智徳の轍 wisdom and mercy

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エピクテートス語録いくつか

2005-03-04 | ☆【経典や聖者の言葉】


『奴隷エピクテートスとしてわれは生まれ、身は跛、貧しさはイロスのごとくなるも、神々の友なりき。』



『記憶しておくがいい、きみを侮辱するものは、きみを罵ったり、なぐったりする者ではなく、これらの人から侮辱されていると思うその思惑なのだ。それでだれかがきみを怒らすならば、きみの考えがきみを怒らせたのだと知るがいい。
 だから第一に、心像に奪い去られぬようにしたまえ。なぜなら、もしきみがひとたび考える時間と猶予とを得るならば、容易にきみ自身に打ち勝つだろうから。』



『君は苦労もしないし、また満足もしていない。そしてもし君が一人ぼっちならば、君は孤独だと言うし、またもし人々と一緒ならば、君は彼らを騙り屋だとか、泥棒だとか言う、また君自身の両親や、子供たちや、兄弟たちや、隣人たちをも非難するのである。だが君はただ一人いるときには、それを平和とか自由とか呼び、自分を神的なものに似ていると思うべきであったし、また多くの人々と一緒のときには、俗衆とか喧騒とか不愉快とか呼ばないで、お祭りとか集会とか言って、そしてそのようにしてすべてを満足して受けるべきであったのだ。そうするとそういうふうに受け取らぬ人々には、どういう罰があるか。彼らが持ってるようなそういう気持ちにあることがそれだ。ある人は一人でいることに不満だって。彼は孤独であるがいい。ある人は両親に不満だって。その人は悪い息子として、悲しんでいるがいい。ある人は子供に不満だって。その人は悪い父親でいるがいい。
 「彼を牢獄に入れるがいい。」
 どんな牢獄にか。彼が今いるところがそれだよ。というのは彼はいやいやながらいるからだ。人がいやいやながらいるところは、彼にとっては牢獄である。ちょうどソークラテースが、喜んでいたために牢獄にいなかったように。
 「それで私の足がびっこになったのです。」
 つまらんことを言うね君は、すると君はちっぽけな一本の足のために、宇宙に対して不平なのか。
 それを全体のために、君は捧げないのだろうか。君は退かないだろうか。君はその授けてくれた者に、喜んで従わないのだろうか。君はゼウスによって配置されたもの、つまりゼウスが彼のところにいて、君の誕生をつむぎだした運命の女神と一緒に、定めたり、秩序付けしたりしたものに対して不平で不満なのだろうか。』