智徳の轍 wisdom and mercy

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◆死と無常

2005-03-12 | ☆【経典や聖者の言葉】


 もしあなたが無常について瞑想することがないなら、この世の関心事から心を離すことができないでしょう。そして心を離すことができないなら、サンサーラ、輪廻から解放されることはないでしょう。これに関してナーガールジュナはその書の中で次のように述べています。「我の命を害するものは数多くある。なぜなら命は風によって簡単に破裂してしまう水泡のようなものだからである。息を吐き出した後にまた呼吸し、眠った後また目が覚めるというのは大きな奇跡である」と。
 一般的にいって、すべての条件づけられた現象は無常であり、特に有情の生き物の生命力は水泡のようにはかないものです。自分がいつ死ぬかだれにもわかりません。今死なないという保証はどこにもないのです。加えて、死のときにはダルマ以外助けとなるものは何もありません。もしこの世の意味のないこと、この世の活動のために努力するなら、苦の原因を超えることはできません。ゆえに、心が瞬時でも現世の食物、衣服等に向かうなら、死のことを考えようと心に誓わなくてはなりません。

【解説】すべての条件づきの現象、原因と環境に依存する現象は無常です。これには動くもの、動かないもの、有情の生き物、その環境、すべてが含まれます。今日確固としている建物も明日は崩れて瓦礫と化してしまうかもしれないのです。特に人間の生命は非常にもろく、簡単に失われてしまうものです。だれも自分が明日も生きているとは保証できないし、その時がやってきたときには友人も医者も、薬もお金も名声も、死を止めることはできません。ただ一つ頼りになるものは法の実践だけです。もし、生きている間に功徳をたくさん積んでいるなら、平安のうちに死ぬことができ、白いカルマの結果として好運な転生が約束されています。
 ゆえに、感覚の喜びが永遠の幸せをもたらしてくれるという考えに惑わされてはなりません。もし、美しい景色にとらわれたなら、炎に引きつけられて死に至る蛾のことを考えましょう。音に関しては、狩人の鳥寄せの声に誘われてしまう鴨のことを考えましょう。蜜蜂はハエジゴクの臭いに引き寄せられ、ハエは糞の臭いに引き寄せられてトイレで溺れ死んでしまいます。魚は針の先についた虫が食べたいばかりに釣り上げられてしまいます。象は体をかきたいという欲求にとらわれて、飼い慣らされた仲間に導かれ、二本のトゲのついた木の間に挟まれ、調教師に捕らえられて、つながれてしまいます。これらの例について考え、現世の喜びは新たな苦の原因にほかならないことを理解し、それから離れます。今にも死んでしまうかもしれないことを認識し、つまらないことに時間を無駄にしないようにします。食べ物、着る物を、死刑囚が最後の食事を見るような気持ちで見つめましょう。