待賢門院が落飾するきっかけの一つが呪詛事件
これはNHK大河ドラマでも無理やり(?)女性っぽい
解釈で展開されていたが
呪詛事件はまだ他にもあったぞ!
と気になって少しばかり調べてみると
見つかったのは「長屋王の変」
天武天皇の皇子、高市皇子の子である長屋王は729年
「密かに要人を呪詛して国を倒そうと謀っている」
との密告があり、藤原宇合の率いる大軍が長屋王の邸宅を包囲
捕らえられた彼は一言の弁明も許されることもなく
四人の子供とともにに自害させられた
この事件が何故か頭に残っていた
呪詛なんぞは今では真面目に捉えて裁判沙汰には
ならないけれど、権力闘争の道具として
あの時代はこじつけでも、なんでもありの世界だったのか
もっと昔をたどれば呪詛事件ではないが
大津皇子も似たような出来事がある
万葉集にも極めて賢そうな歌の残る才人も
訳のわからない罪を着せられて死に追いやられている
運がなかったというか、可哀想な被害者
これらは歴史に残る出来事ではあるが
決してほめられるようなことではない
それどころか、またか!
と呆れるたぐいの話
これは当人だけの問題ではなく
周辺の人間の立場・利権に大きく左右するので
当人以上に周囲の人間が無理して頑張ったのかもしれない
ここには後で、こじつけの正義が存在するかもしれないが
人間のやることは、実はそんなに
立派なものではないことが多いのかもしれない