世の中にいろんな考え方があっても、イマイチ理解出来ないのが
アメリカの銃規制が進まないこと
あれだけ犠牲者が毎年のように、そして現在も出続けていても
抜本的な規制は実現されそうにない
トランプさんは学校の教師に銃の扱いのスキルアップとか
事が起きた時の対処法を準備しておくべきだ、、
といったようなことを述べている
日本のように銃規制が進んでいる国からすると
この銃には銃で対抗する考えはまるで非現実的な考えに思えてしまう
銃が悪いのではない、悪いのは銃を扱う人間だ
一見正論ぽいが、人は何をしでかすかわからない危険性を持つ存在だ
(持っているものはいつか試しに使いたくなるとか)
その危険性を考えれば、始めからその危険性を排除しておくのは現実的な方法だ
豊臣秀吉が刀狩りをして庶民が容易に武器を持てないようにしたのは
自分を守るためであったと同時に、ある程度社会を守る役目を果たしたように思う
今の日本人は、銃規制には違和感を持たないと思われるし
当然のこととも考える人が多いのではないか
ところが、これが国と国との関係になると一気に風向きは変わる
リアリストと言われる人たちは
抑止力としての武器を所有するには当然だと考える
何をするかわからない他国については恐怖心が先立って
力には力の対抗策を考え、それこそが現実的だと考える
確かにどの国も地域も悪いひとは一定数存在する
だがその数以上に人の善性を感じている人も存在してると思う
その国の誰かと知り合って仲良くなれば、その人達と戦おうなどという気は起きないのではないか
これは夢想家の一言で片付けられる可能性はあるが
その夢のようなこと(仲良くなるとか、立場による違いを知る)は
地道に行わなければならないことだ(外交努力も)
今の日本人の多くは、ロシアとか中国とか北朝鮮が実質的には独裁国家で
情報はプロパガンダによって偏っていてそれを国民は信じ込まされている、、
と認識している
だが、必要なのは、それと比べて日本はどうなのか?
と考えることではないか
日本は呑気に構えていられるほどプロパガンダに侵食されていない国だろうか?
実際のところ報道の自由のランクは低下の一途
政治報道は切り取りで実際のニュアンスと違った伝えられ方をしている
そして同調圧力に負けやすい国民性は、皆が同じ報道をしている
という理由でその報道を信じ勝ちになる
そして物事はわかりやすい半か丁かの極端な理解をし勝ちになる
そのような環境のもと、主権者としての国民は正しい判断をしうるものなのだろうか?
結局のところ、ひとりひとりがそれなりに賢くならないとヤバいと思うが
それは多分教育に繋がる
ということで現在一番関心があるのは、教育の問題と報道
この危機意識を、、多くの人が感じていないように思えるのは不安だ