パンセ(みたいなものを目指して)

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嘘について

2018年09月19日 19時30分16秒 | Weblog

「嘘をついたことがない」
を嘘だと思うのは、人生経験を積んだ人間なら誰もが思うこと
いや経験をそんなに積まなくても、子どもでも自分を振り返ると
そんなことはありえないと思うだろう
そして「嘘をついたことがない人はいない」と考えるようになる

嘘を言わないことが前提となっている場面がある
男と女の間でいろいろありすぎて微妙なところだが
裁判の場とか国会だとか、地方都市の議会では正直であってもらわないと困る

最近、嘘、あるいは辻褄の合わないことを裁判の場で経験した
裁判の証人になるとまず宣言をする
「良心に従って、ほんとうのことを申します。
 知っていることをかくしたり、無いことを申したりなど
 決していたしません」
この文章を読み上げて署名捺印を行う

国会の証人喚問も似たような段取りで行われる
そして、この過程を経ることによってその後の発言はすべてほんとうのことを
話していると判断される

しかし、それでも嘘や本当のことを言わないのが人間
直近のある裁判では4人が証人台にたった
一人は原告側の証人、後の3人は被告側の証人だが
ここで誰かが嘘をついているか、意図的になにか隠していると思われる状況が発生した

まずは、原告側の証人(K)は、被告側の証人はふたり(HとY)とも懸念となっているある問題について
その分野の専門家である自分(原告側証人)に相談にきたと証言をした
(具体的な話しぶりを挙げながら)
それに対し、ふたり(HとY)は相談に行ったことはないと否定した
最終的には記憶の限りでは、、という逃げの手段があるかもしれないが
明らかに話の辻褄が合わない

もうひとりの証人について、原告側の証人(K)は
「彼(証人HR)はある時、自分に向かって、そんなことになれば〇〇ができないじゃないか」と大きな声を発した
「彼(証人HR)はそもそも問題となっている人物(M)を早くから知っていて、ある海外旅行(視察)には彼の奥さんが同行している
 また、市内のある酒場で問題となる人物(M)と盛り上がっていたところがあると知り合いの人物から聞いた」
と証言しているが、被告側の証人(HR)は
「そんあ〇〇ができないじゃないか、、と言う発言をしたことはない」
「問題となっている人物(M)とは面識がない。酒場で同席したこともない」

裁判ではこの問題が本質的な問題ではなかったせいか、証人の間の話が違うことに関しては
追求しなかったが、普通に考えると原告側の証人か被告側の証人が(嘘を言わないと宣言したのに)
嘘を言っていることになる

つまりは宣言したところで、嘘をつく人は嘘をつくということ
それが嘘なのか記憶違いなのか失念しているのか、、いろいろだろうが
都合の悪いことは発言しないでいわれるのが、人間の共通認識のようだ

嘘ではないかもしれないが、行政も時々微妙な発言をする
特に行政の話は素人にはわかりにくい
本当に幾多の法律に縛られて、素人の知らない情報を手にして、それを自分たちに都合よく
切り取って、もしかしたら人が勘違いするかもしれない、、というような発言をする

抽象的な話だが、何年か前にこんなことがあった
「大きな道路に面した駐車場が〇〇平米以上ある場合は、法的には右折して出ることが出来ません」
混むことが予想される道路に出るのに、〇〇平米以上のような多くの車が駐車できるところでは
右折を許可すると渋滞がおきて、かつ危険と想像されるからなのだろうと理解したが
この〇〇平米というのが、行政の法的な説明がとても意地が悪かった

その時、この駐車場に関して検討をすることになっていた市民側はこの〇〇平米というのは
純粋な駐車場の総面積だと思っていた
市民が提案した案では、この駐車場の面積では右折が出来ず、
使いづらいものになってしまいますよ、、、とのことばで市民案は批判された

ところが、その後出てきた行政の案というのが驚くことに
なんと市民案そっくりの駐車所をつかっていても、右折できるというものだった
その秘密というのは〇〇平米というのは駐車場全体の面積ではなくて、一台あたり2M×4.5M(だったかな)で
換算した車の全体の駐車スペースのことで、ほんの僅かだけ〇〇平米を下回るような駐車場を提案してきたのだ
(見た感じでは市民案と行政案の駐車場はほとんど違いがないのに)

これは文字で書かれていることは抽象的でイメージしにくいかもしれないが、
とにかく行政は嘘ではないかもしれないが、微妙に本当のことを伝えていない説明があったということ

作ってもらった料理が美味しくなくても「美味しかった」と言う嘘は気遣い
スポーツ選手が怪我をしても「痛くない」といって仲間を安心させようとするのも気遣い
このような嘘は、騙されている方も気持ちがいい
でも、上記のような事柄は、その意図するところの不純なところからあまり嬉しくないものだ
(これってカントが何か言ってたような気がするが、、)

最近は、(嘘も)言ったもん勝ち、、といった傾向が見られるようで
何かが荒んでいる気がしてならない
なんだかな~  

※裁判とはあの行政裁判のこと、市民案というのは新庁舎建設見直しのための実務協議で提出された案のこと







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