智徳の轍 wisdom and mercy

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永遠なる実在

2007-02-21 | ☆【経典や聖者の言葉】
唯一の絶対なるもの。
「真理」こそが彼の御名。
創造者。
恐れもなく、怒りもなく、
生まれることも滅することもない、永遠なる実在
自ら光明を発する
グルの恵みにより
瞑想する。
初めより真理なり。
いつの世も真理なり。
今も真理なり。
それは永遠に真理なり。


   --「グル・グラント」より

心に愛を抱け

2007-02-20 | ☆【経典や聖者の言葉】

ラーマクリシュナ「ブラフマンとシャクティとは、切り離せないものだ。
 シャクティを認めなければ、お前は全宇宙が非実在であることを見出すだろう。『私』も『お前』も、家も建造物も、そして家庭もだ。この世界は、それの背後に根本エネルギーが存在するから、実質のあるものとして存在するのだ。
 もし心棒がなかったら枠組みを作ることはできない。枠組みがなければ、ドゥルガーの美しいお姿もありえないだろう。
 
 世俗性を捨てなければ、人は自分の霊的意識を目覚めさせることはできないし、神を悟ることもできない。世俗的願望の、たとえ痕跡でも残っている間は、彼は偽善者でしかありえない。真っ正直さがなければ、神は悟れないのだ。

  心に愛を抱け。ずるさと偽りを捨てよ。
  奉仕、礼拝、無欲によって、ラーマの聖なるヴィジョンは得られる。

 役所の仕事やビジネスのような世俗的な活動に従事している者でも、誠実さは固守すべきである。誠実さ一つが、カーリー・ユガにおける霊性の修行である。

プランクリシュナ「さようでございます。マハー・ニルヴァーナ・タントラにこう書いてございます。
『おお女神よ、この宗教は人に誠実であり、自制心に富み、揺らぐことなく、慈悲心を持って他者の幸福に献身するように命じています』と。」

ラーマクリシュナ「そうだ。しかしこれらの思想は、消化されなければだめだ。



2007-02-03 | ☆【経典や聖者の言葉】

 ジュニャーニがブラフマンと呼ぶ彼を、ヨーギーはアートマンと呼び、バクタはバガヴァーンと呼ぶ。
 同一のブラーミンが、聖堂で祭事を行なっているときには神職と呼ばれ、台所で食べ物を調理するときにはコックと呼ばれるのだ。

 ジュニャーニは叡智の道を固執し、「これではない、これではない」と言いながら常に実在を求めて推理をする。ブラフマンは「これ」でもなければ「あれ」でもない。それは宇宙でもなければそこに住む生き物でもない。このように推理をして、心は堅固になる。それからそれが消えて、求道者はサマーディに入るのだ。
 これがブラフマンの叡智である。ブラフマンのみが実在、世界は幻であるというのが、ジュニャーニの揺るがない確信である。これらすべての名と形は、夢のように幻影的なものである。ブラフマンが何であるかを説明することはできない。ブラフマンは一個の人格である、と言うことさえできない。これがジュニャーニ、つまりヴェーダーンタ哲学信奉者の意見である。

 しかしバクタは、意識のあらゆる状態を認める。彼らは、目の覚めている状態をも真実のものと認める。彼らはこの世界を夢のように幻影的なものだとは思わない。
 この宇宙は神の力と栄光の現われであると言う。神がこれらすべてのもの--空、星、月、太陽、山々、海、人間、動物など--をおつくりになった。それらは彼の栄光を構成しているのだ。彼はわれわれの内に、われわれの心の中におられる。また、彼は外にもおられる。最も進歩したバクタは、彼ご自身がこれらすべてのもの--二十四の宇宙原理、宇宙、およびすべての生き物になっておられると言う。
 神の信者(バクタ)は砂糖を食べたいと思うのであって、砂糖になりたいとは思わないのだ。
 神を愛する人はどのように感じるものか知っているか。彼の態度は、「おお神よ、あなたは主人であられ、私はあなたの召使です。あなたは母、私はあなたの子供です」というものだ。あるいはまた、「あなたは私の父であり母であられる。あなたは全体であり、私は一部分です」と言う。彼は、「私はブラフマンである」とは言いたがらない。

 ヨーギーはパラマートマン、すなわち至高の真我を悟ろうと努める。彼の理想は、肉体に宿る魂と至高の魂との合一である。
 彼は心を感覚対象から引っ込めて、それをパラマートマンに集中しようと努力する。それゆえ、霊性の修行の最初の段階では、彼は人気を離れたところに退き、決まった姿勢をとり、完全な集中力をもって瞑想を実習する。

 しかし、実在は同一である。違いは名前だけにあるのだ。ブラフマンである彼がそのままアートマンであり、そしてまた、彼がバガヴァーンなのである。

 彼は叡智の道の信奉者にとってはブラフマンであり、ヨーギーにとってはパラマートマンであり、神を愛する人にとってはバガヴァーンなのである。



  --ラーマクリシュナ・パラマハンサ