四つの食物なるものがあり、それらが一切の生類の糧として、この世に生じ、この世に住せしめるのである。
その四つの食物とは、以下の四つである。
①個体・液体の食物
②接触という食物
③表象という食物
④識別という食物
もしこの四つの食物において、むさぼりがあり、喜びがあり、渇愛があれば、そこに識別が存在し、識別が増長する。
それによって心の要素-形状-容姿が現われてくる。
するとそこには、もろもろの経験の構成が増長する。
するとそれにより、未来において迷いの生存を繰り返すことになる。そして未来において何度も生まれ、老い、死ぬことを繰り返し、不運な出来事、苦しみ、悩みを経験するであろう。
それは、たとえば、ここに画家があって、様々な絵の具をもって、板や壁や紙や布などに、婦女の姿や男子の姿や、その他もろもろの姿を、ありのままに描き出そうとするようなものなのである。
しかしもし、この四つの食物において、むさぼることがなく、喜ぶこともなく、渇愛することもなかったならば、そこには識別は存在せず、増長することもない。
それによって心の要素-形状-容姿が現われてくることもない。
するとそこには、もろもろの経験の構成が増長することもない。
するとそれにより、未来において迷いの生存を繰り返すこともない。そして未来において何度も生まれ、老い、死ぬことを繰り返すこともなく、不運な出来事、苦しみ、悩みを経験することもないであろう。
それは、たとえば、ここに家があり、東向きに窓があり、そこに太陽が昇ったならば、太陽の光は家の中を照らすであろう。
しかし窓がなかったならば、太陽の光は家の壁を照らすであろう。
しかし家自体もなく、そこに海があったならば、太陽の光は海を照らすであろう。
しかし海もなく、大地しかなかったならば、太陽の光はその大地を照らすであろう。
しかし大地すらそこになかったならば、太陽の光はどこも照らすことはないであろう。
そのようなものなのである。