ナレンドラ(ヴィヴェーカーナンダ)は最愛の師が不治の病におかされ、そして長くは保たないということを知り、自分の宗教的実践に打ち込んだ。神の姿を見たいというあこがれには際限がなかった。ある日、彼は師に時々少量の食物をとるために瞑想を中断するだけで、一気に三、四日間、サマディに没頭し続けられるように願った。「おまえは愚か者だ。それよりもっと高い境地がある。それは“おお、神よ! 汝は存在するもののすべてである”と、おまえはうたっているではないか」と、師は言った。聖ラーマクリシュナは、弟子にあらゆる生命体の中に神を見、そして崇拝の念をもってそれらに奉仕することを求めたのである。
(中略)
又あるとき、同じような願いに応えて、聖ラーマクリシュナはナレンに言った。「恥を知りなさい! おまえはそんなつまらないものを求めているのですか。おまえは大きなバンヤンの樹となり、無数の人々がその樹の陰で休息するようになると、私は思っていた。それなのに、今自分だけの解脱を求めています」と。しかられたナレンドラは激しく涙した。聖ラーマクリシュナの心の偉大さを知ったからである。
(中略)
又あるとき、同じような願いに応えて、聖ラーマクリシュナはナレンに言った。「恥を知りなさい! おまえはそんなつまらないものを求めているのですか。おまえは大きなバンヤンの樹となり、無数の人々がその樹の陰で休息するようになると、私は思っていた。それなのに、今自分だけの解脱を求めています」と。しかられたナレンドラは激しく涙した。聖ラーマクリシュナの心の偉大さを知ったからである。