パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

明日は終業式

2023年12月21日 09時31分25秒 | 子どもたちのこと

月木の近所の子らとの小学校校門までのウォーキング
気になるのは全員いるかどうかだが、のんびり屋さんは約2名いて
今年の班長さんは時間がくると彼らをおいて出かけていく

今年の9月からブラジルをルーツにもつ二年生の男の子が
この通学の仲間に入ることになった
彼は日本語が全くできず、いきなり小学校に放り込まれた形になるが
新城市には「プレ教育」というシステムがあって
日本語が使えない子供には授業の時間を割いて
専門の先生によって日本語勉強をすることになっている

専門の先生は新城小学校と千郷小学校に各一人づついて
我々の東郷西小学校にはいないが、どちらかの小学校から
火曜日、水曜日、木曜日にやってきて一日3時間分(?)教育していくそうだ

校長先生の話によると子どもの成長は目を見張るほどとのこと
でも、上手くやっているかどうかが心配だ
それで月木の登校時に彼の表情を観察する
元気か、機嫌が悪くないか、生き生きとしているか
学校へ行くのが苦痛でなさそうか、、
そこで挨拶だけでなくいろんなことを質問してみる
でも残念なことに質問に対する答えは、答えになっていない「うん」とか
少しわからない音の場合が殆どだ

最近はこの子とできるだけ話して歩くことにしている
本当は一年生のチンプンカンプンな答えが返ってくる女の子と
おしゃべりをしたいところだが、しばらくはこの男の子と話すことにしている
それは、彼に「自分のことを心配している人がいる、一人ぼっちじゃない」
ということを実感してもらいためだ

彼とは校門でハイタッチをして「頑張って!」と送り出す
それが日常になっているので、先日夕方にお母さんと一緒に歩いている彼を見つけると
挨拶がてら手を差し出すとハイタッチに応えてくれた
その時の表情は緊張感もなく、穏やかだ

また先の月曜日は一緒に学校に行くように彼の家のドアフォンを鳴らすと
お母さんが出てきて「ありがとうございます」の言葉をもらった
なんとなく、自分思いは通じているのだろうな、、と感じた

「明日は終業式なので今年の挨拶すいしん運動は今日が最後です」
校長先生が校門に並ぶおじさんたちに(おじいさんが多い)声をかけた
小学校の予定表はもらっているが、いざこうして聞いてみると
もうそうなのか!と驚く

ブラジルをルーツにもつLくんもやっと4ヶ月
歩くのが速くなった一年のKちゃんもこの間、誕生日を迎えたばかり
しりとりの大好きだったMちゃんは最近しりとりのお誘いがない
マイペースを崩さない男三人兄弟の末っ子くんは何があっても動じない
「忘れ物ない?」と聞くと「ない」と答える割にはいつも校門で忘れ物に気づくHくん
二年前は手を繋いで登校したAちゃんは、すっかり女の子らしくなって
いつもひとつ上の男の子を叱っている
聞かれたことにだけ応えるおとなしい女の子のRちゃん
班長さんは余分なことを一言も発しない

そんな彼らと今度会うのは来年
少し寂しいな!と思ったりする

校門で分かれる時に校長先生や仲間に定番の「良いお年を!」
と声をかけたが、まだなんとなく気分が乗らない感じ
(大掃除も済んでないし)



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昔は遠足、今は校外学習

2023年10月26日 09時31分04秒 | 子どもたちのこと

月木のルーティンワーク、近所の子達との小学校校門までの付き添い
子どもたちも当たり前の日常になっているので
本来の目的の挨拶は、どちらかといえばそんなにされていない気もする

今日は6年の子が修学旅行でいないので、5年の子が班長
集合場所にいつも遅れてくる子の家のボタンを押しに出かけて
みんなは少しだけ待つ

「ネエネエ、おじさん、今日、足湯に入るんだよ」
3年の子が話しかける
そういえば、今朝はランドセルを背負っていない
そのかわりがリュックサックになっている

「今日ね、校外学習で本当は阿寺の方に行く予定だったんだけど
 道が通れなくなっているので変わって、足湯に2箇所入るんだって」
「それ、どこかな?」
「わかんない!」
しっかりしている様でも、こんなこトンチンカンのことが結構多い
(それが楽しい)

「あのね、バスで行くんだけど、足湯もバスも初めてだから嬉しい」
そうか、今は車であちこち行く家庭が多いから
みんなでバスに乗るのも楽しいのか
(修学旅行の行き先は、奈良京都だがバスでずっと回る予定だそうだ)

1年の女の子に話しかけてみる
「今日、校外学習だってね、どこ行くのかな?」
「わからん!」
この子は良いカッコしいの気持ちがないから、いつもこの様な答え方をする
先日は
「Kちゃんと、弟の〇〇くんと喧嘩する?」
「する!」
「どんな喧嘩?」
「殴り合い!」
とびっくりするような答えを返してきた

校門までの道に踏切がある
「Kちゃん、この電車に乗ったことある?」
「ない」
「新幹線に乗ったことある」
と続けて答えた
「新幹線のって楽しかった?」
「うん」

月木の付き添いしていると、休み明けの月曜日は機嫌が悪い子が多い
木曜日は学校生活のリズムに慣れているので、おしゃべりになっている

子どもたちはみんなリュックサックを背負って、中に弁当を入れて
どこかいつもと違う空気を楽しんでいるかのよう

9月から引っ越してきたブラジルのLくんもリュックサックを背負っている
でも彼は何をするのかは、きっとわからないだろうな

ということで、今日は6年生は修学旅行
他の学年は校外学習でお出かけになっている

校門で待ってた大人たちは
「昔は遠足って言ってたが、今は校外学習
 鳳来寺山は階段を登ったものだが、今は駐車場から歩くだけのようだ」
と懐かしんでいる

子どもたちは教室に入らず、外で集合したまま座っている
まだまだ圧倒的に知ってることの少ない子どもたち
そこから信じられないくらい、いろんなことを覚えていく時間を過ごことになるのだが
新しいことを覚えられないとか、探しものをいつもしている我が身を思うと
その可能性が羨ましく思えて仕方ない


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久しぶりの運動会見学(スポーツフェスタ見学)

2023年09月30日 16時56分53秒 | 子どもたちのこと

コロナのせいで暫くの間は、一家族一人の人数制限がされていた小学校の運動会
今年はやっと普通通りに開催されることになった
近所の子達の活躍が気になるし、今年赴任した先生の中に
自分がサッカーコーチだったときの教え子がいて
(いつまで経っても呼び捨てか〇〇ちゃんだ)
それも気になるので開始早々にでかけた

今年は徒競走とか赤白に分かれて競うもの(リレーとか大玉送り)は
ないらしいことが聞いていた
それで盛り上がるのか?
と疑問を覚えたが、どうもそういう時代らしい
運動会は「スポーツフェスタ」と名前が変わっていた

出かけるとクソ暑かった
会場は縄跳びとか、バスケット、ランニング、鬼ごっこ、ドッジボール、ボーリングみたいなもの
ボールを使ったお遊びなどのコーナーに分かれて、同時進行で行われていた
親御さんは自分の子供がいるところで見学している
以前のように徒競走のゴール地点でカメラを構えて場所取り合戦はない

近所の子どもたちを見つけるのはとても難しい
みんな同じに見えてくる
見つけることができたのは見物客に親御さんがいたHくんとKちゃんと
9月に引っ越してきたブラジルにルーツを持つL君だけだ

暫く会っていない先生のM君は(三人兄弟の真ん中で今年は6年の担任になっている)
鬼ごっこのゾーンで、カメラ係になっている
こちらに気がつくと、「これだけで汗びっしょり」と一言
自分の背中も汗で湿っている

明日から10月というのになんて天気だ!
と怒りを覚えるほどだ

ちょっと心配なブラジルにルーツを持つ2年生のLくんは
一回目はは縄跳びのコーナーで遊ぶことになっていたが
やりたくない、、と外に出ていたようだ(お母さんの近くにいた)
彼は縄跳びよりただ走るコーナーに参加したいらしい
どうやら、彼は最初は40分の縄跳びのあと、一旦休憩をとって
その後でランニング(陸上の専門家による走り方教室)になっていたらしい

この運動会のシステムが分かっていないらしく
少し戸惑っていたようだ
(仕方ない、まだ日本語がわからないし)
彼を見に来たお母さんとは、彼女のスマホのポルトガル語を日本語にするアプリで
アバウトな会話を行った
そのうち彼女の知り合いの日本人が近寄ってきて、大体の流れを把握したらしい

Lくんは土曜日に学校に行く理由がよく分かっていないらしく
遊びに行く感じでいたようだ

でも校長先生の感想を聞くと、彼の(日本語の)成長の度合いは素晴らしいらしい
それには友達との会話が一番と続いたが
先日はこんな事があった

下校時に家の近くで「おかえり!」と見守っていたとき
一緒に下校した子と喧嘩しているところを見かけた
喧嘩は駄目と言おうとしたが、案ずることはない
L君はそのケンカ相手(?)に家で一緒にゲームをしないか!
とお母さんを通じて誘ってきたのだ

その経緯は、彼は一旦お母さんに話しかけ、お母さんはスマホのアプリを用いて
大人である自分にで話しかけてきて、少し変な日本語を推察すると
ゲームを一緒にやりたいということで、それをケンカ相手に話すと
直ぐ様彼の家に入っていった

いつも子どもたちの喧嘩は瞬間芸だと思う
ついさっきまで喧嘩していても、ちょっとするとケラケラふたりとも笑っている
子どもたちはいつも現在進行系で生きている
喧嘩の記憶なんてないかのようだ
大人のように喧嘩を根に持つなどということはない

結局はこの暑さに勝てず、早々に引き上げてきたが
子どもたちはあの暑さの中「走っていた」
生命力というのは、こういうことだな!
と呆れると同時に羨ましく思えたのだった



 

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翻訳アプリを使って話してみた

2023年09月14日 09時23分26秒 | 子どもたちのこと

9月から近所の子どもたちと登校することになった
ブラジル人を両親にもつ二年生の男の子
日本語はまるっきりできないようだ
2年生ならそのうちなんとかなる、、と思われるが
きっと緊張して学校に向かっていると思われる

そこで、今週の月曜日の登校時にスマホの翻訳アプリを使って会話を試みた
まずは「おはようございます」から
ポルトガル語では「bom dia」だが、音声を聞いても発音がうまくできない
それでも真似て言ってみると通じたようだし、心持ちホッとした表情が見える
(少なくとも関心を持ってもらえたことは安心に繋がったかな?)

次に「あなたの名前はなんですか?」「Qual é o seu nome?」
流石にこれは発音できないので、スマホの音声をそのまま聞かせた
すると「僕の名前は〇〇」と答えてくれた
ところが耳が〇〇を聞き取れない

校門で校長先生に聞いてみると、この子の名前は「ルイーズ」らしい
そこで今朝は、「bom dia ルイーズ君」と言ってみると
「おはようございます」と応じてくれた

それを聞いて「なんて名前?」
と一緒に登校する小3の女の子が聞いてくる
「ルイーズ君だよ」
彼女はまだ照れくさいのか、その後アクションはなし

多くの日本人に囲まれて、分からない言葉が飛び交う学校は
彼にとって緊張感を要するところだろう

2.3年ほど前に、外国をルーツに持つ子どもたちの日本語教育のために
新城市に「プレ教育」というシステムを採用するようにお願いしてみた
日本語に不自由な子どもたちは授業時間に特別に抜け出して
日本語の勉強をほとんど個人レッスン的に学ぶ制度で
抜け出した授業は休んではいない、、との扱いになる

このシステムは現在採用されており、新城小学校と千郷小学校に
プレ教育用の教師を各一人置いて対応している
ルイーズくんはその2校ではない小学校だが、校長先生に伺うと
専門の先生がその時はこちらの小学校に来てくれるとのこと

登校時にはもう少し彼とおしゃべりしたいが
残念ながら今はまだできないでいる

「仲良くやっていこうね」「Vamos lá a isto.」
次の登校時にはこれを言ってみよう(スマホの音声を借りて)

彼には小学校は楽しいと思ってもらいたいし
近所の子どもたちには、いろんな立場の人がいることを知って
それに慣れてほしいと思う

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メロンは果物か?野菜か?

2023年07月02日 09時01分54秒 | 子どもたちのこと

日曜の朝、たまにはお気楽な話を!

先週の木曜日の出来事
月木はいつも雨が降らないでほしいと思っている
小学生の登下校に傘をさして歩くのは可愛そうだからだ
(月木は登校時に校門まで付き添いで歩いている)

車で出かけ家に着いた午後4時ごろ
小3の女の子と小4の男の子が何やら真剣に話しながら歩いていた
「おかえり!」
「ただいま」
あいさつもそこそこに、女の子が聞いてきた
「ねえねえ、おじさん、メロンは野菜、果物、どっち?」

「なになにだから果物だよ」
間髪をおかず男の子が自説を披露する
「違うよ、メロンはなになにの種類だから野菜だよ」
女の子も負けていない

「そうだな、これは難しい問題だな、、どっちかな」
果物の定義を思い出すとどうやら野菜っぽいが、、
「ちょっとわからないなあ」
「なーんだ、今度(月曜のいつもの付き添い時間)までに調べておいて」

彼らはまたそれぞれの意見を交換しながら家まで歩いていく

こんな出来事がとても幸せな時間に思えてくる
地域で子どもを育てるなどと大げさなことではなくて
単純に子どもたちが緊張感を持たずに大人と接することができる
というのは、本当に良いことだと思う

ところで、ネットで調べてみると、メロンは野菜か果物か?
の問はしばしばあるようだ
答えは、生物学的な分類では野菜に入るが
商品として扱う青果業界(?)の方では果物として扱っているので
どちらとも言えるようだ

もう少し調べておかないといけないが
彼らは今度会う月曜日までこのことを覚えているだろうか
(忘れていたら、こちらから言ってみよう)

でも、いろんな都合でどちらも正しいと言うのは
子どもたちにとってはスッキリしないかもしれない

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今日のおしゃべり

2023年06月15日 09時08分09秒 | 子どもたちのこと

この時期では、傘をささずに学校まで歩いていけるだけで儲けたようなもの
今日はその意味ではラッキーだった

月木の小学校校門までのウォーキングは、途中のおしゃべりが楽しい
気を使う必要はないが、できるだけ皆と話すことにしている

先日「おしゃべりが楽しい」と言った3年の子は最近我儘になっている
それを本人は気づいていないだろうが、成長の印なんだろう

「見て、どこか変わってるから」
忘れものの名人の4年の男の子は、靴をきちんと履きながらつぶやく
「最近、ちょっと太ったね!」
というのは傷つきそうなので、やめにして
「うーーん、分からないな」
「ほら、水筒が新しくなった」
と言って嬉しそうに見せる
(流石に水筒のことまではわからないぞ、、Hくん!)

「小学校、もう慣れた?」
女の子でも必要なこと以外話さない一年生の子に聞いてみた
「うん」(答えはそれだけ)
もう少し聞いてみた
「給食、食べれる」
「うん、大盛りでも食べれる」
「好きなものは何?」
「カレー」
やはり必要なことしか言わない
「嫌いなものは?」
「ピーマン」
やはり子どもの好きなもの嫌いなものがあがってくる

「大学生の人、授業に来る」
最近、教育実習に来ている人がいるので、今度はもうひとりの女の子に聞いてみる
「こないよ、、〇〇生だけだよ」
(そうなのか)

男の子は本当に喋らない、6年生に聞いていた
「〇〇くん、今日サッカーの代表戦あるね
 代表の菅原は豊川出身だよ、凄いね」
「うん、ラランジャだった」
「今日は豊田スタジアムでやるんだよ」
「うん、今日見に行く」
「凄いね、今度、その時の話聞かせてね」
「うん」

そんな会話をしていると校門まであっという間だ
記憶には残らないこうした会話
残るのは楽しかった!という記憶だけ

だがそれで良いのだ
自分にとっても彼らにとっても
彼らには守られていると実感してほしいと思う

彼らは大きくなった時、この時間をどのくらい覚えているのだろう

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おしゃべりの時間は楽しい!

2023年06月09日 09時18分43秒 | 子どもたちのこと

雨は夜のうちにしっかり降って、朝は大した降りではなかった
朝の天気がつい気になってしまうのは、登校する小学生の子どもたちが
傘をさして、それでも濡れてしまいそうなのが可愛そうだからだ

通学中に長靴を履いた子どもが、わざわざドブにはいって行くのは
自分らの子供時代も同じで、周りの迷惑を顧みず傘を回して
水滴を飛ばすのも多分似たようなものだろう

窓から覗いた今朝の子どもたちの登校の列は
学校までに衣服が濡れることはなさそうで、少し安心したところだ

先日、少し我儘になってきた女の子が聞いてきた
「ねえおじさん、どうしてこうやって一緒に歩くようになったの?」
「それはね、知ってる人がこういう運動(あいさつ推進運動)があるから
 参加してみない!と勧められたからと、校門までウォーキングできるからと」
「運動になるもんね」
「もう一つ、こうやって君たちをおしゃべりするのが楽しいからだよ」

「そうだよね、おしゃべり楽しいもんね
 喋っていると退屈しないので時間がすぐに進んで行くみたい」
それから彼女はおしゃべりをして時間経過が速い例をいくつか挙げた

そこに口を挟むのは、忘れ物の心配なひとつ上の男の子
「話の邪魔しないで、、!」
彼は既に彼女に仕切られる立場になっている

「学校楽しい?」
今年1年の女の子に入学してすぐの頃聞いたことがあった
「イヤ!」
シンプルな返事だが、こども園の頃の自由さから
小学校の規則正しい生活は、最初はそんなものかもしれない

時間が経過して、最近もう一度聞いてみた
「学校、楽しい?」
「うん」
小学校生活もだいぶ慣れてきたようだ
女の子でもこの子は、聞かれたことを答えるだけで
自分からはあまりおしゃべりしない

小学校の校門までの時間は、行きはおしゃべりで時間が速く進んでいくが
帰りは退屈で、少し長く感じてしまう(普通の経験と違う)

月曜と木曜日のあいさつ推進運動の時間は
無邪気な子どもたちとのおしゃべりで心の健康が保たれる
素晴らしい時間だ
(いつも振替休日の月曜日は物足りなく感じてしまう)



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誕生日祝いの声をかけてくれたのは小学生

2023年05月02日 08時57分59秒 | 子どもたちのこと

連休(GW)の合間、小学生は登校日だ
可愛そうな彼らを庭から見送り、家に入ろうとすると
隣の家の方が
「昨日、〇〇さん(自分のこと)の誕生日だった?」
と話しかけてきた

なんで、知ってるのだろう?
不思議に思いながら答えると
「昨日の午後ね、小学生の子が〇〇さんの家に向かって
  おじさん、誕生日おめでとう!と言ってたから、そうかなと思って!
 それ、知らなかった?」

残念ながら、自分は全く知らなかった
きっと車があったから家にいると思ったのだろう
その話を聞いた時から心が一気に軽くなる気がした

確かに昨日は誕生日の話をしながら校門まで歩いた
でも自分のことではなく、いつも寡黙な女の子に
少しでも話しができるように誕生日を聞いたのだった
マイペースな忘れ物の多い僕くんは
「おれは12月〇〇日」と口をはさむ
男の子でもこのくらいの年齢は割合おしゃべりだ

「おじさん、何歳?」
校門の近くになって、時々繰り返される質問が出た
「何歳かな、当ててみて」
「〇〇歳」
いつも驚くのは、子どもは年齢という概念をちゃんと理解していないということで
時に「20歳?」とか「100歳」とかとんでもない数字を口にする

「実は今日(昨日のこと)は僕の誕生日なんだ」
自分の誕生日について口にしたのはこのくらいだけだった

でも、それが彼らの記憶に残っていたとは、、
そして家に向かって「おじさん、誕生日おめでとう」と言ってくるとは

日々の楽しいことというのは、こういうことだな!
とつくづく感じる
いつか忘れ去られるような些細な感情の動き
それらの積み重ねが幸福な時間だと思う

この話を聞けた今日は、きっと良い日だ!



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子どもたちの感謝の作文

2023年03月14日 09時08分02秒 | 子どもたちのこと

3月のこの時期になると、毎年我々のボランティアグループに回覧が回ってくる
月曜日と木曜日に小学生の登校の集合場所、あるいは小学校の校門に
おじいさんやおばあさんが並んで「おはようございます」と声がけをする
「あいさつ推進運動」に対する子供たちの感謝の作文が綴じられて回ってくるのだ

自分は健康維持のために校門まで一緒に歩いているが、この時間は結構楽しい
無邪気な会話とか尻取りとか、「それ前聞いた」と怒られたりとか、、
つまりは心の健康にとても良い時間を過ごすことができるのだ

1年生から6年生の中から何人かの作文をまとめて綴じてあるのだが
毎年感動を覚えるのが、書かれている文字の綺麗さの進歩がすごいということだ

一年生は大きな字で勢い込んで書かれている
でもその分迫力がある
それが4年から6年になると列も真っ直ぐで、自分よりもきれいな文字が並ぶ

そこで作文を読んでみると「書かされている」と感じるものが毎年幾つか並ぶ
子供たちの本音というよりは、先生や大人たちはこう書いてほしいといった内容を
子どもたちが忖度して書いているかのようだ

気になるのは近所の子らの作文があるのか?という点で
パラパラとめくってそれらを見つけた
まずは最近やっと8歳になったばかりの2年生の女の子の文章
型どおりの感謝に続いて「手をつないで歩いてくれてありがとう」とあった
この子は一年の時、入学時はウキウキして登校していたのが
GW後は登校が嫌になる傾向が見られて、家から出ようとしないで涙を流している
そこでお母さんから「おじさんに手をつないでもらって行きなさい」と言われて
その後ずっと手をつないで行くことになった

今は大きくなったので手をつないでくれることが減って、そこで成長を感じたりする
その他にも彼女もハーマイオニーのようにしっかりした態度で
一年上のまだまだ子供っぽい男の子をやり込めている(女の子の成長は速い)

近所の子のもう一つの作文は「いつも忘れ物ない?と聞いてくれてありがとう」とある
おかげで忘れ物がなくなった、、と続かないのが彼らしく正直なところで
忘れ物をする可能性が少なくなったと続いている(今も忘れ物は多い)

このように具体的な話がでてくると、書かされているというよりは
何かを感じているのだと想像できるので、それがこちらも嬉しい

今年度の小学校は20日が卒業式、24日は終了式
今の子たちと一緒に歩くのはあと少しだけ、、、




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たったそれだけのことで、心がウキウキし始めた

2023年02月26日 09時21分06秒 | 子どもたちのこと

昨日の午後三時くらいから気分がウキウキしている
たったそれだけのことで体も軽く感じるのは
人は如何に心の状態に影響されているのかがわかる

昨日の午後、FBのメッセージの音がなった
スマホを見ると、2年前のGWから約一年
日本語の勉強の手伝いをしていた女の子からだった

お姉ちゃんと弟の二人は2年前の4月、新城(日本)から母国のブラジルに帰った
それまでは彼らと小学校の授業が終わってから日本語の勉強の手伝いをしていたので
せっかく覚えた日本語を忘れてしまいそうになるのはもったいなくて
ズームを使っての勉強を続けるように提案すると
5月の連休ころから日本では朝の7時半ブラジルは夜の7時半からの
文明の利器を使った交流が始まった
(それは約一年続いた)

彼らは去年の5月ころ再び日本に戻ってきた
ただし今度は新城ではなくて今度は隣町の豊川市だ
今は弟は豊川の小学校に、お姉ちゃんはブラジルの学校に
通うようになっているのはお姉ちゃんからFBのメッセージで知ることとなった

ただし、それからは気にはなっていたが、お互い交流はなかった
それが昨日、突然
「こんにちは先生、お久しぶりです。
 日本語能力試験N4を受験したことをお伝えしたかったです」
もう〇〇ちゃんとは呼べない、大きくなったお姉ちゃんから
こんなメッセージが届いたのだった
(合格の文字が入ってた画像も一緒に送られたきた)

体が軽く、心がウキウキし始めたのはこの時からだった
なんだか、とても嬉しくて
「こんにちは、エライ!よく頑張ったね」
と時間をあけず返信した
すると
「私は今、N3を試験するために勉強するつもりです」
とのメッセージが続いた

人の気持って通じるものだな、、
どこか漠然とした自己肯定感を感じて、それからずっといい気分でいられた

「先生は元気ですか?」
そんな気遣いのメッセージも続いて、とにかく連絡をくれたことが
嬉しかったと返信をした

子供の時の記憶は、残念ながらいつか忘却の彼方に消えてしまう
自分でも小学校とか中学のそれは確固としたものではない
お姉ちゃんと弟は、いつか、自分との交流も忘れてしまうかもしれない
でも、交流していたその時その時は楽しかったという漠然とした記憶は
残るのではないかとつい期待してしまう

ところで大きくなったら警察官になりたいと言っていた
ルービック・キューブの得意な弟は元気で学校に通っているらしい
またいつか会うことができたら、良いな

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