パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

呪詛事件、待賢門院と長屋王

2012年03月26日 22時27分16秒 | Weblog

待賢門院が落飾するきっかけの一つが呪詛事件
これはNHK大河ドラマでも無理やり(?)女性っぽい
解釈で展開されていたが
呪詛事件はまだ他にもあったぞ!
と気になって少しばかり調べてみると
見つかったのは「長屋王の変」

天武天皇の皇子、高市皇子の子である長屋王は729年
「密かに要人を呪詛して国を倒そうと謀っている」
との密告があり、藤原宇合の率いる大軍が長屋王の邸宅を包囲
捕らえられた彼は一言の弁明も許されることもなく
四人の子供とともにに自害させられた

この事件が何故か頭に残っていた
呪詛なんぞは今では真面目に捉えて裁判沙汰には
ならないけれど、権力闘争の道具として
あの時代はこじつけでも、なんでもありの世界だったのか

もっと昔をたどれば呪詛事件ではないが
大津皇子も似たような出来事がある
万葉集にも極めて賢そうな歌の残る才人も
訳のわからない罪を着せられて死に追いやられている
運がなかったというか、可哀想な被害者

これらは歴史に残る出来事ではあるが
決してほめられるようなことではない
それどころか、またか!
と呆れるたぐいの話

これは当人だけの問題ではなく
周辺の人間の立場・利権に大きく左右するので
当人以上に周囲の人間が無理して頑張ったのかもしれない

ここには後で、こじつけの正義が存在するかもしれないが
人間のやることは、実はそんなに
立派なものではないことが多いのかもしれない



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« と、考えた | トップ | 自然科学は暴力にすぎない »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事