パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

自筆の楽譜は何かが違う

2021年06月27日 20時38分59秒 | あれこれ考えること

この楽譜はモーツアルトの交響曲40番(K550)の冒頭部分だ
(フルスコアではないけれど)

この楽譜を見た時はそれほどではなかったが、ある時オーディオショップで
この曲のモーツァルトの自筆のコピーが額装されたのを見た時の衝撃は
尋常ではなくて今でも覚えている
それはこの楽譜でも見られるが伴奏部分の刻みの音が
あの有名な旋律よりも先に、柔らかくリアリティをもって頭に響いたことだ
一秒にも満たない僅かの時間、でもそのほんの僅かな音が絶対に欠くことのできない音
として心に刻まれた

それはモーツァルトの頭の中で鳴っている音を感じたかのような気さえした
その額装された自筆楽譜のコピーは、何分の何と数字が書かれていて
限定的にコピーされたもののうちの一枚だと思われた

これ欲しい!
すぐさまそう思ったが、金額が30万円くらいだったと思うが、流石に手は出なかった

音楽家(演奏家)はきれいに印刷された楽譜だけでなく、作曲家の自筆楽譜を見て研究するらしいが
その気持はこの例からもわかる
確かに本物には何かを刺激する、インスパイアする何かがある
だがそれは感じる人しか感じられない
また同じ人でもなんにも感じない時があれば、すっと心に入ってくることがある
今の自分はあのときと同じ感覚を覚えるか?
と考えると、きっと何も感じないだろうな、、と思う

しかしあのときは確かに何かを感じたことは間違いない
ゴッホのひまわりを初めてみたときも、ミロの版画を初めてみたときも
広隆寺の弥勒菩薩を初めて見たときも、その時感じたことは今でも覚えている

でも本当に残念だが、少しづついろんなことを感じなくなってきているようだ
全てが過去の記憶の何かとの比較になるようで、、

仕方ない、それが年齢を重ねるということなのだろう
年齢を重ねたならばそれなりの楽しみかたをするしかない
ベートーヴェンの32番のピアノソナタは、今でこそ身にしみて別世界の音楽の様に思われるが
若い時はすごいと思いつつも切実感は覚えなかった様に思う

でも、それでもできることならば新鮮な驚きは感じられるようでいたい

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