パンセ(みたいなものを目指して)

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「服従の心理」(スタンレー・ミルグラム)を読んで

2020年08月10日 07時49分24秒 | 

興味はそそられるが、えげつない実験との印象が残るのが
「アイヒマン実験」の名前がつくスタンレー・ミルグラムの実験
アイヒマンは与えられた命令を実行しただけ、、
と自らの責任はないもの訴えている
ベトナム戦争時のアメリカのある軍隊の人間は、上官に命令されて
数多くの人の命を奪った
命令されることに対して人はどのように従ってしまうのか、、
を実験というかたちで、一つ一つ人間の犯してしまいそうな行動を
明らかにしているのが、この実験の報告書「服従心理」スタンレー・ミルグラム著だ

命令されることに対して、それに従う要因を伝統的・カリスマ的・法的支配としたのは
マックス・ウェーバーだが、この実験は、何故、命令に従ってしまうのかと
哲学的あるいは社会学的に追求するするよりは、人には総じてこのような行動を
とってしまい勝ちといった例がこれでもか!と思われるほど列挙される

答えを間違った人に電気ショックを与えるように命令された人の行動を見るといった
えげつない実験だが、実験の正当性とか正確性、その解釈の妥当性を確保するために
あらゆる可能性を配慮して実験は行われる
その幅広い分野に及ぶ仮定とそれを確かめる過程は、科学(実験)とはこういうものだ
との認識を再確認するようなものだった

この実験は、実験する前に想像したような結果、つまり人が直感的にそうだろうな
と想像するような結果に落ち着いている
例えば命令する人が、立場の上の人が命令した場合と、同等とか下の人が命令した場合は
明らかに上の人の命令を聞いている
人に電気ショックを与えるサド的な行為なので、命令とはいえそれを躊躇する人も出てくる
命令する人が見ていない(ショックを受けた人を)場合は、人は電気ショックの程度を低くしたままとか、
電気ショックを受けた人の呻く声が聞こえる場合と聞こえない場合の違いとか
電気ショックを与えるボタンを自分が押す場合と人に押させる場合との違い
それらが明らかにされる

人は命令によって動く
特に現代のような社会化された世界では、命令によって動くことは効率的でもある
だが、その命令が真に正しいものかどうか、、は個人の正義感や倫理観では
もはやカバーしきれないほどになっている
(時に人道的な人の存在がいて、それで安心するのも事実だが)

一見(サピエンス全史で明らかにされたように)人類は少しづつ試行錯誤をしながら
暮らしやすい制度・心理を身に付けてきたが、人の中にはまだまだ解決できないような
心の闇のようなものが存在する
そういったものを、改めて実感させられた気がする

命令が人を傷つけるとか、命を奪う、、といった極端なものではなく
ごくありふれた業務上の命令を想定した時、命令はおそらく個人の正義感とか
倫理観以上の何かの力で作用するだろうな、、、と思うのが最近の実感
特に公務員の方々の仕事は、、、

与えられた仕事と、それに対する個人の正義感とか倫理観とは
折り合いをつけるのはなかなか難しいと言える
あの森友事件で自死された赤城さんのように

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