智徳の轍 wisdom and mercy

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三十三 動機

2005-05-07 | ☆【経典や聖者の言葉】


一 ビック達よ、八つの布施の動機がある。それでは、この八つとは何であろうか。
二 すなわちそれは、欲のために布施をすること、瞋恚【しんに】のために布施をすること、愚痴のために布施をすること、恐怖のために布施をすること、「ご先祖は以前施し、以前なした。したがって、私が古くからの家風を放棄することはすべきではない」と布施をすること、「私はこれらの布施をして、その身が壊れ、死んだ後、善趣【ぜんしゅ】である天界に転生するだろう」と布施をすること、「私がこの布施をすることによって、心は清らかになり、満足、喜びを覚える」と布施をすること、心の装飾品・心の必需品のために布施をすることである。
三 ビック達よ、これらが八つの布施の動機なのである。

【解説】
 ここでは、今度は布施の動機がそれぞれ語られている。まず、「欲のために布施をする」とは、例えば高官などに物をあげ、それによって高い地位へ就く、あるいはいい職をもらうといった賄賂【わいろ】的な動機のことである。次の、「瞋恚のための布施」とは、自分の怒りを実現するための布施で、例えば、怒ることによってある対象物を破壊したくなったとき、別のものに布施をし、そのものを動かすことによって、対象物を破壊するといったことである。三番目の「愚痴のために布施をする」とは、「騙【だま】されて」ということである。つまり、「何だかわからないけれど布施した」という、よくあるパターンである。
 「恐怖のために」というのは、これは先程言った、悪趣に落ちたくないという気持ち、あるいは、脅された、つまり恐喝されたからということである。次の、「『ご先祖は以前施し、以前なした……』と布施をする」とは、日本仏教がそうだが、風習という動機であり、これは全く価値がない。「『……善趣である天界に転生するだろう』と布施をする」とは、文字どおり天へ至るという願望、「『……心は清らかになり、満足、喜びを覚える』と布施をする」とは、先程言った慚愧、そして、「心の装飾品・心の必需品のために布施をする」とは、心を豊かにすることが布施の動機である。
 布施の動機には、この八つがあるというわけである。

三つの愛の力

2005-05-01 | ☆【経典や聖者の言葉】

 渇仰はバラ色の暁のようなものだ。暁の後に太陽が現われる。渇仰の後に、神のヴィジョンが続くのだ。

 神は、次の三つの魅力の集まった力で、彼に引かれる信者にお姿を現される--世俗の人にとっての財産の魅力、母親にとってのわが子の魅力、および貞淑な妻にとっての夫の魅力である。もし人がこれら三つの魅力の結合した力で神に惹かれるなら、それによって彼を悟ることができるのだ。

 ようは、まさに母親がわが子を愛するように、貞淑な妻が夫を愛するように、世俗の男が富を愛するように神を愛することである。これら三つの愛の力、これら三つの魅力を合わせて一つにし、それを全部神に向けよ。そうすればお前は、間違いなく彼を見るだろう。

 渇仰の心で神に祈ることが必要である。子猫は、「ミュー、ミュー」となきながら母親を呼ぶことしか知らない。どこでも母親がおいてくれたところに満足して、そこにじっとしている。そして母猫は子猫を、あるときは台所に、あるときは床に、あるときは寝台の上におく。辛いことがあると、子猫は「ミュー、ミュー」となくだけだ。それが子猫の知っていることの全部なのだ。しかしこの泣き声を聞くやいなや、母猫はどこにいても子猫のところにとんでくる。


(ラーマクリシュナ)