パンセ(みたいなものを目指して)

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「ボヘミアン・ラプソディ」を見に行った

2019年01月08日 18時10分00秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

やっと「ボヘミアン・ラプソディ」を見に行った
ずっと前から気になっていたが、何故か気が進まずほったらかしになっていた
でもアカデミー賞候補のニュースを聞いて、やっと重い腰を上げることになった
(アカデミー賞候補だから行くというのは少し屈辱的な気分だが)

クイーンはアルバムを持っているわけじゃない
たった一枚ベスト盤を持っているだけ
CDのライナーノーツや歌詞は字が小さいのでほとんど読まず
音から感じるものを楽しむだけになっていた
中心人物のフレディ・マーキュリーが同性愛者でエイズで亡くなったことは知っていた

映画を見て(音楽を聴いて)クイーンはコーラスグループなのだと改めて実感した
あのビートルズも一種のコーラスグループなのかもしれない(ビコーズなどの楽曲はその例)
クイーンも音色が似た声でハモり方がとてもきれい
そして歌いやすそうな声を張り上げるメロディ(フレーズ)は思い切り気分爽快
ベスト盤で知った楽曲がこれでもかと流れるので映画は退屈するところがない

ストーリーは大まかに知っている彼の生き様をたどっている
最終的な結果を知っているので段々気が重くなっていく(同性愛とかエイズとか)
創造的な人間というものは何かと引き換えにその力を得ているのかもしれない
ふとそんなことが頭に浮かぶ
そして人は有頂天になるような経験をしたならば、天狗になってしまうのも致し方ない
とも思う(ただしそのしっぺ返しは食うことになるが)

フレディ・マーキュリーがパキスタン系の人物でゾロアスター教に則って葬式が行われた
というのは、まるっきりイギリス人だと思っていたので少しびっくりした
だが彼のベースのオペラなどの教養は裕福な家庭からのものだろう
(歌いやすく大声で張り上げるのはオペラの影響がありそう)

歌詞は気にして聴いていなかったので、今日初めてそれぞれの曲の意味を知った
映画のタイトルの「ボヘミアン・ラプソディ」はあの有名な曲からだが
その曲も冒頭の歌詞があんな意味(自らの死を感じさせる)ものだとは知らなかった
この映画はこの歌から逆算して作ったのだろう、、と確信をもった

ところで、記憶に残ったセリフがあった
わかりやすい英語で自分でも聞き取れた
「I decide who I am.」
これはひたすらカッコいい、、
(でも、しんどそう!と根性無しは思ってしまう)





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