パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

新城吹奏楽団 第90回定期演奏会

2019年12月15日 17時57分08秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

誰かに話したいとか、忘れないうちに書き残しておこうと思ったのだから
今日のコンサートは大いに満足いくものだったと評価して良いだろう

新城吹奏楽団の定期演奏会が文化会館で行われた
とんでもなく低価格(前売り500円)で、毎回楽しみにしている
プロのオーケストラも良いが、アマチュアの熱い演奏も捨てがたい

通算90回にもなる定期演奏会のプログラムはすごく意欲的で
こんな具合


 

新城市みたいな地方都市だから有名な曲を並べたものかと思いきや
冒頭の曲目はまるっきりの現代音楽
美味しいメロディがあるわけではない、むしろメロディなどは存在しないような
引き伸ばした音があるだけ
指揮棒が動き出すとティンパニが鳴り出す、最初は小さな音で、次第に大きく
それが繰り返されると大太鼓と一緒に思いっきり革はぶっ叩かれる
その音色に不意に、これは日本の音だ!と感じた
ティンパニは西洋音楽を基本とした音程で準備されているが
それが和太鼓のような音色だった
それから続く音楽は聞きやすい音楽ではない
だが現代人しか納得して味わうことができないような、あるいは共有できないような印象を持った
ところどころ武満徹を思わせるような緊張感やベルクのルル組曲の騒音を思わせる部分があった

以前聴いたこの定期演奏会でも山本家寛氏が作曲した現代音楽の初演があった
それは無調のようだが、しかし、決して聴きにくいものだはなかったが、それをつい思い出した
古典となった曲ばかりでなく、こうした曲も生でしか集中して聴けないから
ラトルが実行しているような(現代音楽を扱った)プログラムは必要なんだろうと思ったりする

第一部の最後の曲は、先の2つの曲よりも横に流れる
音楽の民族性とか国民の持っているリズム感、旋律嗜好を感じるような気がした

少しの休憩を挟んで、第二部は愛知県の生んだアスリート浅田真央さん絡みの曲
ハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」とラフマニノフの「ピアノ協奏曲第二番」
少し気になったのはピアノの音が弦の代わりの楽器群に消されてよく聴こえなかったこと
自分の座った位置が悪かったのか、管楽器でバランスを取るのが難しいのか

第三部は、「モルダウ」からスタート
個人的な好みだが冒頭のフルートの掛け合いは、ピアノの音なしのほうが良かったのではないか
フルート奏者がそれぞれ思いを込めて会話するように演奏してほしかった
それからあの有名なメロディが奏される時はもっと憧れを感じさせるように、少しだけある部分を伸ばして、、、、
(ついフルトヴェングラーの指揮するモルダウを思い出してしまった)

「展覧会の絵」と「パリのアメリカ人」は指揮が背の高い若い女性に代わった
驚いたのは音が明らかに違うと感じられたこと
まずは彼女の生み出す音がパワフルだった
それは単に音が大きいというのではなく、中音域の音が詰まっているような
若さに溢れているような、奏者も共感しているような音色だった
同じメンバーなのにどうしてこんな風に音色が変わるのか、、とても不思議な気持ち

実質的には以上でプログラムは終わり
パンフレットにはまだ数曲あるようだが実質的にはアンコール的な要素のように思われた
今回のプログラムの実験的なところは
「天国と地獄」の前の「ストーン イメージ」と題された楽曲が再び現代音楽だったこと
第一部は武満徹を連想したが、今度はその音楽の短いところと音程の飛躍もあって
ヴェーベルンの俳句のような音楽を連想した
(昔聴きいったサイモン・ラトルの演奏会のアンコールに
 ヴェーベルンの30秒位の音楽が奏されたことがあったが
 音楽に酔った身にはとても純粋で美しいものに思えたことがあった)

ということで、少し興奮冷めやらずといった感じ
これで500円の出費なのだからとんでもなくコストパフォーマンスがいい
次回も絶対行かねば!

 


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