図書館の本の貸出期間は2週間
速読派ではないが無謀にも2冊借りた
それがこれ
昔読んだはずだが全く覚えていない「ジャン・クリストフ」ロマン・ロランと
柴田哲孝氏の「暗殺」
ジャン・クリストフは別の出版社からの2冊あって、文字の大きい方にした
ただでさえ目に自信がない上に、ページいっぱいに文字が並んでいるとなると
気力さえも失せてしまう
果たして480ページを2週間で読めるか?と思いつつも、
パッと目に入った「暗殺」も借りてしまった
借りる時に、「絶対読み終えることはできないと思うけど」
と言い訳したが
「一度は継続して借りることができます」
と図書館スタッフが助け舟を出してくれた
梅雨の時期で晴耕雨読に徹しやすいので、とりあえずジャン・クリストフから読み始めた
小さな文字でしっかり書き込んでいる
スタートは誕生のときからで、おじいさんやらお母さんのことが書かれている
このペースで青年、老年まで行くのか、、と思うと作家の頭の中とか
精神力とか忍耐力はとんでもないものだと思う
ちょっとした段落まで読めたので、「暗殺」の方に移った
これは冒頭に「これはフィクションです」の但し書きがある
内容は違う名前で物語が進めれれているが、誰もがあの事件のことだとわかる
その事件は安倍晋三氏の奈良県で起きた事件だ
あの事件は一部ではケネディ暗殺事件と同様に一部では実行犯は
手製の銃で安倍氏を撃った人物ではなく、ビルの3階から狙撃された
とする説が出回っていた
その証拠に致命傷となった銃弾は肩から入っている点と
銃弾の痕跡がまったくないことが、Youtubeでも再生回数を稼いでいた
この不思議な事実をフィクションとされるこの本ではその答を挙げられている
それはなかなか説得力のあるもので、どこまでがフィクションなのか素人はわかりにくい
この2冊の本で驚いたのは、「暗殺」のほうが圧倒的に読みやすくて
これなら2週間と言わず、その気になれば二三日で読んでしまえそうと思えたことだ
(あの事件後の統一教会などの騒ぎを知っているので)
それを思うと、ジャン・クリストフの方は頑張ってもそんなペースでは絶対読めない
一体それは何故なんだろう?と頭に浮かんだ
ジャン・クリストフが外国の時代も違う舞台だから読みづらいというよりは
そもそも作家の頭の中の熱量というか総量が全く違いからではないか?
ついそんな気がした
今、夏目漱石などを読むと感じるのは、その人格の絶対量が今の作家よりも
ずっと多そうだということ
結局のところ本を読むということは、物語をなどるだけではなく
作家の思考や感情、経験を追体験することで、その量が多ければ多いほど
読むのに時間も集中も要するということだと思う
(物語を楽しむというよりは作家を楽しんでいるのかもしれないと思う)
これは音楽では「白鳥の湖」とベートーヴェンの32番のピアノ・ソナタの
聴いたあとの心に残るものの違いが存在するが、それは一体何なのか?
との疑問が浮かぶのと似ているかもしれない
ということで一冊は読み終えられそうだが、もう片方は
苦労しないと読めそうになさそうと思えてきた
長いものは長いだけの何かかがある
それも古典となっているものから得るものは多いはず
そう言い聞かせて頑張るしかないかも