パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ガラス玉演戯名人の退位と4月30日

2019年05月01日 08時54分18秒 | 

平成から令和にかわる瞬間の渋谷スクランブル交差点とか大阪道頓堀での大騒ぎは
テレビ中継がなかったら果たしてあそこまでのものになったか、、
これは結局はメディアに振り回されかねない現代的な現象でこれからも続くと思われる
(それが良いことか、そうでないことか、、、)

天皇が退位の言葉を報告するその日
ガラス玉演戯名人がその職を辞退する部分を読んだ

ヘルマン・ヘッセがノーベル賞を受賞するきっかけとなった小説「ガラス玉演戯」は
地の部分がとても多い文章で読むのに集中力と多分経験を要する小説
舞台となるのは空想的な、ひところの複雑系の集団とか組織を思わせるもので、音楽・哲学・文学・科学等の
真面目で優秀な人達の集団に所属ししたクネヒトが、その最高位を得るまでと、退位を決めて
きちんとした手続きに従って去っていく物語

この大作はクネヒト作の詩と奇妙な3つの履歴書で終わる
かなりの集中力を要するので気合を入れて読んだ昨日の部分が、たまたま天皇の退位とかぶる部分で
いろいろとそちらの方面の想像もしながら読み進めた

最高位を得て、なおかつ信頼を得ていたクネヒトが何故その職を投げ出すことになったのか
それはクネヒトの感情面を大切にする(結局はヘッセの傾向なのだが)覚悟から生まれる

不幸があったためにそれを避けるために作られた理想郷のようなガラス玉演戯の集団
選ばれた人が真面目にその得意とする分野で真剣に取り組み、そこでは普通の人が達することの
できない高みの知識・知恵を得ることができる
しかし、それは単なる象牙の塔に過ぎないのではないか、、
実際に生活する人々は家族を持ち、野心も競争も妬みもあり食べるための仕事にもつかねばならない
そういう世間の人々の暮らしを考えることなく純粋培養されたような世界で
たとえその世界は高度な秩序をもち、説明すれば納得せざるを得ないとしても
それでも、この美しい集団は時間を経るに従い思考・行動のパターン化によりその活力を失っていく
クネヒトはこれを感じた、そして感情の命ずるところは外の世界に出よ!というところだった

小説はクネヒトの退職を願う書類の章から後の章は、ヘッセの真面目なそして深くて優しさに満ちた考察が
いたるところで感じられて、この部分こそがノーベル賞に値するとされたんだろうと想像される
そして昨日退位された方も、自分が開放されるだけではなくこのように外に出る、、
という選択をされたのでは、とつい連想してしまった

ヘッセは外に出る、、安住の世界から出る  というテーマを何度かに渡って繰り返している
「知と愛」のゴルトムントは、ナルチスからここにいるべき人間じゃないと助言され
修道院から外の世界にでる
「シッダールタ」でも主人公のシッダールタは、友が従ったゴータマ・シッダールタにはついていかず
ほとんど道を外れた世界に飛び込んだ
ドストエフスキーでは「カラマーゾフの兄弟」の三男のアリョーシャは外の世界に出るべし
とゾシマ長老から暗示のような言葉をかけられる

人は社会的動物で世間と関わり合いなく生きることは難しく、そこでは抽象化された理想世界とは大きく異なる
その世界に実際に暮らしてみる、、そして感じてみる
そのことはとても大切なことで、現在の官僚さんや政治屋さんにも感じてほしいと、つい思ってしまった
(官僚さんや政治屋さんがヘッセを読んで、身につけていれば少しは今とは違うことになっていそうな気が)

ところで、クネヒト作の詩
以前は「シャボン玉」が好きだったが
昨日は「異教徒反駁哲学大全」を読んだ後に  という奇妙なタイトルの詩の中の以下の部分が心に引っかかった

我々の中で最も自分を信ぜず
最も多く尋ねたり疑ったりするものこそ
おそらく時代に影響を与え
青年を教化する範となるだろう
自分自身を疑って悩むものが、おそらく
いつか果報者としてうらまやれるようになるだろう


改めてヘッセはすごいと実感

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