パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

現代音楽は楽しめるか?

2021年08月17日 09時38分00秒 | 音楽

もう既に100年ほど前で現代ではないのに、今でも「現代音楽」と呼ばれているのが
シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンの音楽だ
そのジャンル分けは実態を現していないクラシック界の笑い話として
先日あるSNSで取り上げられた

バロックから古典派、それからロマン派への流れは苦労しなくても
なんとなくわかるし、それぞれの音楽に共感を覚えたり感情移入もできる

ところが現代音楽と言われるこの三人の音楽は難解だ
音楽は理解するものではなく感じるものだとしても、なんじゃこれ?
といった気持ちになるのは否定できない

ところがある面では、いつまでもバロックとか古典派とかロマン派の音楽を
ありがたがっているのは、いつまでも定番の歌舞伎のみを楽しんでいるようなもので
少しばかりリアルな時代の空気とは違った浮世離れしているのかもしれない
(ラトルは従来の定番のプログラムばかりじゃいけないと訴えた)

難解な現代音楽だが、美しいとかこれは良い!と感じたことがあった
それはサイモン・ラトル指揮の演奏会のアンコールのときのことで
たった20秒くらいの音楽が演奏されたのだが
これが、緊張感と静けさと音色と、、そういったものが合わさって、
潤沢な音で何かを表現しようとする今までの音楽とは違っていて、とても良かった
そして同時に感じたのは、この静謐な音楽を良いと感じるのは、
きっと現代の人しかいないだろうなということだった
(アンコール曲はヴェーベルンの曲だった)

今の人間なら、なんとなく時代の雰囲気としての現代音楽を感じることができる
(すでに現代ではないが)
だがこの音楽をバロック時代の人が聴いたなら、果たしてどう感じるか、、と想像してみると
頭の中には???の印が浮かんだに違いない

つまりは人は知らずしらずに刺激を受けている社会の雰囲気、複雑な人間関係から生まれる気分に
個人の感受性は左右され、それを刺激する表現に共感を覚えたりするのだ

しかし残念なことに、(実は残念と思っていないが)現代の音楽、特に商業的な分野の音楽は
その表現者と同世代の人には生々しく感じられるとしても、年金生活者のおっさんには何も感じない
いくつかの音楽はみんな同じように聞こえたりする

先日、知人と音楽の話をしていた時、バッハの鍵盤楽器の音楽はみんな同じに聞こえる、、
と笑いながら奥さんの言い分を伝えてくれたが、実はその気持もわからないではない
バッハの時代のような多作を要求された職人としての音楽家は、多作が可能な技術を身につける
そしてその技術故にパターン化した音楽をつくることになる
パターン化した音楽は慣れると、その違いを感じ取ることができるようになるし
その時代の雰囲気をどっぷりと味わうこともできるようになる
ところが慣れていない人は聞き分けができない

今の若い人の音楽を聞き分けができないと嘆く自分は、
バッハの音楽はみんな同じに聞こえるといった言い分に近いのかもしれない

ただ気分として、現代音楽のそれは、そういう美もあるのかとか
ベルクのヴォツェックの気味悪さとか、音が効果音として機能するような音楽は
あえて聴こうとは思わないが、それでも聴けば今の人間しか感じられないだろう
何かを感じることはできる

でも今の商業的な音楽は、、、、、
ということで、若者に嫌われるパターンの一つ、説教がつい出てきそうになってしまった

ということで、今から若者に追いつくのはしんどいので、若者が知らない別の世界
古い今まで親しんだ音楽を更に極めよう(?)と開き直って考えたりする

まとまらない話、、、



コメント
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