智徳の轍 wisdom and mercy

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なさざれば死す

2009-07-16 | ☆【経典や聖者の言葉】


  
 神の聖なる御足にしかとすがりついて居よ、常に神を想え。あなたの時間を世俗の想いによって浪費するな。ともすれば外部に向おうとする心をおさえる様に努力せよ、そして神を想え。
 努力せよ! 一心不乱に努力せよ!
 そうすればやがてあなたは理解するであろう、霊的生活の中にどれ程深い喜びが存在するものであるかという事を! それがどんなに面白いものであるかという事を!
 あなたはマーヤーをすでにこの世に生きているうちに征服しなければならないのだ。それは、あなたが自からを霊の生活に捧げきるのでなければ容易に達せられるわざではない。信仰を、強い信仰を持たねばならぬ、疑いを心の中に入りこませぬようにせよ。


 弟子が問う、「もしそれでも疑いの心が忍び込んでまいりましたならば?」


 あなたが神を実現するまでは、疑いはいくらでも生じるであろう。疑いが心をかき乱す時には、しっかりと神にすがりついてそして祈れ。次の様に思念せよ。「神は在します。私が神を見ない理由はただ一つ、私の心が不純なためである。然し神の恩寵によって心が充分に清くなった時には必ず神の姿をみるであろう」と。

 この心は神を知ることはできない。神は、この減する心の彼方に、人間の知恵の遙か彼方にましますのである。あなたが見ている現象的宇宙は心の支配下にある。心がそれの作者である。心がそれを出現させたのである。この心はおのれの領域以外に出ることはできない。我々が意識する現在の心の背後に種子の形で存在する微妙な霊的な心がある。冥想と祈りとジャパムとによってこの心が啓発され、その発達によって新しい視野がひらける。求道者は数多の霊的真理を自覚する。然しながらこれは最高究極の体験ではない。この精妙な心も神すなわち最高アートマンに到達することはできない。ただ、あなたを一層神の近くまで導くのである。この境地に入ると求道者は現象の世界の持つ一切の魅力を感じない。彼は神の意識に没頭するのである。

 その次にサマーディが来る。サマーディの経験は筆舌には尽すことができない。有無の境を超えたものである。この恵まれた境涯にはもはや幸も不幸もなければ光も闇もない、すべては無限の実在、表現を絶したものである。


 弟子が問う、「マハラージ、私どもは世間の義務をどのように行なうべきでございますか?」


 良心を以てあなたの義務を尽せ。けれど、自分は神の御手の中の一個の道具にすぎないということを常に忘れぬようにせよ。仕事に執着してはならない。神のみが唯一の行為者であるということを心の底に銘記せよ。

 あなたの心を常に神の上に固定せしめよ。おお、そうだ、あなたは自分の心をしっかりと神に結びつけておこうと努力しながらも尚失敗するかも知れない。小我が忍びこんで来るのである。然し、決して失敗によって気を落してはいけない。努力を倍加せよ。最初は失敗は避け難いのである。自己を信じ、必ず勇気を失わぬようにせよ。あなたの理想を実現するまで、再三再四克明の努力をくり返せ。「なさざれば死す。」これをあなたのモットーとせよ。

 「私はまさに今生において神を実現せねばならぬ」これをあなたの標語とするがよい。もしこの肉体と心とがあなたの神への到達を助けないのなら、それ等に一体何の用があろうか。たとえこの企ての半ばで死ななければならぬとしても意に介することはない。


(スワミ・ブラフマーナンダ)

教えの甘露

2009-07-15 | ☆【経典や聖者の言葉】

 グルよ
 解放への誤りない道を示して下さる、完全なる救済者、
 偉大なる慈悲に満ちたお方。
 どうか決してわたしをお見捨てにならず
 永久に、わたしの頭上に
 宝石飾りのようにおとどまりください。
 
 法則の実践者よ、よくお聞きなさい。
 ここにお座りの瞑想者たちよ。
 覚者の教えは数限りないが
 この深遠な道を実践できる者は
 真に才能に恵まれている。
 
 一生で覚者になりたいなら
 現世のものを追い求めてはならない。
 自己の欲求を強めてはならない。
 さもなくば善悪の間で混乱し
 不幸な領域に落ちることになるだろう。
  
 グルに仕えるときは
 「働くのはわたし、楽しむのは彼」
 というような考えを持ってはならない。
 このような気持ちを持てば
 間違いなく争いと不和が生じる。
 そして望みが満たされることは決してない。
 
 タントラの戒を守ろうとするなら
 堕落した者とつきあうのをやめることだ。
 さもなくば悪い影響でけがされてしまい
 戒を破る危険を犯すことになるだろう。
 
 学んだり教わったりするときは
 プライドを持った言葉使いをしてはならない。
 さもなくば眠っている五つの
 毒を持った煩悩の炎が燃え上がり
 善の思考や行為が焼き尽くされてしまうだろう。
 
 仲間と一緒にリトリートで瞑想するときは
 多くのことをやろうとしてはいけない
 さもなくば善行は止み
 集中が散漫になってしまうだろう。
 
 囁きの伝授を受けて、形を持った道を実践するときは
 他のために悪魔を払ったり、幽霊を呪ったりしてはならない。
 さもなくば、悪魔が自分の心の中に生じ、
 現世的な目的を求める気持ちが燃え上がるであろう。
 
 経験と悟りを得ても奇跡の力を誇示したり
 予言を行ったりしてはならない。
 さもなくば、秘密の言葉や象徴が洩れ出て
 徳や、霊的な洞察力が減少してしまうであろう。
 
 これらの落とし穴を用心して避けるようにしなさい。
 悪業を犯してはならない。
 楽しみのために食物を食べてはならない。
 死体の荷物を取ってはならない。
 他人を喜ばせるために、甘いことばを語ってはならない。
 謙虚で慎ましくありなさい。
 そうすれば自分の道が見つかる。
 

(ジェツン・ミラレーパ)

菩薩の悪友・善友

2009-07-15 | ☆【経典や聖者の言葉】

 菩薩を智慧の徹底から遠ざからせ、
 正しい心の覚醒を得ようと願わないようにし、
 表面的な教えのみを学んだり、言葉を飾ったりすることを教えて、
 菩薩に種々雑多な小乗・独覚の法を学ばせ、
 そこに悪魔の働く仕業の働く素因を作るような人々が、
 菩薩・マハ-サットヴァにとっての悪友である。

 菩薩にパーラミターを学ばしめ、
 魔の仕業のいかなるものかを教え、
 魔の誤謬のいかなるものかを教えて、
 それから遠ざからせるような人々が、
 菩薩・マハ-サットヴァにとっての善友である。


(小品般若経)



グルの祝福を受けるとき

2009-07-14 | ☆【経典や聖者の言葉】

 わたしの身体にグルの祝福があるとき
 たくさんの奇跡と多くの変容をなすことができる。
 わたしの口がグルの祝福を受けるとき
 自然に歌を歌い、真髄の教えを与えることができる。
 わたしの心がグルの祝福を受けるとき
 心は悟り、覚者となる。
 
 火に焼かれることも、水に溺れることもない。
 わたしは、象のように歩き、強い自信を持って行為し、踊る。
 
 信ある者たちは、異なる心の状態に従って
 様々な形のわたし見、様々な説法を聞く。 
 これによって解放を得る。
 だが悪いカルマを持った、けがれた者たちは
 わたしの身体を見ることさえできない。
 彼らはその罪ゆえに、苦しまねばならない。
 覚者でさえ、彼らを助けることはできない。
 愛する息子たちよ、法則を一生懸命実践しなさい。
 わたしは、果てしなくしゃべることもできる。
 だが、これ以上の何を忠告できようか。
 
 ああ、罪深き者たちの哀れなことよ。
 解放のチャンスを奪われ、
 あらゆる悲しみに耐える彼らを見て、
 わたしの心は、大きく苦しみ、悩む。
 友よ、しっかりと帰依を実践しよう。
 そして、現世のことはすべて忘れよう。
 来生の準備をするために。


 (ジェツン・ミラレーパ)