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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

忘れ物をしても平気でいられる(?)今時の人

2007年10月09日 20時54分39秒 | Weblog
最近のお母さんがたは、子供の持ち物に名前を書かない事が多い
先日もサッカー練習に来た子供達が帰った後に
水筒とタオルが置き忘れてあった
こんな事自体は子供達の事だから度々ある事なのだが
その持ち物に名前が書いてないので、連絡しようにも持ち主が判らず、
次回会うときまでの預かりとなってしまう
預かっている我々にも、「忘れ物をしたけれど知りませんか」
という問い合わせの電話はない
これが自分には不思議で仕方ない
まず、忘れたものに対して執着心が全然ないのだろうか
それとも平気で諦めてしまえるものなのだろうか

むかし自分らが子供の頃は、
母が何か買うとすぐに名前を書いたり縫い付けたりしていたし
よその子も同じように持ち物には名前はあった
しかし今は、余程の事がない限り
名前の入った持ち物は少ないようにみえる

物が、自分の物が無くなっても
どうして平気でいられるのだろう
安いからまた買えばいい!などと思っているのだろうか
物を大事にしないどころか
物に対する感覚が随分と変ってしまった様な気がしてならない

盗まれる物の多い物に傘と自転車があるらしい
雨に降られると、傘立てに並んでいる
自分のではない傘を持っていってしまったり
自転車も同様に勝手に持っていって
変な場所に乗り捨ててあるようだ

自分の物を大事にしない(管理しない)感覚と
人の物をたいした罪悪感なしに持っていってしまう感覚は
相通じていないだろうか?
自分には根っこのところがつながっている様な気がしてならない
そしてそれは今の消費文化が生み出した
気づかないうちに身に付いてしまった感覚なのかもしれない

人がなんと言おうと、やっぱり時代は(世界は)悪い方向に
向かっている様な気がしてならない
それが急激というよりは徐々になので、
つい見逃してしまっているのだが
気がついたらエライ事になっていた!

こんな事にならなければいいのだが!


コメント
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