パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ボヤキ、あるいは愚痴

2018年05月20日 09時12分21秒 | あれこれ考えること

本棚にこんな本があった

少し付箋があるが情けないことに読んだ記憶が全然ない
当然内容は理解していない
それどころかいつ購入したのか、本当に自分で購入したのかさえ怪しい
(認知症やばい、、かも?)

だが、目に入って気になるので読み始めると(超国家主義の論理と心理)これがまた独特の言葉遣いで手こずる
その方面に慣れていないのでなかなか文章の意図が把握できない
もっともこれ若干抽象的に書かれていると本人も自覚している

やはり気になるのは、多分多くの人が指摘するところで
「何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入した」という部分
西欧の(個人の中の)神との葛藤とか筋道(理論)に対する信頼とか、その覚悟に従った行為ではなく
まるでその場の空気の従ったような日本の歴史を、ここでも説いている(空気の研究を思い出す)

そしてそういう空気を醸し出す立場は、お偉いさんから(あの人)との距離感によって左右される
一番偉いのは現場の人間と言いながら、責任は取らず立場がなせる技という手で追求を逃れる

この本にリアリティを感じるのは、最近のこの国の有様がそのままではないかと感じられる点
西欧のように突き詰めて物事を考える訳でもなく、個の確立がなくともなんとなく大人の世界を生きているこの国
これはたまたま昨日(家族と見た)のイギリス王室の結婚式との比較でも感じたことで
一言で言ってしまえば、イギリスは個の確立した大人の判断と覚悟による儀式
これらは多分日本ではとても難しいだろうと思われること

日本人は果たして本当に西欧人が前提とする考え方を身に着けたのか
これは福沢諭吉も他の知識人もそれぞれ違う言葉で似たような言葉を発しているし
実際自分もそのように思うことは少なくない
もちろん日本は日本で独自の考え方はあってもいいが、そこには突き抜けるほどの徹底さがあって欲しい
(道元さんはその世界に達してる?)

本当に最近の政治を見ていると失望の方が大きい
現実に即して結果を求めて行うのが政治というものの、その進め方の品格のないこと
そしてそれに違和感を感じず個人の判断は存在せず、ただその場の空気に追従する様(官僚や与党議員)
これらは実は最近だけのことではなく、以前からそうだったと自覚するのは少しばかり辛い
実際にところ、気がついたところから試行錯誤で良いと思われることを進めるだけのことなのに
なんとこれの難しいことか、、

いつもようにまとまらないが、つい愚痴ってみたくなった、、

 

コメント
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