パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

自分の声

2008年11月03日 15時47分17秒 | Weblog
「ただいまのメッセージをお聞きになりたい方は1を
 変更したい方は2を、、、」

これは先日留守番電話にメッセージに残したときのこと
いつもなら確認もしないで切ってしまうのだけれど
不意に自分の声ってどんなだろうか?
の興味だけで1を押してみた

なるほど、こんな声なのか?
思ったより鼻にかかっている
みんなはこんな声を聞いているんだ
自分の体を通して聞くのとずいぶん違う
それとも電気を通すと違って聞こえる声のタイプなのかな?
声の良く通る人も通らない人もいて
自分はもしかして通らない方なのかな?
等などいろんなことを思ったが
そのうち以前から疑問に思っていたことに考えが至った

それは本を黙読する時や
仏壇に手を合わせて挨拶する時などの
頭に浮かんだ声のこと
いったいこれはどの声なんだろう?
いつもしゃべっている声の記憶なのだろうか?
なんだかそうでもないような気がする
と言って先ほど聞いたみんなが聞いている声でもないようだし
試しに高い声で頭の中で歌ってみると
高い声は出ない
とするとやっぱり記憶の中の自分の声なのだろうか?

ま、いつものごとく、どうでもいいことなのだけれど
黙読も最初のうちは声の存在を感じているけれど
そのうちに内容に引き込まれていくと
声も感じなくなっていく
そのときは果たして言葉が言葉として理解しているのだろうか?
厳密な意味ではもっとアバウトな捉え方をしているような
気がしないではないが、、、

休日の午後、こんなことを考えるのは
暇を持て余し過ぎ?


コメント
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