パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

単なる個人的な怒りなのだろうか?

2024年02月12日 09時21分20秒 | ダイアリー

豊橋市の住民投票条例案が2回目も(市議会で)否決された
これは新アリーナ建設予定の公園内にある豊橋球場の移転先が
津波の「特定避難困難地域」であることなどから
建設の是非を問う住民投票の条例の制定を目指し市民団体が署名活動を行い
署名数が地方自治法の規定数を超えたので議会に諮られたものだった
そもそも現市長は新アリーナの建設反対を訴えていた
ところが、市長になると判断を一転して従来の計画を支持することになった経緯もある

この経過は、よくよく考えてみると仕方ない選択
と思ったのか、それとも何かあったのかな?
と感じてしまうのは疑い深いせいか?

住民投票先進都市の新城市は2015年、新庁舎建設について住民投票を行った
それは基本的にはその規模を問うものであったが
その住民投票に採用された選択肢は以下のようなとんでもないものだった
四角で囲った文章


●市道東新町桜淵線の路線の変更を伴わない現計画の見直し
●市道東新町桜淵線の路線の変更を伴う現計画の見直し

この選択肢が議会で決まった時、猛烈な怒りを覚えた
この選択肢では意味が分からず、市民は選択に困ってしまう
この市道東新町桜淵線の路線の変更云々というのが曲者で
この道は普通の道のように道として見えるものではなかった
法的には存在するが、形として目に見えているものはなく
抽象的な存在のものだった

大半の市民が実情の正確な把握ができず、問うている意味もわからない状態で
住民投票を行うこと自体に意味があるか!と思えたのだった

実際のところ、この選択肢の分かりにくさ故にこの地方のテレビ局は
おかしな住民投票として何度もニュースとして取り上げられた

今でもこのことを思い出すたびに怒りが湧いてくるが
この怒りは個人の個性によるものなのか?
と最近の出来事と比較して考えてしまう

自分のこの怒りは忘れることのできないこととして記憶されている
ところが、多くの市民は住民投票があったことは覚えているが
その選択肢は覚えていないし、怒りの感情も無いようだ

すると、個人の怒りは一般的で説得力のあるものでないのだろうか?
と不安になってしまう

最近の養鶏場の用地購入に関しての裁判では
その購入の段取りと購入価格の決定に不信感を覚え
当方は怒りを覚えるものだが、これを何も知らない人は怒りを覚えない

そこで当方の不審部分と思える部分を人に伝えようとすると
(売却希望価格を事前に不動産鑑定業者に伝えてしまったこと)
ここで、2つのグループに分かれてしまう
一つは、その話を聞いた刹那、おかしいと口にする人
もう一つは、その話の意味を理解できず聞き流す人

この現実は大きい
わかりやすく言えば、それなりの頭の人はこの奇妙さを理解する
しかし、想像力を働かせるのに慣れていない人は問題点を理解していない
(反論としての意見を持っている訳ではない)

世の中の確率からすれば、理解する人、しない人はそんなものかもしれない
しかし、夜眠れないほどのストレスを覚えるようなこの出来事
それに対してお金と時間を費やし行動すること
それが、個人の勝手な行動なのかどうかは、弱気になると不安になってしまう

でも、やるべきだ!
と内なる声は叫んでいる


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