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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

年齢を重ねると違って聞こえるのかも

2017年07月22日 08時13分32秒 | 音楽

夏に聴く曲にバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタを取り上げたので
ヨーゼフ・シゲティのCDを聴いてみた

かなり有名なアルバムで、うろ覚えの評判は、精神性は高いが音が美しくない
と言ったようなものだった記憶がある
精神性?何かよくわからない抽象的な言葉だ
しかし、襟を正して聴くというか、真面目に聞くことを要求するような感じは何となく分かる

何年ぶりに聴くと、音はそんなに悪くない
いやむしろ、旋律線が思いの外浮き立って、すべての音を弾き切るような演奏よりは
ずっと聞きやすい
でもシャコンヌまでは聞かずに別のアルバムを引っ張り出した


ケンプのバッハとヘンデル等の小品集だ
昔、勢いで購入したものだろうと思うが全然記憶にない
封は開けてあるから聴いたはずなのに、、
ま、いいか、こんな感じで聴き始めたのだが、、 

びっくりした
これがとてつもなくよく聞こえる
まずはピアノの音色
神経質な解釈優先の音じゃない
もっと豊かなただただ美しい音色
少し前に宗次ホールで聴いたイエルク・デームスのピアノの音を思い出した
品があって艶があって、、
このケンプの音もそんな感じ

年齢を重ねると音楽は違ったように感じることを実感した
若い頃は何も感じなかったのに、今は、愛しいとさえ感じる
積み重ねた経験、それから導き出される価値観や好み

あたり前のことだが、人って変化するものだ 
このケンプの演奏が気に入ったので、たしか持ってるはずのベートーヴェンの
晩年のピアノソナタを聴いてみようと決めた
さてどんな風に自分が感じるか、、、
ちょっと楽しみ 

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夏に聴く曲は、、、

2017年07月20日 19時53分32秒 | 音楽

秋になるとブラームスを聴きたくなるのは、
自分だけではなくて割合多くの人が経験することのようだ
クラリネット五重奏曲や4番の交響曲などは本当に秋の気分にしっくりくる

ところで夏はどんな曲を聴きたくなるか
(クラシック分野の曲で)
北欧の曲が良いかもしれない
シベリウスやグリークの寒々とした音楽はこの暑さにはぴったりかもしれない

夏の日のある場面を覚えている
そのレコードは友達から借りたものだった
一度も聴いたことがなくて、初めてなのだが、気合を入れてというより
のんびりとトウモロコシを食べながら聴き始めた
ホルンの堂々たる冒頭、それから経過句の印象的なトランペット
それは「夏の交響曲」とも言われる?マーラーの3番だ
この経験のせいでこの曲を聴く時はいつもトウモロコシの香りが頭に浮かぶ
(プルーストの失われた時を求めてのマドレーヌみたい) 

同じようにあるシーンを自動的に思い出してしまう曲がある
バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第一番だ
ヘンリク・シェリングのレコードを引っ張り出して聴いたのは
ある夏の夜(隣の部屋では家族がテレビを見ていたのに、、)
夜の闇の中を、音が複雑に深く刻んでいく、たったヴァイオリン一つのため
音色が豊富でない分、音は静寂のなかに吸い込まれていくようだった

この2つは、思い出のシーンによるもの
でも、客観的に考えるとシエラザードなんかが夏には良いかもしれない
千夜一夜物語の舞台は暑そうなところ、というだけでなく
シエラザードのテーマはやっぱり夏っぽい

不眠症の人のために作られたというバッハのゴールドベルク変奏曲
も良いかもしれない
ヴィヴァルディの四季からの「夏」もいいかもしれない

でも今の気分としては、
バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタかパルティータかな
最近聴いていないけど、、 

 

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聴き比べ(K466など)

2017年07月05日 09時37分27秒 | 音楽

最近音楽の聴き流しができなくなっている
貧乏性のせいで、聴き流すなどというのはもったいないことだと感じるからだ
音楽を聴く機会というのは(クラシックでもロックでもジャズでも)
ライブに臨むみたいに気合を入れてて聴いたほうが、途中でのいろんな空想や想像も羽ばたいて
音楽的体験を充実したものにできる

CDの価格は3000円程度として、それが繰り返し聴けるとしても
現実には数回にとどまることが多い
その元を取ろうとするなら、気合を入れて一回でも集中して聴いたほうが
得られるものが多くて、お得!と思うようになっている
(ただし車の運転中は別)

そんなことで、集中して聴き比べを行った
曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲20番 ニ短調 K466
その第一楽章の部分
取り出したCDは
1)ピアニストがリリー・クラウス オケがウィーン音楽祭管弦楽団 指揮がスティーブン・サイモン
2)ピアニスト アンネローゼ・シュミット オケはドレスデンフィツハーモニー 指揮はクルト・マズア
3)ピアニスト ダニエル・バレンボイム オケはベルリン・フィル 指揮はバレンボイム

有名な曲だが、今回その気になって注目したのはピアニストの解釈とか演奏ではなく
オーケストラの音(演奏)の方
モーツァルトのこのあたりのピアノ協奏曲は、木管がとても効果的というか掛け合いの参加が
本当に音楽で会話しているようで、聴く度に楽しい思いをするのだが、オーケストラの違いで
どのくらい違うものかをチェックした

最初のウィーン音楽祭管弦楽団の演奏 実はこのオーケストラはどんなものか知らない
指揮者もあまり良く知らない
でも有名な指揮者でない分だけ、ウィーンの奏者は自分たちの身体に染み込んだ演奏をするのではないか
と予想した
そしてその予想は、、的中した  と勝手に思っている
音色は明るい、その音はムジークフェライン(観光客用の演奏会)で聴いた音を思い出させた
一つ一つの音が単純にきれいで、くっきりして、奏者のお互いがその音をしっかり聴いて自発的に
会話するような、、、ウィーンの伝統とはこういうもの  という感じ
この演奏は、名演奏にピックアップされないかもしれないが、個人的には大好きな演奏
何かとても楽しい気分になる

ドレスデンフィルハーモニーには、ウィーンのを聴いた直後だったので、その音色の違いが
はっきり分かる
嫌いじゃない柔らかな音色、でもどこかくすんでいるような、伸び伸びと屈託なく音をだすことを
遠慮しているような音(でもフォルテになってもやかましい感じはしない)
指揮者はマズアだけに、少し指揮者の意図が反映されている様な
モーツアルト独特の生き生きと感じさせるリズムの刻みがしっかり聴こえる

バレンボイムのベルリン・フィル
当たり前だがこれもウィーンとは違う音色
ドレスデンフィルの方に近い感じがするけど、もう少し洗練されていると言うか
鋭さがある感じ
これも指揮者の意図のせいか、前の2つよりはドラマティックな感じ
彫りが深いというのか表現の幅を大きくしているのか分からないが
真面目でドラマティックなモーツアルトを感じる
楽器間の掛け合いはコントロールの範囲内
ピアノの演奏も上記のものよりは、何か印象に残る

聴き比べは、その気になった時行うと自己満足に過ぎないがとても楽しい 

これで味をしめて、もう一つ聴き比べを行った
曲目はマーラーの「さすらう若人の歌 」
ワルター指揮のコロンビア交響楽団でメゾソプラノのミラーが歌ったもの
フルトヴェングラー指揮のウィーンフィルでフィッシャー・ディースカウが歌ったもの
そしてバーンスタイン指揮でウィーンフィルでハンプソンの歌ったもの

これも随分違う
音楽は始まってしまったら終わりまでどうしようもなく進んでいく
最初の音色が全体を支配するが、その音色を出させているのが指揮者の力量
もちろん歌手の力もあるが、歌にまとわりつくように、
あるいは光景を暗示させるようなオーケストラの力はとても雄弁で
何故こんなに印象が違うのか、と不思議に思えてくる

この3つの演奏の中では、フルトヴェングラーとフィッシャー・ディースカウのが好き
でもフルトヴェングラーとフィッシャー・ディースカウの組み合わせなら
有名なフィルハーモニアのほうが好きかな

 


 

 



 

 

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ピンク・フロイド「おせっかい」・ビートルズ「アビー・ロード」

2017年06月12日 11時07分27秒 | 音楽

ロックの名盤と言えば、、、
まずはピンク・フロイドの「おせっかい」
そして定番のビートルズの「アビー・ロード」

自分にとっての名盤の定義は、とてつもなく大きな印象を与えたもので
この2つは大げさに言えば音楽とは何か!
とさえ考えさせられたアルバム
偶然か、この2つともレコードのB面に打ちのめされた

「おせっかい」には「エコーズ」が収録されている
キーン・キーンの神秘的な音から始まる、まるで宇宙を思わせるような
20分以上も要する組曲 は、友達から教えてもらって、終わるとすぐに
また始めから聞き始めた
その時の、夏の暑い日の、あの場所で聴いて感じた内容まで
今でも思い出すことができる

「アビー・ロード」のB面はポール・マッカートニーがライブの最後に
演奏されるメドレーが入っている
でもそれは省略版で、ここにはもっと多彩な音楽が入っている
「ビコーズ」のクラシックを思わせるようなコーラス
「You never give me your money」から「The End」まで淀みなく続く
音楽時間の圧倒的な美しさ・効果、そして歌う楽しさ
それはクラシックとかロックを超えている

実はこれら聴くのは少し怖い
聴き直してあの時の感動が薄れてしまわないかと、、

名盤というのは何度も聴けるものではないと言うことかもしれない
まるでライブのように一発勝負で、鮮烈な印象・感動の大きさを与えてくれたものが名盤で
これらは運良く波長が合って圧倒された時の印象でもう一生分聴いたという感じまでなっている

でも聴いてみると違う発見があるかもしれない

あと、CCRの「スージーQ」
ポール・マッカートニーの「RAM」も捨てがたい

 




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ジークフリート(予習)

2017年05月13日 19時11分21秒 | 音楽

「予習」よりは「復習」の方が実りが多い経験をもつ自分だが
それでもつい引っ張り出して「予習」してしまったのが
 

ジークフリート
6月の新国立劇場の出し物だ(自分は6月7日に行く予定)

カラヤン指揮のレコード盤のもの
昔は高くて購入できなかったものを中古レコードで破格値で手にした
レコードの良いところは音が分厚いだけでなく、解説書の文字が大きいこと
この解説書ならセリフを追って聞くことができる

ジークフリートの音楽でいつも思うのは鍛冶屋の音形・音楽が
トールキンの指輪物語で気味悪い連中が武器をつくっているシーンを連想させること
ヴァーグナーの描写力は魔術的だ
(魔の火の音楽 や眠りに陥る時の音楽はすごい)

で、ジークフリートを聴いていたら「ラインの黄金」のことを思い出した
「ラインの黄金」はつまらない物語・音楽 と思いきや、
自分は案外気に入っている
ワルキューレよりもラインの黄金のほうがライトモチーフが活躍しているようで
雄弁な気がして(ワルキューレより華はないけど) 

予習は始まったばかり、あまり予習しすぎると実演が
「おさらいとか確認作業」になってしまいそうだから、
耳慣らし程度に納めるほうがいいかもしれない

飯守泰次郎氏のニーベルングの指環、秋には「神々の黄昏」が上演される
田舎の住人で、まさか指環を全部見ることはないと思っていたが
ここまで来たからには、最後まで見る(聴く)つもり、、、

ところで近場の名古屋では、6月11日に演奏会形式の「ワルキューレ」がある
これも「ジークフリート」「神々の黄昏」と続く計画らしい
ここ1・2年はヴァーグナーがマイブームとなっている
(でも好きなのはモーツァルトとブルックナー、あとベートーヴェン)
 

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その音楽が気持ちにフィットするか、しないか

2017年05月02日 09時57分45秒 | 音楽

これだけ頻繁に来ていると流石のポールマッカートニーについての報道も
2013年の久しぶりの来日ライブの時ほどではなくなっている
伝説のグループ「ビートルズ」の主力メンバーで、ロック界に偉大な足跡と変化を
もたらしたが、どうもこの来日公演に行っている人の年齢構成は
過去を懐かしむという立場の人が多くて、バリバリ現役の若い人に関心があるかどうかは
少し疑問かもしれない
(若者にとってレジェンドとして音楽を聞いても、今のメンタルにフィットした聞き方ができるか) 

自分はクラシック音楽が好きだが、本場ドイツではどんな聴かれ方、好まれ方をしているか
といえばどうやら大勢は日本と変わりないようだ(若い人はロックかヒッポポップ)
クラシックコンサート会場の年齢構成は、いい服を着ているがお歳は召した方が多くて
業界人も将来に対して不安を感じているとか、、

ビートルズもクラシック音楽も、過去の音楽
良いものか知らないけど、現代の気分を感じるには、気持ち的にフィットするには
少しばかり違和感や抵抗が今の人達にはあるのかもしれない

だんだん新しいものを受け付けなくなりつつある自分は
残念ながらこの現代の音楽が苦手だ
(昔は雑食系でなんでも聞いたのに)
ヒッポポップというのかラップというのか分からないが
言葉が多く、繰り返しも多い音楽は、規則的に刻まれるリズムが
若い人には生理的にあってるかもしれないが、、、自分にとってはどうも直ぐに飽きてしまいそう
きっとたくさんの言葉には良いメッセージもあるのだろうけど
言葉以外の要素で楽しもうとすると、、、どうも積極的にはなれない

ということで年齢的にも足し算で、多くのことを経験しようとするより
最近は自分の好きなことに限定して引き算で、お楽しみを絞り込むようにしている
その中で最近とみに愛聴するのがモーツァルト
聞き流しても真面目に聞いても楽しめる
特に真面目に聞くと、楽器間の会話のようなフレースの受け渡しや
完璧と言うしか無いような必要最低限の伴奏  
いつも信じられない、、、という印象が残る

最近購入したばかりのリーリークラウスの演奏するピアノ協奏曲集(20〜27番
ピアノの演奏もさることながら、大家の指揮のもとではないウィーン出身奏者の
自発的な手慣れた音楽の会話は(特に木管の)とても楽しい

こんないいいのに、なんでわからないのかな、、
と思ったりするが、若い人はヒッポホップはこんなに良いのに
なんでおじさんたちはわからないのかな、、、と思うのだろうか

ま、仕方ないか、、、
毒にも薬にもならないどうでもいいお話、、 


 

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「オブラディ・オブラダ」と「もう飛ぶまいぞこの蝶々」

2017年04月27日 08時22分25秒 | 音楽

昨日の勝手気ままな連想の続き
日本語では「太郎と花子が、、、」などというへんてこな訳詞で歌われた
陽気なビートルズの(ポール・マッカートニーの)音楽「オブラディ・オブラダ」 

この曲を聴くと、つい連想してしまうのが
モーツァルトのフィガロの結婚の中で歌われる「もう飛ぶまいぞこの蝶々」

何か知らん似てるな、、、
(と思うのは自分だけかもしれないけど)

 

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モーツァルト・ブルックナー・ベートーヴェンのCDを購入した

2017年04月23日 08時46分48秒 | 音楽

久しぶりにCDを購入した

長いことAmazonの「欲しいものリスト」で眠っていたものだ
最近の節約疲れで、少しばかり衝動的な行動かもしれない

内容は、
1.リーリー・クラウスの弾くモーツアルトのピアノ協奏曲20から27番
 オーケストラはウィーン音楽祭管弦楽団 指揮 スティーヴン・サイモン

2.シモーネ・ヤング指揮のブルックナー交響曲全集
 ハンブルク・フィルハーモニカー

3.ゲヴァントハウス弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集 

一応、それぞれのアルバムを購入する言い訳と言うか、理由は存在する

1.のモーツァルトのピアノ協奏曲は、リリー・クラウスの明るい音の演奏が聴きたいのではなくて
ウィーンに住む演奏家が あまり大家でない指揮者の下で、どんな音楽を奏でるか興味があったから

ウィーンの連中はモーツァルトの音楽は多分身にしみこんでいる
プロの演奏家なら何度でも演奏しているだろうから、この場合はこんな感じ、、
他の楽器感とのやり取りは、、伝統的にこうかな、、などと想像したのを確かめるため
早速聴いたが(20番)、なんともフレーズや楽器間のやり取りが、本当におしゃべりのようで
それでいて必要最小限で効果的で、、、ウィーンの伝統はすごいと思いつつ
モーツァルトの凄さを(完璧性)を改めて再確認

2. のブルックナー全集はYoutubeで8番の初稿版の演奏を見て(聴いて)興味をもった

ほとんど間違いのないと自覚している、女性には受けないと信じていたブルックナーを
女性が指揮している
驚くのはそれだけでなくて、これがなかなか良い
しかも、その版は初稿版を用いている
一番から聴き始めたが、Youtubeで聴いたときのような全体的な音の印象
金管は決してヒステリックにならず、大音量の快感は神を賛美したいブルックナーの
いつもの癖が出ているようで、とても気分がいい
どうも自分はコンセルトヘボウとかハンブルクとか北のオーケストラの音色が
好きなのかもしれない
一番は最後の楽章で、テ・デウムを連想させる箇所と、9番の未完の楽章の雄大なテーマが
出てきても違和感のないような部分があった
ただもう一度聴くとそれがどこだったかわからないかもしれないが 

3.ゲヴァントハウス弦楽四重奏団のベートーヴェン

これが一番長いこと「欲しいものリスト」で眠っていた
評判の良いセットでいつかは、、と思いつつ今まで伸び伸びになっていた
ラズモフスキーの1番から聴き始めようとしたが、いきなり軽いショックを受けた
リズムを刻みそれがくっきりと聴こえるのは良いが、音色がどことなく暗い
暗いというのが正確な表現でないとしたら、くすんでいる(これも適切ではない?)
最近のアルバン・ベルク四重奏団のような艶やかな音ではないし、ハーゲン四重奏団とか
エマーソン弦楽四重奏団などの音色とも違う
スメタナ四重奏団の音色とも違う
随分音色とは違うものとつくづく思う

さて、購入したてのこれらのアルバム
そのうち暑くなって部屋では音楽を聴けなくなる(エアコンがないので)から
今のうちにしっかり聴いておかねば、、


最近はこうしたCDを聴くのも「ながら聴取」はもったいなく思えるようになっている
聴く時は気合を入れて、まるで生演奏を聴くようにスピーカーに向かうほうが
楽しみが多く得られる気がしている
どうせ聴くなら、生に行けないことの代わりとして、価格分元を取ろうとして
聴いたほうがコストパフォーマンスは良いに違いない

それにしても、やっぱりモーツァルトはいいなあ
これはまたもや実感


 

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マーラーの9番とブラームスの4番

2017年04月19日 08時29分05秒 | 音楽

年齢によって音楽の感じ方は変わってくる
感じ方どころか好みまで変わることが自分の身に起こっている
その極端な例が、マーラーの交響曲9番とブラームスの交響曲4番
に対する評価 (思い)

高校時代はマーラーの9番はよく聴いた(バーンスタインとニューヨークフィルのレコード)
特にできの良い第一楽章、ベルクも評価したこの楽章は繰り返し聴いた
この楽章だけで起承転結が出来ているようで、これだけでお腹いっぱい!
そんな気がしていた
高校生時代の精神的・体力的な好みは、思いっきり鳴らす、
しかも楽器はそれぞれの旋律を主張して
ウジウジしていなくて、やれやれ!もっとやれ!(特にホルンの咆哮は気分がいい)
と言った気持ちに応えていてくれてるようで、音楽の深さとは関係ないところで
生理的な楽しみがあったのかもしれない

同時期に購入したレコードにブラームスの4番があった(カラヤンとベルリン・フィル)
第一楽章はメロディアスで、そこはかとなく寂しい感じがしたが
その時は、ウジウジしているな、ブラームスは男っぽくない、、
などと根拠のない印象をもったものだ

この二曲、なぜかブラームスは白熱電球とかガス燈の明かりの下で作曲し
マーラーは蛍光灯の下で作曲したに違いないなどと思いこんだりした

昔の評価は(聴く優先順位は)圧倒的にマーラーだった
ところが今は、まったく反対になっている
ブラームスは特に秋になると聴きたくなってくる
それは晩年の諦念とか淋しさを感じさせるからというのではなくて
この曲は案外ゴツい事に(男らしいことに)なっていると感じたからだ
特にフルトヴェングラーの演奏などを聴くと交響という意味が分かる気がする
結構楽章間にそれぞれいろんなアイデアを凝らしているところが面白い

それに反してマーラはこのところ全然聴かない
聴けば昔の記憶が蘇ってまた楽しむことが出来るかもしれない
とは思うのだが、さて聴いてみるか、といった行動になかなか移せない
なにかひっかかるところがあって、ブレーキをかけるようだ
それは何か、、、と勝手に類推するに
マーラーの音楽は感情を刺激しすぎる
思いを押し付けすぎる気がしてならないのではないか、、
あるいは、マーラーの音楽は長編小説のようで、
音楽自体で完結していない気がして、、どうも勢い込んで聴く気になれないでいる

押し付けがましい音楽といえばベートーヴェンも思いつくが
それでもベートーヴェンの場合は感情が先走っているかと言えば
自分にとっては意外なことに、それほどではなくてまとまりの良さに感心してしまうところがある
マーラーの音楽は押し付けがましいということではなくて、あまりにも感情の発露が激しいために
聴く気が起きないでいるかもしれない

この感情の発露が激しいために(大げさなために)聴く気になれないでいる音楽がもう一つある
それはチャイコフスキーだ
なかなか美味しいメロディがところどころにあふれるチャイコフスキーの音楽
でも聴いていて何故か恥ずかしくなる
またやってる、こんなに大げさにしなくても、、、という思いをいつも持ってしまい
その後でモーツァルトを聴くとホッとするし、モーツァルトのシンプルな中での完璧性に
何故モーツァルトという存在があるのか、、という不思議ささえ感じてしまう

話はマーラーとブラームスに戻って
実演ではマーラーは5番は若杉弘、6番は小澤征爾、7番はラトル、9番はバーンスタインで聴いた
生の良さはあるので、その時はそれなりに楽しんだ
特に5番の若杉弘の演奏は今でも思い出せるほど情感に富んでいた

ブラームスの4番は生で聴いたことがあるはずだが、誰の演奏だったかは覚えていない
ただこの曲を聴く場合、第一楽章の後半の楽器間のリズムがズレそうになるところと
4楽章の音楽が終わったという感じが必然と感じられるようになっているか
(唐突な終わり方の印象が強いので)に注意を払っている
この様に生の演奏では大した記憶がないのに、今聴こうとするのはブラームスの方が
多いのはとても不思議で、この傾向はこれからも変わりそうもない気がする

年令・人生体験による感じ方の変化
と言ってしまえば簡単だが、なぜそうなるのか依然として不思議

ところでマーラーの9番は、2.3楽章が少しつまらない
4楽章は美味しいところもあるけど、今は必然性と言うものが
自分のメンタリティと合わないのか上滑りしているとさえ思えてしまう
(口当たりの良さと深刻ぶりは村上春樹の小説のようだ) 

マーラーは全部しんどいかといえば、
そうではなくて「さすらう若人の歌」などは今でも楽しむことができる
特にフルトヴェングラーとフイッシャー・ディスカウのそれは愛聴盤どころか宝物
その他では案外「大地の歌」は今でも楽しんで聴ける
どうも歌が入っている方が良いということなのだろうか、、

初夏を間近に控えた朝の、毒にも薬にもならないどうでもいい話、、 


 

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イースターとパルジファル

2017年04月16日 09時46分38秒 | 音楽

最近では日本でもイースターを流行化させようとしているらしい
もちろん宗教的な意味ではなく、商業的な意味で
イースターエッグ、うさぎとか、その他もろもろのアイテムが
なんとなく可愛らしいのできっと商売になると考えてのことだろう

イースターは
「春分のあとの最初の満月から数えて最初の日曜日」
と定義されていて、今年は4月16日(日)

このイースターについては、わかりやすい解説は⇒こちら

一昨年、この時期に足を伸ばしたウィーンのホテルで出迎えてくれたのが


イースターエッグ
日本の旅館のちょっとしたお出迎えのお菓子みたいなものだろうか

キリスト教徒でもない自分が、敢えてこの時期に足を伸ばしたのかと言えば
イースターの時期に上演されるヴァーグナーの「パルジファル」を見たかったから

「パルジファル」はあの長大な「ニーベルングの指環」を作曲したリヒャルト・ワーグナーの最後の楽劇で
無垢な同情するという感覚をもった青年が、人を救うという、少しメルヘンチックな物語
この音楽の響きが刺激的でなくて、聴いててとても気持ちよくて、指環やトリスタンよりも好きだった

このパルジファルを初めて体験できたのは、無謀なドイツ一人旅を企てた若い頃
それも本家本元のバイロイトで、偶然のきっかけで見られた
その時土産に購入した写真が、これ

 

ここまでは、自慢話も混じえた前書きで、本当の話題はここから

イースターにはヨーロッパでは、バッハのマタイ受難曲や
このヴァーグナーのパルジファルが上演されることが多いそうだ
バッハの「マタイ受難曲」は確かに名曲で、人類の宝物としてとても大切なものだけれど
だからといって、自分にとってはそう何回も聴く気になれない曲
内容が真面目すぎて、深すぎて、こちらの気力が充実していないと
まず聴く気になれない(その気になって聴いた時は半端じゃない感動を得ることが出来る)

一方、ヴァーグナーのパルジファルは楽劇で動きがあるだけ(自分にとって)退屈にならないし
その響きも、また上演から得た感想や解釈も自由で、いろんな想像をするのが楽しい
ところが問題はここからで、最近のオペラというのは演出至上主義のようで
「台本の読み替え」による演出が主流となっている
1976年のバイロイト音楽祭100周年でシェローが指環で、モーニングを着たヴォータンを
登場させて、現代の物語として示唆に富んだ(考えさせる)演出が示されて以来
その方向での演出が当たり前のようになっている(らしい)

これはよくオペラを見て比較対象できる人々にはよいが
たまにというが、ほとんどオペラを見る機会のない者にとってはかなりしんどい
正直なところ、そんなに考えさせられなくていいから、もっとありのままの
原作に近い演出をやってほしい、、というのが本音だ

指環が現代に通じる物語だったとしても、それは見終わったこちらが
頭のなかで、「現代にも流用出来るな」と勝手に想像するから
上演はオーソドックスな形にしてほしい 
それがめったに体験できないファンの希望

パルジファルは結局、バイロイト、東京上野の文化会館(20年位前?)、そして新国立劇場、
そして一昨年のウィーン国立歌劇場で体験したが、
その記憶に残っていることと言えば
バイロイトはオーソドックスな演出(宗教的な雰囲気に富んでいて終了後拍手は出来ない雰囲気)
上野の文化会館は病人の夢の中の物語
新国立は、(読み替えでもなかなか面白かったが)仏教徒が出てきて
何かよくわからんが、面白かったという印象
そしてウィーンは、よくわからん!
特に上野の文化会館やウィーンのような読み替えの演出は、気持ちと外れると
なかなか上演中も気分を持ち直すことが難しく楽しめないことになってしまう
そんなことなら、当たりハズレのないように原作に近い演出を、、、
とめったに見る機会のない人間は希望してしまう 

ところで、6月は自分にとってヴァーグナー月間
6月7日に新国立で飯守泰次郎さんの仕切る「ジークフリート」
6月11日は愛知祝祭オーケストラによる演奏会形式の「ワルキューレ」
楽しみ、、

出来ることなら、あまり突飛な演出は、、、避けてほしいのだが、、、 


 

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