   美しさと力が備わっていた。
   彼はわたしを踏みつけ、
   わたしは感情を害されて彼にかみついた。
   彼は苦しみにもだえ、死に至った。

   それゆえに、人々は村から出て、
   涙を流し、泣き叫んで、近づいて来た。
   この理由ゆえに、わたしは戒誓行を守り、
   わたしの激怒が再び来ないように願っている。

   種々の死肉は墓地に数多くある。
   これは心を喜ばせるあなたの食べ物だ。
   空腹と渇きを我慢して、
   ヤマイヌよ、
   なぜ戒誓行の誓いを、
   守っているのだろうか。

   大きな象の腹に入り、
   死体の中で楽しみ、
   象の肉を貪り喜んでいると、
   熱い風と鋭利な光線とが、
   その肛門を乾かせた。

   尊者よ、わたしの出る道はなく、
   わたしはやせ、そして青ざめた。
   しかし突然、大きな雷雲が雨を降らせ、
   それがその肛門を湿らせた。

   尊者よ、ラーフの口から、
   月が解放されたように、
   わたしはそこから出た。
   この理由ゆえに、わたしは戒誓行を守り、
   わたしの貪欲が再び来ないように願っている。

   以前あなたはアリ塚の塔で、
   アリたちを殺して食べ、
   動き回って生活していた。
   空腹と渇きを我慢して、
   熊よ、
   なぜ戒誓行の誓いを、
   今、守っているのだろうか。
   
   自分自身の家を蔑み、
   強欲さによってマッラ国に行った。
   そのとき、人々は村から出て、
   石弓でわたしを撃った。

   このわたしの頭は傷つき、
   手足からは血が噴き出し、
   わたしは自分自身の家に再び戻った。
   この理由ゆえに、わたしは戒誓行を守り、
   わたしの強欲が再び来ないように願っている。

 このように彼ら四匹は自分自身の戒誓行の行為を説明し、立ち上がって偉大な生命体にうやうやしくあいさつし、
「尊者よ、他の日々には、この時にあなたはあらゆる種類の実を探しに行っていました。なぜ今日は行かずに、戒誓行の誓いを守っているのですか。」
と尋ねて詩句を言いました。

   尊者よ、わたしたちはあなたに尋ねられて、
   認識し理解していることにしたがって、
   まさにすべてを明らかにしました。
   尊者よ、わたしたちもあなたに尋ねます。
   神聖な人よ、
   なぜ戒誓行の誓いを、
   今、守っているのでしょうか。

 彼は同様に彼らに回答しました。

   わたしの人里離れた住まいにおいて、
   けがれない独覚が少しの間座った。
   彼はわたしに、
   転生して行く方向と転生して来た方向、
   名前と家系と振る舞いのすべてを知らせた。
   
   このようであっても、わたしは、
   彼の足にうやうやしくあいさつすることはなく、
   そして、わたしは慢に陥って、
   彼に尋ねることもなかった。
   この理由ゆえに、わたしは戒誓行を守り、
   わたしの慢が再び来ないように願っている。

 このように偉大な生命体は自分自身の戒誓行の行為を伝え、彼らに忠告して引き取らせ、枝や葉っぱでできた小屋に入りました。彼らもそれぞれ自分の場所に去りました。偉大な生命体は静慮を怠ることなく、神聖天の世界を最終地点としました。そして、彼らも彼の忠告に従い、天を最終地点としました。

 尊師はこの教えをもたらした後、
「帰依信男たちよ、このように戒誓行というもの、これは大昔からの賢者たちのならわしであった。戒誓行を守り続けなさい。」
と言って、輪廻転生談に当てはめられたのです。
「そのときの鳩はアヌルッダであり、熊はカッサパ、ヤマイヌはモッガラーナ、蛇はサーリプッタ、苦行者はまさにわたしだったのである。」


邪悪心を捨てよ

2004-09-26 | ☆【経典や聖者の言葉】

 邪悪心を捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。形状-容姿と心の要素とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。
 走る車をおさえるようにむらむらと起こる邪悪心をおさえる人--彼を我は<御者>と呼ぶ。他の人はたた手綱を手にしているだけである(<御者>と呼ぶにはふさわしくない)。
 怒らないことによって怒りに打ち勝て。善いことによって悪いことに打ち勝て。分かち合うことによって物惜しみに打ち勝て。真実によって虚言の人に打ち勝て。
 真実を語れ。怒るな。請われたならば、乏しい中から与えよ。これら三つのことによって、神々のもとに至り得るであろう。
 生き物を殺すことなく、常に身を慎んでいる聖者は、不死の境地に赴く。そこに至れば、憂えることがない。
 人が常に目覚めていて、昼も夜もつとめ学び、煩悩破壊を得ようと目指しているならば、諸々のけがれは消え失せる。
 
 身体がむらむらするのを、守り落ちつけよ。身体について慎んでおれ。身体における悪い行ないを捨てて、身体によって善行を行なえ。
 言葉がむらむらするのを、守り落ちつけよ。言葉について慎んでおれ。言葉における悪い行ないを捨てて、言葉によって善行を行なえ。
 心がむらむらするのを、守り落ちつけよ。心について慎んでおれ。心における悪い行ないを捨てて、心によって善行を行なえ。
 落ちついて思慮ある人は身を慎み、言葉を慎み、心を慎む。このように彼らは実によく己を守っている。

神聖な約束

2004-09-26 | ☆【経典や聖者の言葉】
 ほかの人があなたのラマのことを批判したとしても、そんなものに乗ってはいけない。すぐにやめさせなければ。もしも、やめさせられなければ、口をつぐんで、その場を去る事だ。その話題に同調したとたん、あなたはとんでもないおろかな過ちを犯すことになる。これは、特に密教のラマについて、起こることだ。密教は頓修の教えだから、いろいろな点で、世間の常識を無視したり、それを覆したりする。そのために密教のラマは、よく世間から誤解の目で見られることがある。そんな時、あなたが自分のラマを批判する他人に合わせてしまったりすると、あなたは重大な密教のサマヤ戒を、傷つけることになる。この点は、とても大切だ。

               --ケツン・サンポ・リンポチェ 「虹の階梯」より


聖者列伝

2004-09-25 | ☆【経典や聖者の言葉】
ナグ・マハーシャイ(ドゥルガー・チャラン・ナグ)

「偉大なる在家修行者の模範」
ラーマクリシュナ・パラマハンサの在家の弟子の物語
すべてを神に捧げた男(一)


■在家のやるべきこととは?

 ドゥルガー・チャラン・ナグは、十九世紀のインドの大聖者ラーマクリシュナ・パラマハンサの在家の弟子でした。
 人はどうすれば、在家でありながら、現世的にならずに修行し続けることができるのでしょうか?
 聖慈愛を修習しつつ、現世に愛着しないでいるにはどうすればよいのでしょうか?
 在家のやるべき実践とは?
 人生の目的とは?
――ドゥルガー・チャラン・ナグは、それらを身をもって示してくれた、典型的な在家修行者でした。
 並外れた素晴らしい性格から、ドゥルガー・チャラン・ナグはナグ・マハーシャイと呼ばれるようになりました。ナグは彼の名字で、マハーシャイとは「偉大なる心を持つ人」という意味です。
 ラーマクリシュナ・パラマハンサは、多くの若き弟子たちには、結婚も現世的な仕事も認めず、神に奉仕する修行生活に入ることを勧めました。しかしこのドゥルガー・チャラン・ナグに対しては、彼が出家を希望していたにもかかわらず、在家で修行を続けるようにと指示したのです。
 おそらくドゥルガー・チャラン・ナグは、理想的な在家修行者として、皆の見本となるべき役割があったのでしょう。彼は在家にありながら現世の汚濁に巻き込まれない、類い稀な修行者だったのですから。

■少年時代

 ドゥルガー・チャラン・ナグは、一八四六年八月二十一日、現在のバングラディシュにあるデオボグ村という小さな村で生まれました。父親のディンダヤルは、カルカッタの大企業で働く信心深い人でした。
 ドゥルガー・チャラン・ナグは、八歳のときに母親を亡くしましたが、心優しい叔母に育てられました。ある晩、叔母は寝る前に、ラーマーヤナとマハーバーラタの話をナグにしてくれました。すると、その晩、ナグはその内容をはっきりと夢で見ました。また、神々が夢に現われることもありました。朝になってそのことを叔母に話すと、叔母は彼に畏敬の念を示しました。
 ドゥルガー・チャラン・ナグは、謙虚で正しい心を持つ子でした。スポーツは好きではありませんでしたが、友達に誘われると参加しました。遊びのときでも、絶対に嘘をつかず、嘘をつく友達とは絶交しました。公平な性格だったので、遊ぶときの仲介役となることがよくありました。あるとき、自分のチームを勝たせるために遊び仲間が嘘をつきましたが、ドゥルガー・チャランは自分たちのチームが負けてでも正しいことを通しました。そのため、彼はチームメイトにいじめられましたが、痛みをこらえて家に帰り、だれに対しても文句を言いませんでした。
 ドゥルガー・チャラン・ナグは、近くの学校に八年間通ったあと、さらなる教育課程を受けるためにカルカッタに行きたいと思いました。しかし、経済的問題があってカルカッタには行けず、十五キロメートル離れたところにあるダーカ通常学校に行くことにしました。毎日往復三十キロも歩くことに叔母は反対したのですが、彼の頑固さに負けて学校に通わせることにしました。叔母は毎朝彼のために朝ご飯と弁当を作りました。十五カ月の間に、彼は二日しか休まず学校に通い続けました。勉学への思いが強かったので、体の苦痛は気になりませんでした。

■結婚

 当時のインドは幼少結婚が常識だったので、ドゥルガー・チャラン・ナグは十五歳のときに十一歳の女の子と結婚しました。結婚した少女は、大人になるまで実家で過ごし、その後に改めて嫁ぎ先に行くのです。
 結婚して五カ月後、ドゥルガー・チャラン・ナグは父親と一緒にカルカッタに引っ越し、キャンベル医療学校で一年半勉強しました。その後、彼はカルカッタで有名だった内科医のエハリ・ラル・バドゥリ博士の下で、ホメオパシーを勉強しました。彼は非常に優秀な治療家になりましたが、定額以上の謝礼を受け取りませんでした。必要以上は受け取らず、貧乏人は無料で診断し、場合によってはお金や食べ物を与えることさえありました。彼にたかる人もいましたが、気にしませんでした。彼は人々に対する奉仕を神に対する奉仕と考えていたからです。
 彼はずっとカルカッタにいましたが、妻の方はデオボグ村にずっといたので、二人はめったに会うことはありませんでした。二人が同じ家に泊まることがあっても、彼は一晩中、外のベンチや木の下で過ごして、夜を共にすることはありませんでした。別に妻のことを嫌いだからこういうことをしていたのではなく、十代の彼にとって、神を悟るためにはこうすることが必要だと感じていたからです。現世の誘惑も、彼の修行の障害にはならなかったのです。
 ある日、妻が突然亡くなりました。彼はその知らせを受けてとてもショックを受け、以前にも増して経典の教学と瞑想に没頭するようになりました。彼は時折、北カルカッタにある火葬場に行き、ガンガーのほとりで悲しむ人たちを見ては、人生の無常について考えました。「空虚、空虚、すべては空虚であり、神のみが真理だ。悟りを得ない限り、この世は苦しみである。どうすればその道に至れるのだろうか。だれがその道を指し示してくれるのだろうか」と、彼はよく考えました。
 そのころ、彼はインドの宗教的・社会的改革団体であるブラフモ・サマージの構成員であるスレシュ・チャンドラ・ダッタと出会いました。二人の思想は違いましたが、いろいろなことについて話し合い、親友となりました。スレシュはドゥルガー・チャラン・ナグの清らかさと信心がとても気に入りました。
 父のディンダヤルは、息子が現世への興味をあまり持たず、医療をやらなくなり、宗教実践にのめりこむようになったのを見て、とても心配しました。再婚すれば、宗教に狂うことはなくなるのではないかと思ったディンダヤルは、再婚相手を見つけてきました。
 ドゥルガー・チャラン・ナグは「以前見つけてきた結婚相手は死んだ。そして、こうしてまた、死ぬ運命にある結婚相手を連れてくるなんて。お父さん、お願いですからわたしに同じ苦しみを与えないでください。わたしは死ぬまでお父さんのことは大切にします。お父さんが連れてくる嫁の百倍も、お父さんのために頑張りますから、どうか結婚はさせないでください」と言いました。
 父親は、息子がそこまで苦しむなら、結婚話はキャンセルしようと思いました。しかし、一族の血が絶えてしまうことについてとても悲しみ、食事も喉{のど}を通らなくなり、一人で泣き明かしました。それを見たドゥルガー・チャラン・ナグは、結婚を受け入れることにしました。父子は結婚のために田舎に行くことになりましたが、その直前、ドゥルガー・チャラン・ナグは、聖なるガンガー(ガンジス河)に行って、こう祈りました。
「母なるガンガーよ、あなたはこの世のすべての罪を洗い清める力があると聞いています。もしわたしが家長となって塵とけがれにまみれたら、わたしをどうか洗い清めてください」
 ドゥルガー・チャラン・ナグは結婚を嫌がりましたが、結婚生活に対して嫌悪していたわけではありません。あるとき、彼はこう言いました。
 「純粋な動機から結婚するなら、その結婚がその人を駄目にすることはない。しかし、それができるのは聖者と賢者だけである」

■神への渇望

 再婚後、彼は若き妻をデオボグ村に置いて、父親と一緒にカルカッタに戻り、治療家の仕事を続けました。あるとき、彼は父親の雇用主の家族を重病から救いました、雇用主は彼に多くの謝礼を出そうとしましたが、ドゥルガー・チャラン・ナグは、ほんのわずかしか受け取りませんでした。これについて父親はとても残念がりましたが、ドゥルガー・チャラン・ナグはこう言いました。「何であれ、わたしは正しくないと思ったことは実践できません。神は真理です。お父さんはいつもわたしに良心に基づいて生きるように教えてくれていたではないですか。これ以上の謝礼をもらったとしても、間違った行動は人を破滅に導くだけです」
 楽な生活は精神性を堕落させ、逆境は人を成長させます。凪{なぎ}の状態で船を操るのは簡単ですが、嵐のときに信頼できるのは真の船長だけです。ドゥルガー・チャランは信仰心を結婚で試され、その後に金銭で試されました。彼には医者としての名声がありましたが、それに執着せず、肉欲と貪欲という悟りの障害を乗り越えたのでした。野生のライオンが檻から出ようとするように、彼はマーヤーの檻{おり}から抜け出ようとしました。
 神秘的な人たちの人生を見ると、神を求める強い強い思いがわき起こったとき、神は必ずそれに応え、その信仰者にとって良い環境を与えることがわかります。ある朝、ドゥルガー・チャラン・ナグがガンガーのほとりに座っていると、不意に彼の家族を担当している祭司がボートに乗ってやってきました。なぜその祭司がカルカッタにやってきたのか尋ねると、「母なる神からの特別な命を受けて、あなたにイニシエーションを与えに来た」と祭司は答えました。
 しかし、そのイニシエーション自体はドゥルガー・チャラン・ナグを悟りに導くことはなく、神を見たいという彼の渇望を強めただけでした。
 彼は時折、聖なる意識状態に酔いしれ、外的意識を失いました。ガンガーのほとりで瞑想していたとき、水かさが増して川に流されてしまったことがありました。しかし、意識が戻ってくるのにしばらく時間がかかったため、彼は岸まで泳いで戻らなければなりませんでした。
 しばらくして、若き妻であるシャラトカミニがカルカッタにやってきました。父親は、嫁が息子に大切にされていないように見えるのでとても心配しましたが、彼女の方は夫が変わった人であることを理解していたので、それほど苦しんでいませんでした。彼は妻にこのように話しました。「この世に愛着しても、それは無常です。神を愛する者は祝福されます。肉体に対するちょっとした執着は、わたしたちをこの肉と骨のかごに何生も結び付けます。母なる神への信仰を持ち、彼女のことのみを考えるようにしなさい。そうすれば、ここでの生活は価値あるものになるでしょう」
 シャラトカミニ本人も、出家修行者のような女性でした。とても純粋で献身的で、自己を捨ててわがままを言わない人でした。夫を束縛せず、夫とともに歩む巡礼者でした。彼女は、夫と、その父親と、家を訪れる多くの信者たちに対する奉仕を喜んで実践しました。神に対して夢中になっている人は、そのそばにいる人も感化するという実例のような夫婦でした。
 しばらくして、父親は仕事から引退し、カルカッタの家を息子に渡して、嫁と一緒に田舎のデオボグ村に帰っていきました。そこで、ドゥルガー・チャラン・ナグは一人でカルカッタに住むことになりました。
 多くの人は神について本で読み、話をします。しかし、実際に神を見たいと考える人はどれくらいいるでしょうか。ドゥルガー・チャラン・ナグはまさに、この思いを強く持っている人でした。

■師との出会い

 ある日、友人のスレシュがやってきて、ラーマクリシュナのことを教えてくれました。二人はすぐに、ドッキネショルのラーマクリシュナに会いに行くことになりました。
 師は二人を招き入れ、二人がどういう人か聞いて、このような話をしました。
「ドジョウのように生きなさい。ドジョウは泥の中に住んでいても、その皮膚はいつも綺麗で輝いています。同様に、家庭生活をしていても、現世に執着しなければ心は影響を受けない」
 ラーマクリシュナは彼らをパンチャヴァティの木の下で瞑想させた後、別の寺院に連れていきました。そして「また来なさい。何度も来ることによって縁は深まる」と言いました。
 二度目に二人がラーマクリシュナのもとを訪れたとき、ラーマクリシュナはこう言いました。「よく来た。わたしは君たちを待っていた」そしてドゥルガー・チャラン・ナグを自分のとなりに座らせ、こういいました。「怖がることはない、息子よ。あなたはとても高い意識状態に到達している」そして、ちょっとした仕事を指示し、ドゥルガー・チャラン・ナグが部屋から出た後、スレシュにこう言いました。「わかりますか。彼は光り輝く炎のようだ」
 三回目は、ドゥルガー・チャラン・ナグは一人でラーマクリシュナに会いに行きました。ラーマクリシュナが「わたしのことをどう思うか?」と聞くと、ドゥルガー・チャラン・ナグは合掌してこう答えました。「わたしをだますことはできません、聖なる師よ。あなたの威厳を見て、あなたが最高の存在であることをわたしは理解しています」
 それから数カ月経って、ドゥルガー・チャラン・ナグは医者としての仕事を辞めました。父親から引き継いだ仕事は続けましたが、以前にも増して瞑想に時間をかけるようになり、出家したいという思いが強まってきました。そして、その思いが固まってきたところでラーマクリシュナに会いに行くと、ラーマクリシュナは歓喜のムードでこう言いました。
「家長でいることが、あなたにとって何の障害になろうか? ただひたすら、心を神と合一させ続けなさい。在家の生活は要塞の中で戦っているようなものです。古代のジャナカ王のように現世に身を置き、執着しないでいなさい。あなたの生き方は、在家の見本となるでしょう」
 ドゥルガー・チャラン・ナグは何も言えませんでした。彼は家に帰り、師の指示に従いました。
 ドゥルガー・チャラン・ナグは、最高の修行といわれる自己放棄の実践をしていましたが、そのおかげで現世の生活に支障が出てきました。しかし、会社の雇用者はナグ親子にとても親切で、信仰心の篤い別の人がドゥルガー・チャラン・ナグの代わりに働いて、手数料を一部受け取るというシステムをつくってくれました。この雇用者は、ドゥルガー・チャラン・ナグが死ぬまで、彼の家族を経済的に援助し続けました。



つづく