9月から近所の子どもたちと登校することになった
ブラジル人を両親にもつ二年生の男の子
日本語はまるっきりできないようだ
2年生ならそのうちなんとかなる、、と思われるが
きっと緊張して学校に向かっていると思われる
そこで、今週の月曜日の登校時にスマホの翻訳アプリを使って会話を試みた
まずは「おはようございます」から
ポルトガル語では「bom dia」だが、音声を聞いても発音がうまくできない
それでも真似て言ってみると通じたようだし、心持ちホッとした表情が見える
(少なくとも関心を持ってもらえたことは安心に繋がったかな?)
次に「あなたの名前はなんですか?」「Qual é o seu nome?」
流石にこれは発音できないので、スマホの音声をそのまま聞かせた
すると「僕の名前は〇〇」と答えてくれた
ところが耳が〇〇を聞き取れない
校門で校長先生に聞いてみると、この子の名前は「ルイーズ」らしい
そこで今朝は、「bom dia ルイーズ君」と言ってみると
「おはようございます」と応じてくれた
それを聞いて「なんて名前?」
と一緒に登校する小3の女の子が聞いてくる
「ルイーズ君だよ」
彼女はまだ照れくさいのか、その後アクションはなし
多くの日本人に囲まれて、分からない言葉が飛び交う学校は
彼にとって緊張感を要するところだろう
2.3年ほど前に、外国をルーツに持つ子どもたちの日本語教育のために
新城市に「プレ教育」というシステムを採用するようにお願いしてみた
日本語に不自由な子どもたちは授業時間に特別に抜け出して
日本語の勉強をほとんど個人レッスン的に学ぶ制度で
抜け出した授業は休んではいない、、との扱いになる
このシステムは現在採用されており、新城小学校と千郷小学校に
プレ教育用の教師を各一人置いて対応している
ルイーズくんはその2校ではない小学校だが、校長先生に伺うと
専門の先生がその時はこちらの小学校に来てくれるとのこと
登校時にはもう少し彼とおしゃべりしたいが
残念ながら今はまだできないでいる
「仲良くやっていこうね」「Vamos lá a isto.」
次の登校時にはこれを言ってみよう(スマホの音声を借りて)
彼には小学校は楽しいと思ってもらいたいし
近所の子どもたちには、いろんな立場の人がいることを知って
それに慣れてほしいと思う
日曜の朝、たまにはお気楽な話を!
先週の木曜日の出来事
月木はいつも雨が降らないでほしいと思っている
小学生の登下校に傘をさして歩くのは可愛そうだからだ
(月木は登校時に校門まで付き添いで歩いている)
車で出かけ家に着いた午後4時ごろ
小3の女の子と小4の男の子が何やら真剣に話しながら歩いていた
「おかえり!」
「ただいま」
あいさつもそこそこに、女の子が聞いてきた
「ねえねえ、おじさん、メロンは野菜、果物、どっち?」
「なになにだから果物だよ」
間髪をおかず男の子が自説を披露する
「違うよ、メロンはなになにの種類だから野菜だよ」
女の子も負けていない
「そうだな、これは難しい問題だな、、どっちかな」
果物の定義を思い出すとどうやら野菜っぽいが、、
「ちょっとわからないなあ」
「なーんだ、今度(月曜のいつもの付き添い時間)までに調べておいて」
彼らはまたそれぞれの意見を交換しながら家まで歩いていく
こんな出来事がとても幸せな時間に思えてくる
地域で子どもを育てるなどと大げさなことではなくて
単純に子どもたちが緊張感を持たずに大人と接することができる
というのは、本当に良いことだと思う
ところで、ネットで調べてみると、メロンは野菜か果物か?
の問はしばしばあるようだ
答えは、生物学的な分類では野菜に入るが
商品として扱う青果業界(?)の方では果物として扱っているので
どちらとも言えるようだ
もう少し調べておかないといけないが
彼らは今度会う月曜日までこのことを覚えているだろうか
(忘れていたら、こちらから言ってみよう)
でも、いろんな都合でどちらも正しいと言うのは
子どもたちにとってはスッキリしないかもしれない
この時期では、傘をささずに学校まで歩いていけるだけで儲けたようなもの
今日はその意味ではラッキーだった
月木の小学校校門までのウォーキングは、途中のおしゃべりが楽しい
気を使う必要はないが、できるだけ皆と話すことにしている
先日「おしゃべりが楽しい」と言った3年の子は最近我儘になっている
それを本人は気づいていないだろうが、成長の印なんだろう
「見て、どこか変わってるから」
忘れものの名人の4年の男の子は、靴をきちんと履きながらつぶやく
「最近、ちょっと太ったね!」
というのは傷つきそうなので、やめにして
「うーーん、分からないな」
「ほら、水筒が新しくなった」
と言って嬉しそうに見せる
(流石に水筒のことまではわからないぞ、、Hくん!)
「小学校、もう慣れた?」
女の子でも必要なこと以外話さない一年生の子に聞いてみた
「うん」(答えはそれだけ)
もう少し聞いてみた
「給食、食べれる」
「うん、大盛りでも食べれる」
「好きなものは何?」
「カレー」
やはり必要なことしか言わない
「嫌いなものは?」
「ピーマン」
やはり子どもの好きなもの嫌いなものがあがってくる
「大学生の人、授業に来る」
最近、教育実習に来ている人がいるので、今度はもうひとりの女の子に聞いてみる
「こないよ、、〇〇生だけだよ」
(そうなのか)
男の子は本当に喋らない、6年生に聞いていた
「〇〇くん、今日サッカーの代表戦あるね
代表の菅原は豊川出身だよ、凄いね」
「うん、ラランジャだった」
「今日は豊田スタジアムでやるんだよ」
「うん、今日見に行く」
「凄いね、今度、その時の話聞かせてね」
「うん」
そんな会話をしていると校門まであっという間だ
記憶には残らないこうした会話
残るのは楽しかった!という記憶だけ
だがそれで良いのだ
自分にとっても彼らにとっても
彼らには守られていると実感してほしいと思う
彼らは大きくなった時、この時間をどのくらい覚えているのだろう
雨は夜のうちにしっかり降って、朝は大した降りではなかった
朝の天気がつい気になってしまうのは、登校する小学生の子どもたちが
傘をさして、それでも濡れてしまいそうなのが可愛そうだからだ
通学中に長靴を履いた子どもが、わざわざドブにはいって行くのは
自分らの子供時代も同じで、周りの迷惑を顧みず傘を回して
水滴を飛ばすのも多分似たようなものだろう
窓から覗いた今朝の子どもたちの登校の列は
学校までに衣服が濡れることはなさそうで、少し安心したところだ
先日、少し我儘になってきた女の子が聞いてきた
「ねえおじさん、どうしてこうやって一緒に歩くようになったの?」
「それはね、知ってる人がこういう運動(あいさつ推進運動)があるから
参加してみない!と勧められたからと、校門までウォーキングできるからと」
「運動になるもんね」
「もう一つ、こうやって君たちをおしゃべりするのが楽しいからだよ」
「そうだよね、おしゃべり楽しいもんね
喋っていると退屈しないので時間がすぐに進んで行くみたい」
それから彼女はおしゃべりをして時間経過が速い例をいくつか挙げた
そこに口を挟むのは、忘れ物の心配なひとつ上の男の子
「話の邪魔しないで、、!」
彼は既に彼女に仕切られる立場になっている
「学校楽しい?」
今年1年の女の子に入学してすぐの頃聞いたことがあった
「イヤ!」
シンプルな返事だが、こども園の頃の自由さから
小学校の規則正しい生活は、最初はそんなものかもしれない
時間が経過して、最近もう一度聞いてみた
「学校、楽しい?」
「うん」
小学校生活もだいぶ慣れてきたようだ
女の子でもこの子は、聞かれたことを答えるだけで
自分からはあまりおしゃべりしない
小学校の校門までの時間は、行きはおしゃべりで時間が速く進んでいくが
帰りは退屈で、少し長く感じてしまう(普通の経験と違う)
月曜と木曜日のあいさつ推進運動の時間は
無邪気な子どもたちとのおしゃべりで心の健康が保たれる
素晴らしい時間だ
(いつも振替休日の月曜日は物足りなく感じてしまう)
連休(GW)の合間、小学生は登校日だ
可愛そうな彼らを庭から見送り、家に入ろうとすると
隣の家の方が
「昨日、〇〇さん(自分のこと)の誕生日だった?」
と話しかけてきた
なんで、知ってるのだろう?
不思議に思いながら答えると
「昨日の午後ね、小学生の子が〇〇さんの家に向かって
おじさん、誕生日おめでとう!と言ってたから、そうかなと思って!
それ、知らなかった?」
残念ながら、自分は全く知らなかった
きっと車があったから家にいると思ったのだろう
その話を聞いた時から心が一気に軽くなる気がした
確かに昨日は誕生日の話をしながら校門まで歩いた
でも自分のことではなく、いつも寡黙な女の子に
少しでも話しができるように誕生日を聞いたのだった
マイペースな忘れ物の多い僕くんは
「おれは12月〇〇日」と口をはさむ
男の子でもこのくらいの年齢は割合おしゃべりだ
「おじさん、何歳?」
校門の近くになって、時々繰り返される質問が出た
「何歳かな、当ててみて」
「〇〇歳」
いつも驚くのは、子どもは年齢という概念をちゃんと理解していないということで
時に「20歳?」とか「100歳」とかとんでもない数字を口にする
「実は今日(昨日のこと)は僕の誕生日なんだ」
自分の誕生日について口にしたのはこのくらいだけだった
でも、それが彼らの記憶に残っていたとは、、
そして家に向かって「おじさん、誕生日おめでとう」と言ってくるとは
日々の楽しいことというのは、こういうことだな!
とつくづく感じる
いつか忘れ去られるような些細な感情の動き
それらの積み重ねが幸福な時間だと思う
この話を聞けた今日は、きっと良い日だ!
3月のこの時期になると、毎年我々のボランティアグループに回覧が回ってくる
月曜日と木曜日に小学生の登校の集合場所、あるいは小学校の校門に
おじいさんやおばあさんが並んで「おはようございます」と声がけをする
「あいさつ推進運動」に対する子供たちの感謝の作文が綴じられて回ってくるのだ
自分は健康維持のために校門まで一緒に歩いているが、この時間は結構楽しい
無邪気な会話とか尻取りとか、「それ前聞いた」と怒られたりとか、、
つまりは心の健康にとても良い時間を過ごすことができるのだ
1年生から6年生の中から何人かの作文をまとめて綴じてあるのだが
毎年感動を覚えるのが、書かれている文字の綺麗さの進歩がすごいということだ
一年生は大きな字で勢い込んで書かれている
でもその分迫力がある
それが4年から6年になると列も真っ直ぐで、自分よりもきれいな文字が並ぶ
そこで作文を読んでみると「書かされている」と感じるものが毎年幾つか並ぶ
子供たちの本音というよりは、先生や大人たちはこう書いてほしいといった内容を
子どもたちが忖度して書いているかのようだ
気になるのは近所の子らの作文があるのか?という点で
パラパラとめくってそれらを見つけた
まずは最近やっと8歳になったばかりの2年生の女の子の文章
型どおりの感謝に続いて「手をつないで歩いてくれてありがとう」とあった
この子は一年の時、入学時はウキウキして登校していたのが
GW後は登校が嫌になる傾向が見られて、家から出ようとしないで涙を流している
そこでお母さんから「おじさんに手をつないでもらって行きなさい」と言われて
その後ずっと手をつないで行くことになった
今は大きくなったので手をつないでくれることが減って、そこで成長を感じたりする
その他にも彼女もハーマイオニーのようにしっかりした態度で
一年上のまだまだ子供っぽい男の子をやり込めている(女の子の成長は速い)
近所の子のもう一つの作文は「いつも忘れ物ない?と聞いてくれてありがとう」とある
おかげで忘れ物がなくなった、、と続かないのが彼らしく正直なところで
忘れ物をする可能性が少なくなったと続いている(今も忘れ物は多い)
このように具体的な話がでてくると、書かされているというよりは
何かを感じているのだと想像できるので、それがこちらも嬉しい
今年度の小学校は20日が卒業式、24日は終了式
今の子たちと一緒に歩くのはあと少しだけ、、、
昨日の午後三時くらいから気分がウキウキしている
たったそれだけのことで体も軽く感じるのは
人は如何に心の状態に影響されているのかがわかる
昨日の午後、FBのメッセージの音がなった
スマホを見ると、2年前のGWから約一年
日本語の勉強の手伝いをしていた女の子からだった
お姉ちゃんと弟の二人は2年前の4月、新城(日本)から母国のブラジルに帰った
それまでは彼らと小学校の授業が終わってから日本語の勉強の手伝いをしていたので
せっかく覚えた日本語を忘れてしまいそうになるのはもったいなくて
ズームを使っての勉強を続けるように提案すると
5月の連休ころから日本では朝の7時半ブラジルは夜の7時半からの
文明の利器を使った交流が始まった
(それは約一年続いた)
彼らは去年の5月ころ再び日本に戻ってきた
ただし今度は新城ではなくて今度は隣町の豊川市だ
今は弟は豊川の小学校に、お姉ちゃんはブラジルの学校に
通うようになっているのはお姉ちゃんからFBのメッセージで知ることとなった
ただし、それからは気にはなっていたが、お互い交流はなかった
それが昨日、突然
「こんにちは先生、お久しぶりです。
日本語能力試験N4を受験したことをお伝えしたかったです」
もう〇〇ちゃんとは呼べない、大きくなったお姉ちゃんから
こんなメッセージが届いたのだった
(合格の文字が入ってた画像も一緒に送られたきた)
体が軽く、心がウキウキし始めたのはこの時からだった
なんだか、とても嬉しくて
「こんにちは、エライ!よく頑張ったね」
と時間をあけず返信した
すると
「私は今、N3を試験するために勉強するつもりです」
とのメッセージが続いた
人の気持って通じるものだな、、
どこか漠然とした自己肯定感を感じて、それからずっといい気分でいられた
「先生は元気ですか?」
そんな気遣いのメッセージも続いて、とにかく連絡をくれたことが
嬉しかったと返信をした
子供の時の記憶は、残念ながらいつか忘却の彼方に消えてしまう
自分でも小学校とか中学のそれは確固としたものではない
お姉ちゃんと弟は、いつか、自分との交流も忘れてしまうかもしれない
でも、交流していたその時その時は楽しかったという漠然とした記憶は
残るのではないかとつい期待してしまう
ところで大きくなったら警察官になりたいと言っていた
ルービック・キューブの得意な弟は元気で学校に通っているらしい
またいつか会うことができたら、良いな
昔は30日には近所のどの家も餅つきをしていた
どこからもペタンペタンと音が聞こえていた
10人家族の我が家は8臼ついて
最後は大根おろしで生餅を頂いたり
子どもも中に餡をいれて大福餅をみんなで作った
年末の忙しい30日に餅つきをしたのは
前日の29日では音に「苦」がつくから縁起が悪いとされていたからだ
ところが今は「福がつく」という語呂合わせで
29日の餅つきも問題なしとされている
昨日(29日)、知り合いのところで餅つきがあった
有機農法をしているひとに、のし餅を注文した人たちが集まって
自分でついたり、ついてもらったりして、その時間を楽しんでいた
自分もお誘いを受けて出かけた
外国をルーツに持つ子どもたちの日本語の勉強に尽力されている人が
子どもたちに餅つきを見せてあげたいとして、中学生になった子どもに
会場に来るように伝えていた
「久しぶり、卓球はどうだった」(彼は中学は卓球部だったので)
「ベスト16までいった」
「偉いじゃん、日本のワールドカップみたいだね。
ところで、ワールドカップは日本とブラジルとどっちを応援した?」
「ブラジル」
この彼が6年のときは、友達から借りた傘を壊したとする事件があって
当事者同士がそれぞれの言い分を戦わせる裁判のようなものをしたことがあった
それは楽しい思い出だが、それより前に彼を強く叱ったことがある
禁止用語とされる4文字を自分に向かって発したときのことだ
彼は勉強をする気持ちが全然見られず、いつまでもノートを開こうとしない
何か一言二言交わしたときに彼は投げやりにそういった
「ちょっと来い!」
少しばかり怒気を込めて勉強している場所から外に出るように彼に伝えた
そこにいた他の子は何事か?と緊張した空気が流れた
教室の外のベランダのようなところに座って彼を叱責した
今はどのように叱ったのか、、覚えていない
多分、何故、怒ったのか、、
何故、勉強を手伝う人は彼らのために時間を費やしているのか
そんなところを話したのだと思う
その時、彼は自分を怖い人の印象を持ったのかもしれない
もっとも叱ったのはその一回だけで
後はもう少し叱ってほしいと声が出そうな、緩い接し方だった
「先生、もっと大きい人だと思ってた
以前は、大きくて怖くてそんな感じだったのが
並んでみると今は同じくらいで、、」
彼との接し方はもう以前の大人と子どもの関係ではなく
お互い人間同士の関係の様になっている
彼も言葉の意味だけでなく、そこに込められた気持ちも
理解できる様になっているようだ
Youtubeで見ただけの餅つきだけでなく、
実際に重い杵を振り上げて腕がパンパンになるまで餅をつく
彼は「重い!」を繰り返しながら最後まで頑張る
今日になれば彼はいろんなところが筋肉痛だろう
だが、久しぶりに見た彼はちゃんと成長していて
それなりの尊敬の気持ちをもって接してくれるように
なっているのが嬉しかった
(もう怖いとは思わないだろう)
月木のあいさつ推進運動が再開した
近所の小学生が集まって、あいさつをして校門まで歩くお楽しみの時間だ
いつも集合時間が守られていないので、ギリギリの時間に家を出ると
なんと子どもたちは列を作って歩いてる
慌てて列に参加する
いつものようにわがままになってきた一番小さな女の子が
「これ持って!」と当然の顔をして手渡す
「僕のも持って」とまだお喋りに恥ずかしさを感じない男の子が
同じように渡す
今までと違うのは一緒に行く子の数が増えたことだ
家の周りは新築住宅が増えて、4月前に引越してきた人たちがいて
そこには子どもがいて、一緒に行くことになっていた
その他にも近くの子が集まって、なんだか賑やかくなってきた
「ねえ、しりとりやろう!」
以前、「それ前にも言ったよ!」
とダメ出しをした女の子が誘う
そこで4人でしりとりをしながら校門まで歩いていく
天気はいいし、子どもたちは屈託ないし、なんだかホッとした幸せな気分になれる
校門まで来ると、人事異動でいるはずのない教頭先生がいた
近くによると少し違うことに気づいた
「〇〇さん、おはようございます」
えっ、なんで自分の名を知ってるのかな?
「〇〇です」
それを聞いて何回かあったことのある人だと思いだした
前回の教頭先生も優しい良い人だったが、この方も以前お会いしたときも
共感力のある直感的に信じられる雰囲気の方だった
ということで、いろいろ変化のみえる新学期がスタートだ
もしかしたら最後になるかもしれないブラジルにいる子たちとの日本語の勉強
昨年のGWの頃から始まって今朝まで11ヶ月
時には休みもあったが思いのほか順調に続けることができた
彼らは4月1日に日本に向かうとのこと
また長いフライトで飛行機はお姉ちゃんも弟も「怖い!」と
あまり嬉しくないかのよう
zoomでの勉強は、3年の弟くんは日本語を忘れないように初歩的なことを
中1のお姉ちゃんは学ぶこと自体に興味を持てるように努めたが
果たしてその効果は、、、
最近嬉しかったのは画面の向こうから「それ、わからない」
と聞いてくれたこと
「わからないことは聞くように!恥ずかしくても聞くんだよ」
といった指摘がごく自然にできていることが頼もしく思える
日本に来てこれからはどうするか?(zoomの勉強を続けるか?)
はまだ決まっていない
日常生活で日本語に触れる機会が多くなるので、これが必要か?
と思えるが、懐いてきた彼らとおさらばするのも少し寂しい
「この約一年のzoomでの勉強どうだった?」と聞いてみると
「楽しかった!」との返事
それだけで全てが報われた気さえする
(楽しかったのはこちらも同じだった)