智徳の轍 wisdom and mercy

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◎心の要素と形状-容姿の打破

2005-11-30 | ☆【経典や聖者の言葉】


【質問】
 まさに智慧と記憶修習、そして、心の要素-形状-容姿について、これを質問されたので、わたしに語ってください。これはどこで打破されるのですか。

【回答】
 この探求を質問したことについて、わたしはあなたに断言する。心の要素と形状-容姿とは全部打破される。識別の滅尽によって、ここでこれは打破される。

【解説】
 これは大変重要な要素である。つまり、わたしたちを構成しているもの、それは、この粗雑な肉体・感覚・表象・経験の構成・識別という五つのとらわれの集積があるが、わたしたちが識別を完全に超越しない限り、わたしたちのすべての要素は破壊されない。つまり、わたしたちが生死を繰り返すということを、真理勝者であられるサキャ神賢は説いていらっしゃるのである。

◎“流れ”の防止と自制

2005-11-17 | ☆【経典や聖者の言葉】
【質問】
 種々の流れは至る所に流れます。種々の流れを何が防止し、種々の流れを自制するか明言してください。何によって種々の流れは弱められるのですか。

【回答】
 世界における種々の流れは、記憶修習がそれらを防止し、種々の流れを自制するとわたしは明言する。智慧によってそれらは弱められる。

【解説】
 ここでいう“流れ”とは、わたしたちの流転の方向を表わしている。その流転の方向、例えば地獄界や動物界や、あるいは低級霊域へと流転する、その流れを止めるもの、それは何であろうか。それは記憶修習であり、そして、それを弱めるものは、それに対する鋭敏な智慧であるということを表わしているのである。

◎頭と頭のあちこちが割れること

2005-11-14 | ☆【経典や聖者の言葉】


「バーヴァリは、
頭と頭のあちこちが割れることを尋ねました。
世尊よ、それに回答してください。
尊い人よ、
わたしたちの不信を除去してください。」
「頭とは非神秘力と気づきなさい。
種々の信と記憶修習とサマディによって、
決意と精進によってつながった神秘力が、
頭のあちこちが割れる状態である。」

 肉体における部所と霊的なものとの関係について、これから少し説明をしよう。
 わたしたちの真我そのものは心臓に宿り、そしてイメージ、これは頭に宿っている。したがって、頭が破壊される、イコール、アストラルの破壊であり、本質的には解脱をしない限り、頭が崩壊することはないのである。したがって、その部分をサキャ神賢はお説きになったのである。
 つまり、頭のあちこちが割れる状態とは、解脱、神秘力と結びつくのである。また一方、頭というのは非神秘力である。頭がアストラルであるということは、すでに非神秘力に至ってしまっているということを表わしている。

「ペジデ王の話」

2005-11-01 | ☆【経典や聖者の言葉】

 アリカタという町に、ペジデ(Pegyide)という名の、賢明で公正で寛容な王が住んでいた。ギャジン(Gyajin)という神が、彼を試そうと決意され、人間界に降りられた。そのとき、王の大臣の一人が夢を見て、王にこう警告した。
「あなたは寛大だから、それでギャジンという神が嫉妬をしています。神は降りてこられ、あなたの体を供物として要求するかもしれません。寛大さは美徳ですが、自分の体、またはその類いのものを与えるのは、何の徳にもなりません。」
 それに対して王は、こう答えた。
「もし、乞食の望みをかなえてやれないなら、生きている価値はない。それでは死体と同じである。」
 これを聞いて大臣は、王が自らの忠告を聞き入れないことを悟り、それ以上議論するのをやめた。
 近くの森に、バラモンの学者が住んでいた。彼は、過去のカルマによって、王妃に恋をした。その若い弟子が、先生は何をお望みですかと尋ねたところ、その学者は、
「私は富が欲しいわけではないが、王妃を私のところに連れてきてくれたなら、大変うれしいのだ。」
と答えた。
 物おじしながらも従順に、その弟子は宮殿に向かった。王は、彼が来るのを遠くから見て、施し物を求めているものと考え、喜んだ。
 その弟子が近付いてきたとき、その怖がっている様子を見、安心させるために、王はこう言った。
「あなたの望みを話してごらん。それをかなえてあげるから。」
「私は、王妃様をいただきたいと思って来ました。」
と弟子は答えた。
 王は、王妃を深く愛していたので、王妃なしに生活することを耐え難く思われた。しかし、約束した通り、王妃を連れていくことを許した。
 そのバラモンは、自分の前で怖がっている王妃を見たとき、自らの間違いに気付き、その行ないを悔い改め、王妃に王の元へ戻るように言った。そのとき、王妃の青ざめていた顔が赤らみ、うれしそうになった。
 そのとき、ギャジン神は、はらわたが食われたバラモンの姿で現われた。彼は宮殿に担架で運ばれた。彼の姿は、あまりにも恐ろしく見るに堪えないもので、彼を見た者は皆、目を背けた。
 しかし、王様は会いたがり、彼を引き取った。傷付いたバラモンは言った。
「虎が私のはらわたを食いちぎったのです。神によれば、悔やむことなく私にはらわたを与えてくれる人によってのみ、私は生き永らえることができます。そうです、あなただけがそれができるのです。」
 王は、自分の体を与えることを約束した。しかし、警告の夢を見た大臣がこう言った。
「陛下、あなたの体を与えることは、望みをかなえる宝石を壊すようなものです。宝石は石になってしまい、誰のためにもなりません。このバラモンは悪魔です。」
 王は答えた。
「過去世においても、私は自分の体を何回も与えた。それでも、悪いことは何ひとつ起きなかった。」
 そして王は、のこぎりを持ってこさせ、居合わせた者が泣き叫ぶ中、自分の腹を切り開き、そのバラモンのおなかの穴に、自分のはらわたを移した。
 たちまち、その治ったバラモンは起き上がり、王に敬意を表わした。そして、自らの正体を明かし、元通りになる甘露を王に与えた。
 そのとき、大地は揺れ、空に虹が現われ、花の雨が降った。バラモンの学者も、王妃を連れて到着し、王妃を王に返した。
 この王こそ仏陀釈迦牟尼であった。

「ラブセ王の話」

2005-11-01 | ☆【経典や聖者の言葉】


 ラブセ(Rabse)という公明正大な王がいた。王は、クントゥドロという名の象の調教師を抱えていた。ある日、クントゥドロは、美しい野生の象をつかまえた。彼は、その象を宮殿に連れていき、王に見せた。喜んだ王は、クントゥドロと一緒に象に乗り、森へ向かった。突然、その象はメスの象をかぎつけ、走り出し、大変暴れ出した。
 びくびくしながら、王はクントゥドロに、象の調教は失敗だったなと言った。それに対して、クントゥドロは、自分は象の体はコントロールできるが、心はできないと答えた。そして、心をコントロールするという難しい仕事は、瞑想をしている隠者の仕事だと言った。
 クントゥドロは、象を放し、落ち着きを取り戻したところで、もう一度つかまえるように、王に提案した。王はそれに同意し、縄をはずし、ある木の枝にはい登った。そして、けがもなく、馬に乗って宮殿に戻った。
 メスの象と七日間一緒にいた後、その象は主人と調教師の元へ戻った。喜びながら、クントゥドロは王に言った。
「私の命令を思い出して、この象は自分で戻ってきたんですよ。」
 彼は、自分の主張をさらに証明するために、熱い鉄板を取り上げるように象に命じた。すると象は、ためらわず胴体を揺すり、鉄板をつかんだ。
「やめなさい。」
王は、完全に納得して言った。
 そして王は、クントゥドロが象を調教したくらい心を鍛練することのできる人はいないものかと尋ねた。すると神が、「仏陀」の名を告げた。
 その名を聞いた途端、すぐに王は、すべての人々の幸福のために、悟りを得ることを望んだ。というのは、彼は昔からその素養を持っていたからである。
 菩提心が、彼に芽生えた。この王こそ、あの仏陀釈迦牟尼である。