市議会は行政のチェック期間
行政にとって耳の痛いことを指摘されることがある
でもそれは議員が行政をいじめたり、バカにしているからではなくて
議員はそういう役割ということだ
しかし、理屈ではわかっていても人はそう簡単にそのような行動が取れるわけではない
昨日、真面目な議員と話す機会があった
その議員は、いろいろ調べるために行政に資料要求や聞き取りをする
そうすると知らずしらず担当者の人間性とか立場とかを感じ取れるようになって
厳しい追求ができなくなってしまう、、とこぼした
だから行政のスタッフと親密にならないのも一つの方法かもしれない
とつい考えるようになってしまったというのだ
その気持ちは想像できる
議員の仕事はそんなものではないと簡単に割り切れる人よりは
こうした些細なことに悩む人間性は、人として信じられる
でもその議員は、最終的には自分の信じる正義感・倫理観に沿って判断を行っている
それは議員のいつもの行動を見ればよく分かる(一般質問とか)
同じ釜の飯を食う
チェックする側とされる側がこのような状況を設けて和気あいあい
とするのは、制度的に好ましくないことかもしれない
どこかの議会では一般質問(議会)が終了した時に職員と宴会を開いて
交流をしている(した)との話も耳にする
イギリスではメディアと政治家が同じ釜の飯を食うなどということはないそうだ
コーヒー一杯を奢られることさえジャーナリストとしてすべきことではない
とされているようだ(現実的にそれが実行されているかどうかはわからないが)
ところが日本はどうか
政権のおエライさんとメディアのお偉いさんは、同じ釜の飯を食っている
メディア側はおえらいさんでなくて現場の人間でも、内緒の話を聞くために
(業界を出し抜くために)政治家個人と仲良くなろうとする
だが、それは政治家に利用される可能性があるということだ
内緒の話は、誰にとって都合の良い話か
その話は事実かと仲の良い人を疑って調べることができるか、、
つまりはジャーナリストは自らを守るためには、政治家と仲良くならない
という態度も必要だと思われる(それは人間性を否定するものではない)
最近のメディアと政権の関係とか、地元の議会において行政(首長)の言い分を
疑うことなく納得してしまう議員の多いのを見ると、制度は整っていても
それが円滑に運営されているかがとても疑問に思えてしまう
最近知ることが多くなって、それに連れて制度として存在するものの、
運営上は実態から離れていると思われることが多くなってきた
なんか人間性も疑い深くなってきた?(そうではないと思いたいが)