智徳の轍 wisdom and mercy

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種子

2004-10-31 | ☆【経典や聖者の言葉】
二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、種々の草木の種子の群が発達し成長し充実するようになるのはどんなものもすべて、それらは大地によって大地に確立するのであって、このように、これらの草木の種子の群は発達し成長し充実するようになる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は、戒によって戒を確立して、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、種々の法則において、発達し成長し充実するのを得るのである。向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、戒によって戒を確立して、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、種々の法則において、発達し成長し充実するのを得るのであろうか。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
四 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
五 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
六 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、戒によって戒を確立して、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、種々の法則において、発達し成長し充実するのを得るのである」と。

2004-10-31 | ☆【経典や聖者の言葉】
二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、力でなすべき仕事がなされるのはどんなものもすべて、大地によって大地に確立するのであって、まさにこのように、それらの力でなすべき仕事はなされる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は、戒によって戒を確立して、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのである。向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、戒によって戒を確立して、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのであろうか。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
四 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
五 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
六 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、戒によって戒を確立して、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのである」と。


衣服

2004-10-30 | ☆【経典や聖者の言葉】
二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、種々の織物の衣服にはどんなものも、カーシ(太陽)国産の衣服がそれらの最上であると言明される。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、善の法則はどんなものもすべて、怠惰でないことによってもたらされ、怠惰でないことに一致し、怠惰でないことはそれらの法則の最上であると言明されるのである。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、怠惰でない向煩悩滅尽多学男には、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なう、これが望まれるべきである。向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな怠惰でない向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
五 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
六 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
七 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
八 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、怠惰でない向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのである」と。

太陽

2004-10-26 | ☆【経典や聖者の言葉】
二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、秋の時の突き通され、雲の消滅した天空で、太陽は上空の上方に出、空に達し、闇に至るすべてを滅ぼして、そして照り、そして燃焼し、そしてきらきら輝く。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、善の法則はどんなものもすべて、怠惰でないことによってもたらされ、怠惰でないことに一致し、怠惰でないことはそれらの法則の最上であると言明されるのである。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、怠惰でない向煩悩滅尽多学男には、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なう、これが望まれるべきである。向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな怠惰でない向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
五 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
六 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
七 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
八 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、怠惰でない向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのである」と。

2004-10-16 | ☆【経典や聖者の言葉】

二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、種々の星の光の光はどんなものもすべて、月の光の十六分の一にも値しないのであり、月の光がそれらの最上であると言明される。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、善の法則はどんなものもすべて、怠惰でないことによってもたらされ、怠惰でないことに一致し、怠惰でないことはそれらの法則の最上であると言明されるのである。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、怠惰でない向煩悩滅尽多学男には、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なう、これが望まれるべきである。向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな怠惰でない向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
五 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
六 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
七 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
八 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、怠惰でない向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのである」と。


王子

2004-10-16 | ☆【経典や聖者の言葉】
二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、支配されている王子はどんな人もすべて、転輪王の家来であり、転輪王がそれらの最上であると言明される。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、善の法則はどんなものもすべて、怠惰でないことによってもたらされ、怠惰でないことに一致し、怠惰でないことはそれらの法則の最上であると言明されるのである。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、怠惰でない向煩悩滅尽多学男には、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なう、これが望まれるべきである。向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな怠惰でない向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
五 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
六 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
七 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
八 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、怠惰でない向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのである」と。

マツリカ

2004-10-15 | ☆【経典や聖者の言葉】
二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、花の香りはどんなものも、マツリカがそれらの最上であると言明される。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、善の法則はどんなものもすべて、怠惰でないことによってもたらされ、怠惰でないことに一致し、怠惰でないことはそれらの法則の最上であると言明されるのである。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、怠惰でない向煩悩滅尽多学男には、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なう、これが望まれるべきである。向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな怠惰でない向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
五 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
六 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
七 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
八 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、怠惰でない向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのである」と。

心材

2004-10-15 | ☆【経典や聖者の言葉】
二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、心材の香りはどんなものも、赤ビャクダンがそれらの最上であると言明される。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、善の法則はどんなものもすべて、怠惰でないことによってもたらされ、怠惰でないことに一致し、怠惰でないことはそれらの法則の最上であると言明されるのである。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、怠惰でない向煩悩滅尽多学男には、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なう、これが望まれるべきである。向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな怠惰でない向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
五 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
六 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
七 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
八 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、怠惰でない向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのである」と。

2004-10-14 | ☆【経典や聖者の言葉】
二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、根の香りはどんなものも、この黒みがかった芳香性のビャクダンが、それらの最上であると言明される。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、善の法則はどんなものもすべて、怠惰でないことによってもたらされ、怠惰でないことに一致し、怠惰でないことはそれらの法則の最上であると言明されるのである。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、怠惰でない向煩悩滅尽多学男には、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なう、これが望まれるべきである。向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな怠惰でない向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
五 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
六 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
七 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
八 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、怠惰でない向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのである」と。

屋根

2004-10-12 | ☆【経典や聖者の言葉】
二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、家の屋根の梁はどんなものもすべて、屋根に至り、屋根に下り、屋根に一致するのであり、屋根がそれらの最上であると言明される。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、善の法則はどんなものもすべて、怠惰でないことによってもたらされ、怠惰でないことに一致し、怠惰でないことはそれらの法則の最上であると言明されるのである。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、怠惰でない向煩悩滅尽多学男には、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なう、これが望まれるべきである。向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな怠惰でない向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
五 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
六 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
七 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
八 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、怠惰でない向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのである」と。

足跡

2004-10-12 | ☆【経典や聖者の言葉】

二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、種々の動くことのできる生き物の生じた足跡はどんなものもすべて、象の足跡の中に兼ね備わるのであり、象の足跡が、それらの最上であると言明される。すなわち、偉大だからである。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、善の法則はどんなものもすべて、怠惰でないことによってもたらされ、怠惰でないことに一致し、怠惰でないことはそれらの法則の最上であると言明されるのである。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、怠惰でない向煩悩滅尽多学男には、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なう、これが望まれるべきである。向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな怠惰でない向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
五 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
六 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
七 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
八 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、怠惰でない向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのである」と。

静慮に関係付けられた経典 第二 怠惰でないこと品 【一三】第一 真理勝者

2004-10-10 | ☆【経典や聖者の言葉】


二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、種々の生命体で、あるいは足のないもの、あるいは二本足のもの、あるいは四本足のもの、あるいは数多くの足があるもの、あるいは形状-容姿を持つもの、あるいは形状-容姿を持たないもの、あるいは認知を持つもの、あるいは認知を持たないもの、あるいは非認知を持ち非非認知を持つものについては、供養値魂・最上正覚者であられる真理勝者が、それらの最上であると言明される。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、善の法則はどんなものもすべて、怠惰でないことによってもたらされ、怠惰でないことに一致し、怠惰でないことはそれらの法則の最上であると言明されるのである。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、怠惰でない向煩悩滅尽多学男には、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なう、これが望まれるべきである。向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな怠惰でない向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
五 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
六 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
七 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
八 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、怠惰でない向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうのである」と。

静慮に関係づけられた経典 ガンガー復唱 海

2004-10-09 | ☆【経典や聖者の言葉】
【七】第七 海(一)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、ガンガー河は海に下り、海に傾斜し、海に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【八】第八 海(二)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、ヤムナー河は海に下り、海に傾斜し、海に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【九】第九 海(三)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、アチーラヴァティー河は海に下り、海に傾斜し、海に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【一〇】第十 海(四)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、サラブー河は海に下り、海に傾斜し、海に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【一一】第十一 海(五)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、マヒー河は海に下り、海に傾斜し、海に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【一二】第十二 海(六)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、種々の大きな河がある。つまり、ガンガー、ヤムナー、アチーラヴァティー、サラブー、マヒーである。それらはすべて海に下り、海に傾斜し、海に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


ガンガー復誦
  東に下ることにより六つ、
  海に下ることにより六つ、
  そして十二のガンガーがあり、
  品はそれによって著しく言われる。

 静慮に関係づけられた経典の
 第一 ガンガー復誦

静慮に関係づけられた経典(ジャーナ・サンユッタ) 第一 ガンガー復誦 第一の清潔な状態・東

2004-10-06 | ☆【経典や聖者の言葉】




【一】第一 第一の清潔な状態・東(一)
一―二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、そこで実に、これら四つの静慮がある。何が四つであろうか。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
四 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
五 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
六 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
七 向煩悩滅尽多学男たちよ、これらが実に四つの静慮である」と。
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、ガンガー(大変速い河)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。

  静慮に関係づけられた経典の第一の清潔な状態の経の終極である。
  同様に記憶修習の現象化も詳しくされるべきである(このように願望の基準まで詳しくされるべきである)。


【二】第二 東(二)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、ヤムナー(双子の河)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【三】第三 東(三)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、アチーラヴァティー(すぐ必要とされる河)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【四】第四 東(四)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、サラブー(沼地の存在)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【五】第五 東(五)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、マヒー(大地の河)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【六】第六 東(六)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、種々の大きな河がある。つまり、ガンガー、ヤムナー、アチーラヴァティー、サラブー、マヒーである。それらはすべて東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。

能力に関係づけられた経典(バラ・サンユッタ) 第一 ガンガー復誦(遠離を目的とする)

2004-10-05 | ☆【経典や聖者の言葉】





【一】第一 東(一)
二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、五つの能力がある。五つは何であろうか。信の能力、精進の能力、記憶修習の能力、サマディの能力、智慧の能力である。向煩悩滅尽多学男たちよ、これらが実に五つの能力である」と。
三 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、ガンガー(大変速い河)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽を目的とし、安楽に回向する信の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する精進の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する記憶修習の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向するサマディの能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する智慧の能力を修習する。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【二】第二 東(二)
三 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、ヤムナー(双子の河)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する信の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する精進の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する記憶修習の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向するサマディの能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する智慧の能力を修習する。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【三】第三 東(三)
三 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、アチーラヴァティー(すぐ必要とされる河)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する信の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する精進の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する記憶修習の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向するサマディの能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する智慧の能力を修習する。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【四】第四 東(四)
三 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、サラブー(湖に似た存在)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する信の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する精進の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する記憶修習の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向するサマディの能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する智慧の能力を修習する。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【五】第五 東(五)
三 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、マヒー(大地の河)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する信の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する精進の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する記憶修習の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向するサマディの能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する智慧の能力を修習する。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【六】第六 東(六)
三 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、種々の大きな河がある。つまり、ガンガー・ヤムナー・アチーラヴァティー・サラブー・マヒーである。それらはすべて東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
四 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する信の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する精進の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する記憶修習の能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向するサマディの能力を修習する。
 遠離を目的とし、離愛著を目的とし、滅尽を目的とし、安楽に回向する智慧の能力を修習する。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は五つの能力を修習し、五つの能力を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。