酔生夢死の日録

ド素人が好き勝手に語る妄言です

カンニングで逮捕!(幼児化する日本)

2011年03月03日 | テレビ
呆れてものが言えない。


大学入試でネット経由でカンニングしたということで、19歳の予備校生が

「偽計業務妨害」(早い話が、カンニングという不正によって大学に

調査等の余計な手間を掛けたということ)で逮捕された。

私には「ありえない」という感想しかない。

元々自ら管理すべき事項であるカンニングに対する十分な不正防止対策を

怠っていた大学側が、被害者面をして被害届けを出して、

それを受けた警察が逮捕したという驚くべき内実。

(もっとも逮捕そのものには、予備校生が前日から行方不明になっていて、

最悪の場合自殺の懸念もあり家族から捜索願が出されていたこともあり、

保護するという意味合いがあった。さらには逮捕することによって類似犯罪を

予防する狙いがあったという見方がある)

しかし本来カンニングの処理など大学内部ですべきものだろう。

(但し京大の場合、合格発表の日が間近に迫っていて、早急に結論を出す為に

時間の掛かる内部調査ではなく、警察の強制力に頼ったという見方がある)


ところで今回の問題で私が一番不思議に感じたことと言えば、

それはカンニングごとき問題でなぜここまで大騒ぎするのかということ

であった。

それは正直言って未だに分からない。

(リビア問題は膠着化の方向だし、NZ地震も終局したようで

マスメディアは新たな話題を求めていたというのが判り易い解説だが・・・)


一部には、ネットの隆盛により大幅な減益を余儀なくされている

既存のマスメディア(新聞・テレビ)が、ネット批判に利用したという意見

も出ている。


ところで、この事件に関してTBSの夕方のニュース番組「Nスタ」に

出ていた女性弁護士が「これだけ世間に与えた衝撃が大きいだけに・・・」

と言っていたが、単にマスメディアが勝手に大騒ぎしていただけで、

そもそも大騒ぎすること自体の是非を問う視点がないのには少々驚いた。

(これは私の勝手な見方ではあるが、社会に与えた影響を重視する余り、

決して問題の本質を問うことはしない法律家らしい特徴だと思った)


それはさておき先程テレビで京大の学長が、被疑者の予備校生に対して

「反省して更生して頂きたい」と言っていたのを聞いて思わず腹がたった。


京大がしっかりした不正防止対策を講じていれば、

予備校生のカンニングは事前に発覚して未遂に終わったはずであり、

こんな騒動は起こらなかったということへの反省がこの言葉からは

まるで感じられない。


さらに日本テレビに言いたい。

被疑者の祖父にコメントを求めていたが、何の必要があるのか。

家族への強引な取材は、もはや立派な”暴力”であることを認識すべきだ。

(こんなことを言っても無駄なことは分かってはいるが・・・)

予備校関係者への取材も全く同様。

「謝罪」を述べることを求めるシナリオが出来ているのだ。


しかし彼らマスメディアが、今回の事件に関して殆ど(或いは一切)報じない

ことがある。

それは「逮捕する必要はない」という意見であり、

「報道が過剰・異常だ」という指摘である。

要するに報道機関というものは、自身の報道に異議を差し挟むもの・

批判するものに対しては徹底的に排除して、自らの”正当性”を主張する

のである。

テレビでは「ああいう行為は許せない」という受験生の意見しか流さない。

もちろんカンニングを是認する意見は殆どないだろうが、ネットでは

「騒ぎすぎ」という意見がかなりあるのだが、これはテレビ・新聞などの

マスメディアではなぜか殆ど報道されることはない。

これはメディアについて考える場合、極めて重要かつ異常な問題だ。


とは言うものの、この問題を真剣に取り上げる人は極めて少ないのが現状だ。



これは言うまでもなく、多様な意見を紹介すべきジャーナリズムの採るべき

態度ではない。


このジャーナリズムの恐るべき幼児的・独裁的思考については、

我々はもっと注意深くあるべきだ。

今更言うまでもないことではあるが、「世論」などというものは

簡単に”作られる”ものだからだ。


私が今回のブログの副題に「幼児化する日本」と付けた理由は

最近の日本で目に余るほど行なわれている「問題の単純化」や

「多様な意見の排除」等の傾向に対して不満を抱いているからに他ならない。