パンセ(みたいなものを目指して)

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逆の順番で読んだ「全体主義の起源」

2018年09月21日 08時47分48秒 | 

ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」(1)反ユダヤ主義の最後のページまでたどり着いた

読んで理解したとはとても言えない
とりあえず、最後のページまでは行ったというのが正直なところ
何しろ独特の文体に慣れるまでが大変
センテンスが長く、途中で挿入も多く、それで意味が把握しにくく
その上自分の知らない歴史上のことがたっぷりとあって、想像力で補うだけではとても追いつかない

だが、それが苦痛だったかといえば決してそうではなく、良くはわからないが濃厚な時間を
実感している満足感はいつでも感じることが出来た
この濃密な読書の後では、軽い本は一気に読めてしまいそうだ
それはドストエフスキーの本を読んだあとでは、筋を追うだけの小説が物足りなくなるのと似ているかもしれない

この大作「全体主義の起源」は3つに分かれているが、書店で立ち見をした時には
とても読み終える(?)ことはできそうにないと思っていた(そのうちの一冊でも)
ところが、どういう理由かよくわからないが読まなければならない気分になって
多分、今のこの国の状態が不安になってだと思うが最後の(3.全体主義)から読み始めた

最後のページまで行ったときは、もうこれとは縁がない、、と思っていたがひょんなことから
二番目の(2.帝国主義)に興味が湧いて、しかも新板になって読みやすくなっていそうで
思い切って購入した
これは最初ほど苦労はしなかった
文体に対する慣れがあったかもしれない
付箋もところどころ挟んで読み返すには便利になっている

そして最近、ナチの時代に関する本を立ち続けに読んでいるものだから
ユダヤ人についての記述がメインの最初の一冊(反ユダヤ主義)にいたったわけだ

つまり読んだ順番は3.2.1と発刊されたのとは反対の順番だった
結果的には、これは良かったかもしれない
ミステリーの犯人がわかっているのを遡って検証していく作業に似ているかもしれない

あの時代ユダヤ人の大量殺害が行われたが、そもそもユダヤ人とはどういう立ち位置の存在だったのか(1)
民族主義の台頭、資本家とモッブの同盟、難民と無国籍者の出現、、、全体主義につながる帝国主義(2)
そしてとんでも無いことをしでかしてしまった社会とは一体どういうもので、どのようにして出来上がってしまったのか(3)
三冊に分かれた本は上のような内容で、膨大な資料から深い思索に満ちている

最後のページに行ったばかりの(1)反ユダヤ主義は、わかりやすところも手に負えないところもあった
西欧人でない自分は、西欧人なら当たり前のように知っているだろうとおもわれる事件やら争いを知らない
そういう事柄は字面を追いかけるだけになってしまう
しかし今年読んだ「失われた時を求めて」では、この本で扱われたドレフェス事件がエピソードとしてあったので
そこの部分は割とすんなり読んでいけた
とすると、この本がやたらと難しいのは、西欧の歴史を、その時代的背景や気分を当事者として実感できていないからかもしれない
いくら物事は想像力によって一般化できるとはいえ、実感を伴わないと読みこなせないかもしれない

反対から読み始めて、絡まった紐を解いていくようなことになったが
今度は、改めて最後の本(全体主義)を再読すべきかもしれないという気になった
最初は気づかなかったが重要な部分を発見できるかもしれない、、と

もっともこの本を読むのは自己満足的に知識の収集ではなくて、あくまでも現在のこの国との比較のためだ
なんとなく戦後の終わりを感じさせるようなこの国の雰囲気
確かに自分たちの投票によって自分たちの代理を選んでいるのだが、実態は一分の少数の人間達の支配(?)によって
世界は動いていく
経済の指標さえ良ければ(本当にそうかどうかはわからないが)他の矛盾する点には見て見ぬふりをする
個人の判断は命令されたことを無批判に行い、それが常識に反しても心の痛みを感じない
彼の国のユダヤ人の対する嫌悪感は、日本における嫌韓、嫌中に似ていて、ヘイトスピートも表現の自由だとかの
屁理屈がまかり通りつつある

つまりは、現在この国で起きていることは、80数年前にドイツで起きたこととすごく似ているということだ

いや現在の政治は変化の激しい世界の中で現実的な対応をしていて、心配はないという考えもあるかもしれない
しかし、このような本でいろいろ知ってしまうと、、どうしてもそんなに気楽には考えられない
もっとも、ハンナ・アーレントは過度に悲観的になるのも、楽観的になるのも止めたほうが良いと言っているが

反ユダヤ主義を読んでいて、ユダヤ人自体に興味を覚えたので昔購入して読んだはずの
「ユダヤ人」神と歴史の狭間で、、マックス・I・ディモントを本棚から引っ張り出した
ついでに「ロスチャイルド家」ユダヤ国際財閥の興亡 横山三四郎も
ハンナを読んだ後だから、きっと理解しやすいだろう
(ちょいとヤバイのは最近購入したばかりの地元の事件が載っている「江戸の裁判」になかなか移れそうにないこと
 このままでは、積読(つんどく)のままになってしまいそう、、、)

 

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