母は豊川海軍工廠の空襲を実際に体験した人で、戦争のニュースを見るたびに
もうあんなことは嫌だ、、という
その時の他人の足や身体を踏みつけて命からがらに逃げ出した記憶とか
あの頃は食べるものがなくて南瓜ばかり食べてたとか
お粥のように薄めたご飯を食べていた事を今でも憎しみを込めて口にする
先の大戦から76年
今日、全国戦没者追悼式が行われた
母の「時間になったら黙祷するよ!」の声で一緒にその中継を見た
少し偏屈な自分は、読み飛ばしとか読み間違えの多い菅さんのあいさつをに
関心をもって改めて真面目に聞いてみた
そこで気になったのは2つのことだった
それは現在の日本の復興や繁栄は、戦争で亡くなった人たちのおかげであるので
その御霊に対して、御霊安かれと祈る!という部分と、
今後も平和を守るためには積極的平和主義のもとに邁進していくという部分だ
(これは安倍さんの内容と似ているか使い廻しか)
だが、今の復興や平和や繁栄は、亡くなった人たちのおかげ?
それは違うとすぐさま思った
心情的にはそのような美しく響く言い回しは、ある一部の人たちには効果的かもしれないが
現実はたとえ無意識であったとしても、それを実現しえたのは戦後の当事者である
国民全体の力、努力のおかげだと思う
日本国憲法には「努力」の一言が書かれていて、平和を守り続けるには当事者のそれが必要とされていて
菅さんの感傷的な言葉よりも、その後で式辞を述べた天皇の
残された人々の努力の賜物(こんなニュアンスのことば)のほうが
法的にも実情的にもすんなり受け入れることができた
ならば天皇はなくなった方に対してどういう言葉を伝えたか?
おじいさんが統帥権をもっていた時代に、多くの人を死に追いやったその子孫として残す言葉は
自分の感じたちところでは、心情的な哀悼の意であり、彼らの死が今の平和の石杖などとは言わなかった
それは冷たいとか感情がないと言うよりは、物事を正確に把握していると少ない言葉の中に知性を感じる事ができた
次に、積極的平和主義という言葉は、それが何を意味するかは、今までの安倍さんとかあの界隈の人たちの
言い分を考慮すると、かなり危なっかしい平和主義だ
それはある意味リアリストの選択する方法かもしれないが、それは一方で無用な争いを生み出しかねない気もする
最近、世界中で危なっかしい人が上に立ち、形式的には合法的にその支配を正当化している
それはSFのアイデアのように無意識のどす黒い力が、実は人の世の中を支配しているかのような
妄想さえ引き起こす
つまりは、世界は本当に不安定なのだが、その危ないところから抜けだすには
共感力をもつ人間性とか倫理観とか正義感とか、、、
こうした、すこしクラシックな概念を鍛えるしかないような気したりする