智徳の轍 wisdom and mercy

                  各種お問い合わせはbodhicarya@goo.jpまで。

◎身体のとらわれの捨断

2006-01-30 | ☆【経典や聖者の言葉】

【質問】
 わたしは老いて、力がなく、賛美から離れ、目は清潔ではなく、聞くことは快適ではありません。わたしが気絶して、中途で滅びないように願います。わたしが識別すべき、ここに出生と老いの中断となる法則を明かしてください。

【回答】
 種々の形状-容姿において悩まされているのを見ても、種々の形状-容姿において、怠惰な人々は苦しめられる。この理由ゆえに、あなたは怠惰でなく、再び生存することがないように、形状-容姿を捨てなさい。

【解説】
 ここでは、肉体についての検討はなされていない。なぜならば、彼のステージはすでに形状界へ突っ込んでいたとサキャ神賢は考えていたからである。
 よって次に、その形状界における身体に対するとらわれを捨断しなさいとサキャ神賢は説いていらっしゃる。これによって彼は、法身(ダルマカーヤ)、つまり形のない世界、非形状界へと没入し、より長い生命原理によって生きることができるというのである。
 ここで少し解説を加えておこう。
 ピンギヤの質問の中に、「老いて、力がなく、賛美から離れ、目は清潔ではなく、聞くことは快適ではありません」とあるが、それは今の肉体の状態を言っているのである。また、「気絶して、中途で滅びないように願います」という言葉は、サキャ神賢の教えの最中に死んでしまうかもしれないから、それを守ってくださいと言っているのである。
 また、サキャ神賢の言葉、「種々の形状-容姿において、怠惰な人々」とは、形状-容姿に対して熟考しない、検討しない、イコール怠惰ということを表わしているのである。

◎空の実態

2006-01-26 | ☆【経典や聖者の言葉】

【質問】
 世界をどのようにじっと見つめる人に、死の神の王は訪れないのでしょうか。

【回答】
 いつも記憶修習し、自己の謬見を後で抜き捨て、世界を空【くう】とじっと見つめなさい。このように死の神を渡ることができる。世界をこのようにじっと見つめる人に、死の神の王は訪れない。

【解説】
 これは大変高度な内容である。つまり、空の実態とは何かということに言及していらっしゃるのである。
 それは、データによって空が阻害されているわけだが、そのデータ、イコール謬見解を絶えず取り払う作業を行なうならば、死の神は訪れないということを言っていらっしゃるのである。

◎真理勝者のようになるには

2006-01-24 | ☆【経典や聖者の言葉】
【質問】
 離生存した形状-容姿の認知を持ち、すべての身体を捨断し、心の中と外側とに「何もあることはない」と見る人の精通を、わたしはお尋ねします。どのようにそのような人は導かれ得るのでしょうか。

【回答】
 すべての識別の継続を証智しながら、真理勝者はこれのある状態、離解脱した、それの最終地点をわかっている。無所有の状態の起源をわかっており、「喜悦がきずなである」と、まさにこのように証智し、これからそこで正観する。その完成した祭司には、この精通、真理がある。

【解説】
 質問は、どのようにしたら真理勝者のようになるのかということである。
 まず第一は、すべての識別そのもの、自分自身の中でどのような識別がなされているかを正確に理解しながら、それが完全に崩壊した状態、なくなった状態まで理解しているということである。
 それから第二は、無始の過去の真我独存位の状態が理解できていること。
 それから第三番目は、その真我独存位からどのようにして落下したかというと、グナの干渉によって、歓喜によって、喜悦によってとらわれたんだと、つまり、きずなができたんだということを理解していること。
 そして第四は、真我とグナとの関係についての正しい観察が行なわれていることなのである。

◎識別の打破

2006-01-23 | ☆【経典や聖者の言葉】


【質問】
 どのように記憶修習し、実行すると、種々の識別は打破されるのでしょうか。

【回答】
 心の中と外側との感覚に喜びを見いださず、そのように記憶修習し、実行すると、種々の識別は打破される。

【解説】
 ここでは、識別の打破について質問されている。
 サキャ神賢は「心の中と外側との感覚に喜びを見いださず、そのように記憶修習し、実行すると、種々の識別は打破される」と説いておられる。要するに、無頓着の修行をせよということなのである。

◎輪廻転生のきずな

2006-01-15 | ☆【経典や聖者の言葉】

【質問】
 では何が世界へのきずなでしょうか。では何がその吟味でしょうか。その何の中断によって煩悩破壊といわれるのでしょうか。

【回答】
 喜悦が世界へのきずなであり、熟考がその吟味であり、渇愛の中断によって煩悩破壊といわれる。

【解説】
 これはまず、輪廻転生をする場合のきずなが何であるかということ、それから、二番目がそれをどのように吟味するかということ、三番目はそれをどのように捨断するかということ、この三つについての質問である。
 サキャ神賢は、その世界に対する喜悦がきずなであり、それに対して熟考することが吟味であり、渇愛の中断によって煩悩破壊があるとおっしゃっている。

◎認識離解脱

2006-01-04 | ☆【経典や聖者の言葉】


【質問】
 非神秘力を細分することである認識離解脱を語ってください。

【回答】
 種々の愛欲の衝動と種々の落胆との両方の捨断を、そして、頑固の排除、種々の後悔の防止を、無頓着と記憶修習による罪のないこととを、先に起こった正しい論法を、非神秘力を細分することである認識離解脱と、わたしは語る。

【解説】
 これは、認識離解脱とは何でしょうかという質問に対するサキャ神賢の答えである。
 第一と第二は種々の愛欲の衝動と落胆の捨断。第三は頑固の排除。四番目は種々の後悔の防止。第五に無頓着と記憶修習による罪のないことを挙げていらっしゃるのである。
 「先に起こった正しい論法」について説明しておこう。これは、頑固の排除とか落胆の排除とか後悔の排除とかを実践させるための、それらを支えている論法があるわけである。それを認識離解脱といってるのである。

◎死の軍勢を破る方法

2006-01-04 | ☆【経典や聖者の言葉】


【質問】
 住宅を捨てて、渇愛を断ち切り、欲望や性欲がなく、喜悦を捨てて、氾濫を渡り、離解脱し、期間を捨てている大変頭の良い方に問います。あなたの話題を要望しながら、様々な人々が種々の地方から会合しています。どうか、あなたは彼らに明らかにしてください。全く同様に、あなたはこの法則を知っているからです。

【回答】
 渇愛を持つことをすべて除去しなさい。というのは、上に、下に、横に、そして同一に、真ん中という世界において、とらわれるどんなものでも、まさにそれによって破滅天は、生命あるものに取り入るからである。この理由ゆえに、認識し理解しながらとらわれないようにしなさい。この死の神の領域にしっかりつかまれた弟子は「(破滅天に)帰属の生命体たち」であると凝視しながら、向煩悩滅尽多学男は、すべての世界において道徳的汚点を記憶修習する。

【解説】
 この項目では、渇愛の除去こそが死の軍勢を破るただ一つの方法であるということを言っていらっしゃる。ここでの「道徳的汚点を記憶修習する」というのは、道徳的汚点に注意して、それを破らないような形の記憶修習をするということである。

◎安穏の条件

2006-01-04 | ☆【経典や聖者の言葉】


【質問】
 安穏の手段を明言してください。

【回答】
 種々の感覚の喜びの対象において、意地汚い欲望を除去しなさい。解放を安らぎと見て、道徳的汚点である、獲得されたものや真我でないものをあなたに存在させてはならない。以前のものは枯らしなさい。後に道徳的汚点をあなたに存在させてはならない。存在の現存状態でとらわれないならば、あなたは寂静に臨んで動き回って生活するだろう。

【解説】
 ここでのポイントは、安穏、安らぎの条件について質問され、それに対してサキャ神賢は答えているのである。
 まず第一番目は、感覚の喜びの対象に対する意地汚い欲望を除去する。
 第二は、真我以外のいかなるもの、つまり道徳的汚点に対応するいかなるものも存在させてはならない。
 第三は、以前から所有している内側の欲望、あるいはデータについて、それを止滅しなさいということ。
 第四は、その後に道徳的汚点を生起させてはならないということを言っていらっしゃるのである。

◎かの岸とは異なる“陸”

2006-01-01 | ☆【経典や聖者の言葉】


【質問】
 大きい恐怖ある氾濫が生じ、湖に似たものの真ん中でとどまっている、老いによる死の神に打ちひしがれた人たちの陸を語ってください。そして、引き続いて、これがあることがないように、あなたはわたしに陸を言明してください。

【回答】
 道徳的汚点がなく、愛執がないこと、これが陸に別のものではなく、老いによる死の神の完全な破壊である煩悩破壊である。これを認識し、記憶修習し、この世界で完全覚醒した人たち、彼らは欲望満足で破滅天の後に続くことはなく、彼らは破滅天に喜んで仕えることはない。

【解説】
 これは、老いにより苦しんでいる人が、道徳的汚点がなく、愛執がない――つまり、例えばこの現世に対してとらわれがない、いっさいの心の働きに対してとらわれがないという状態になること、この状態こそが“陸”であると言っていらっしゃるのである。
 この“陸”とは何かというと、一時的に安らがせる場所、しかし、まだそこは“かの岸”ではないことを表わしている。また、「この世界で完全覚醒した人たち」とは、ようやく愛欲界から解放されたということを意味している。

◎神賢の要素

2006-01-01 | ☆【経典や聖者の言葉】


【質問】
 彼は要素の蓄積の影響を受けないのでしょうか。それとも、望みがあるのでしょうか。彼は著しく精通を有する者なのでしょうか。それとも、智慧を有することを得ようとしているのでしょうか。それだから、わたしは神賢を識別したいのです。わたしにそれを数え上げてください。

【回答】
 彼は要素の蓄積の影響を受けず、そして、彼は望みがあることはない。彼は著しく精通を有する者であり、智慧を有することを得ようとしているのではない。このように同様に、神賢を識別しなさい。道徳的汚点がなく、愛欲による生存において、愛着のきずなで結びついていない。

【解説】
 ここでは、神賢とは何であるか、つまりムニとは何であるか、そのムニの要素について項目を数え上げてください、つまり、分類してくださいというふうに質問してるのである。
 それに対して、サキャ神賢の答えは、「彼は要素の蓄積の影響を受けず、そして、彼は望みがあることはない。彼は著しく精通を有する者であり、智慧を有することを得ようとしているのではない。道徳的汚点がなく、愛欲による生存において、愛着のきずなで結びついていない」と数え上げているのである。

◎離解脱の三つの要素

2006-01-01 | ☆【経典や聖者の言葉】

【質問】
 種々の感覚の喜びの対象が住むことなく、渇愛が存在せず、そして、どのようにと問うことを渡った人、彼の離解脱はどのようなものですか。

【回答】
 種々の感覚の喜びの対象が住むことなく、渇愛が存在せず、そして、どのようにと問うことを渡った人、彼の離解脱は別ではない。

【解説】
 これは、種々の感覚の喜びが存在しない。そして二番目に渇愛が生じない。三番目に疑念がない。この三つの要素を有した人は、どのような状態の人であるかという質問をサキャ神賢になしているのである。
 これに対して、サキャ神賢は、その人こそ離解脱した人と変わりはない、つまり離解脱した人であると言っているのである。