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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

総意と違う結果(またもやバタバタ)

2020年06月13日 15時46分35秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

どうやら会議には、何かを決める会議と何も決めないものがあり
何かを決める会議は、その意思決定の過程を後世の人が理解しうるように
会議録を残すものとしていて、これが大半の会議則の前提のようだ
微妙なのは何かを決めなくても、実質的に後の決定に大きな影響を
与えているものの扱いだが、基本的には何も決めていないので
会議録は残さなくても問題はないとされる

これは国会のやりとりで、コロナ対策専門会議の議事録についての
質疑が行われた時にようやく自分が理解したこと

何か決めない会議というものを、最近見聞きしたした
新城市議会の「全員協議会」がそれだ
そこでは最近、結構な時間をかけて一つのことが話し合われた
それは新城市議会からの東三河広域連合へ送り出す議員の選出についてだ
東三河広域連合には新城市には割当で3人が行くことになっている
普段なら総務消防、経済建設、厚生文教委員会の委員長が
慣例で行くことになっていたのだが、今年送り出す議員については
そのうちの二人の委員長に問題ありとの声が上がった

その問題とは、二人に政務活動費の使い方に疑わしい点があり
住民監査請求のあと、行政訴訟まで行われることになった
この行政訴訟はあと少しで結審というところで、
実質的な被告の議員6人が急遽、訴訟対象となっている宿泊費の
返還を行ったので、訴訟自体は争うものがなくなり
形式的には原告の訴訟の取り下げという形になった

他の自治体の広域連合議員が新城市の訴訟の詳しい内容を
知っているかどうかはわからないが、常識的なこととして
このような少しばかり恥ずかしい議員は、今回は市議会の
代表として送り出すのはやめることにしたほうが良い
との声が上がったのだ

このようなことが議員の素の人格が見える「全員協議会」で
長々と話された
繰り返しが多い議論だったが、最終的には総意として
今期は新城市に輪番として回ってくる議長職は辞退すると
広域連合に伝えるものとした

だが「全員協議会」という会議自体は「何かを決める会議」に相当しない(らしい)
なので、会議録は残らないし、あとでどういう内容だったのかも確認できない
全員協議会の内容を知っているのは、議員さんとそこにいた傍聴者だけとなる

こうなると、一連の流れを知っている人(傍聴者)と知らない人には
大きな情報格差が生まれてしまう
この情報格差が更に出てしまう事態が発生した

全員協議会の総意(今回の議長職の辞退)が形として実現されれば良いのだが
先日行われた全員協議会では、その総意は実現されなかったことが明らかになった

広域連合の臨時会が行われる前に、新城市議会の議長と議会事務局は一緒に出かけ
広域連合に先の全員協議会の総意としての「議長職の辞退」を伝えた
すると困ったのは広域連合で、新城市の議会内のゴタゴタで今までの慣例が
崩されてしまうのはかなわん(他の自治体にも影響するし)ということになった
そこで広域連合は「全員協議会」でこのことを議論することになった
だが、今度は全員協議会はこの問題を「議会運営委員会」に付託した
そこで議会運営委員会が開かれ、このことについて討論が行われた

問題はこの「議会運営委員会」のメンバーで、
このなかには行政訴訟の対象人物としての二人の人物が入っていた
その二人とは以前の副議長として中西議員、
新しい議会運営委員会のメンバーとして竹下議員だ
(広域連合の議員としてふさわしくないとされた)当事者が
当事者の問題を話すことになるので、
果たして真っ当な話し合いができたか疑わしく思えてしまうが
とにかく、そこでは「新城のことは新城のなかで解決するように」
との結論にいたった

この結論は常識的かもしれない
そもそも新城市議会の議員間の問題で、広域連合の場で議論すること自体がふさわしくなく
新城市のなかで解決すべき、、としたのは、当然かもしれない

ところが、そこですんなりいかないのが現在の新城市議会の奇妙なところ
広域連合は、輪番となっている議長にはそのまま新城市の議員がなってほしい
誰にするかは3人のうちで決めてほしい、、
と下駄を預けたが
今回の場合は裁判沙汰の該当人物になっておらず、問題のない小野田市議が
今回は各種事情を鑑み、私が立候補する、、と声を上げたが
同時に中西市議が立候補し、竹下議員が彼を推薦としたので
結局のところ2対1の多数決で、中西議員が新城市が選出した議長職該当者
ということになった

これは長い時間をかけた全員協議会の総意とは明らかに違う
だから、一部の議員からは不満の声が出るし、それに対して対抗策も出てくる
ところが、大半の人はこうした議会内の出来事を知らないし
確かめようにも議事録はないので
ただ単にゴタゴタしているという印象だけが残ることになる
そしてこのことを伝え問題視する市民団体の行動を
いつもの奇妙な行動とみる(可能性がある)

常々思うが、時間のある人は議事録の残らない素の人間性のでる
全員協議会へは出かけたほうが良いと思う
本当はいちいち監視しなくても、ちゃんとやっててくれればいいのだが


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一括りで考えること、別個で考えること

2020年05月19日 12時36分45秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

時々、国の問題と市の問題はシンクロしていると思うことがある
最近の出来事では、国の検察庁法改正案と新城市の予算案がそれだ

検察庁法改正案は国家公務員法の改正と一括りにされて(束ね法案というらしい)
法案の良いところ悪いところを含みながら、賛否の議決する手はずになっていた
ところが政権が想像もしなかったツイッターの一気の盛り上がりによって
法案の見送りということになった(昨日から今朝のニュースで明らかになった)

一方、新城市議会では3月の予算決算会議で、令和2年度の予算について
すべての予算をひとまとめにした案(普通はこの方法をとるらしい)ではなく
市民の間に問題意識の多い予算(高速バス事業)については、今回はそれを抜き出して
別個に検討しようとする修正案が一部の議員から提出された

これは国に当てはめると、国家公務員法と検察庁法を区別して個別に検討
しようとする考えに似ている
政府側は分けて考えることのできる法案を、何らかの意図で一括りにした
新城市の一部議員はひとまとめでエイヤッと決めるのは乱暴過ぎるということで
個別に考えようとした

ニュース解説で国の法案の提出意図や経過を知るようになった今
関心のある新城市民は3月の市議会の出来事の意味が
「そういうことだったのかと!」
分かるようになったのではないか

つまりは、分けて考えること、一括して考えることの違いだ
ただ方法論としてどちらが適切か客観的に選択される前に
提案者側は好き勝手に一括してしまうことができる現実がある

この話を同居人に話してみたら、なるほど、、
と理解してもらったが、他の人に伝わったのかは、少し心配

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多数決の正当性の条件は果たされたか

2020年05月16日 08時40分54秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

何かの問題を半か丁かを決める場合、
神とは違う不完全な存在の人間は、どのようにしたら確率的に
間違いを起こさないようになるか、、との課題を数学的に考えたのが
「陪審定理」というらしい
(岩波新書の「多数決を疑う」坂井豊貴著に紹介されている)

半々の確率で出るコイントスで決めることと比べると
人の理性による判断のほうが優れているのではないかと仮定し
人間の理性による判断が正しい確率をvで表すと
その値は1よりは低いが、0.5よりは大きい
間違える確率は1-vとなる

これでいろんな状況をシミュレーションしていくと
その結果は、一人で判断するよりは多数で判断したほうが
間違いは少ないと言う結果になる

例えばvを0.6としてA.B.Cの3人で判断する状況では
1.3人全員が間違える そこで得られた多数決は間違い
2.Aだけが正しく、他の二人は間違える これで多数決をすれば1対似なので多数決の結果は間違い
3.Bだけが正しく、他の二人は間違える このときは1対2なので多数決の結果は間違い
4.Cだけが正しく、他の二人は間違える このときは1対2なので多数決の結果は間違い
5.A.Bが正しく、Cが間違える このときは2対1なので正しい側が勝って多数決の結果は正しい
6.A.Cが正しく、Bが間違える このときは2対1なので正しい側が勝って多数決の結果は正しい
7.B.Cが正しく、Aが間違える このときは2対1なので正しい側が勝って多数決の結果は正しい
8.3人全員が正しい 多数決の結果は正しくなる

このように8つのケースが考えられるが各ケースの確率を求めると
正しい多数決の結果が出たのは後半の4つ
そこで正しい結果が出る確率を求めるには
後半の4つの確率の和となり、計算をすると0.648となる
この数字は当初の仮定した数字の0.6よりも大きい
だから、複数の人間で判断したほうが正しい確率が上がるということだ

容易に想像できるように参加する数が多くなれば
それだけ正しいとされる確率はあがっていきそうだ
これが根拠になって、多数決の間違いの無さを保証している

ところが、これには条件が満たされている必要がある
1.情報が適切に与えられており、理性を働かせ、偏見や思い込みで判断しないこと
2.自分の頭で考えて判断すること。投票の前に討議の機会はあってもよいが
 その場の雰囲気に流されたり、勝ちそうな方を予想してそちらに投票しないこと

問題はこの条件が人間社会ではなかなか守られそうにないことで
過去の人たちもこれで苦労したようだ

これは私自身ではなく、全員にとっての問なのだ。
つまり私は、私にとって良いと思うものを選ぶべきではない。
自分自身の意見から抜け出た上で、
何が理性と真理に適合するか選ばねばならない(コンドルセ)

ここで「自分自身の意見から抜け出た上で、」とは
「自分だけの利益から抜け出た上で」と解釈するとわかりやすい
と「多数決を疑う」岩波新書では解説している

今回、長々と抽象的なことを挙げてきたのには理由がある
それは先日新城の臨時議会で行われた議決が
このような自己抑制された判断が求められたにもかかわらず
それが行われたと思えなかったからだ

多数決が正しいとされる理屈とか制度は分かる
しかし、先日市議会で行われた採決は、損得が関わった人たちが多数いて
本来ならばこのような当事者は採決に関与しないのが適切と思われるが
議会運営の手続き上(の欠陥?)で、そういうわけにはいかず
結果的には問題を多く抱えた人たちの多数によって、予想されたとは言え
納得し難い結果になってしまった

だがこのような結果は最初から予想できたことだ
もしかしたら、誠実に自分と向き合い良心的な判断をするひとが出てくる
と思いながらも
自分の身を守るために一致団結して不利益な採決には反対するだろう、、、と

ならば、何故そのような行為(議案提出)に至ったのか、、
予想するにそれは「記録」されることに意味あるとしたのではないか
既に市議会のホームページの議案内容と結果がアップされており
ホームページを見ない人にも「議会広報誌」に掲載されるだろう
この恥ずかしい議案は自分が公にするのをためらうことだったが
これを見た人たちは、何が起きてるかはわからないが、なにか異様なことが
起きている実感はもつだろうと思われる
それにしても、、、、、

 

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どの視点でそれに向かうか

2020年05月10日 09時05分58秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

 面白いか面白くないかで比較するのは適切ではないだろうが
国会のやり取りは政府対与党のやり取りよりは
政府対野党のほうが圧倒的に興味深い
対立点がはっきりするので議論への理解が進む

野党は政府から提出された資料なり法案に対して
もう少し良いものはないかとか疑いとの視点があり
その姿勢で資料等も読み込む
そうすると必然的に提出者が意図した理解ではなくて
別の理解への可能性にも思い浮かぶ
つまりは最初から疑ってかかると見えるものが違って見える
ということだ

国会などと大きなことを言わず、市議会でも同じことが言える
予算や新規事業などの重要なテーマについても
疑問の視点があってその説明を聞いたり資料を読んだりすると
ただ単に提出されたものに反応するのとはだいぶ違ってくる

何か変だな!
同じものを見たり聞いたりしても、こうした直感が働く場合(人)
と働かない場合(人)がいる
その直感は、その人の経験や知識によって得られるものであって
人によって直感の働く方面(分野)は違ってくるのは仕方ない
ただ、言えるのは疑問をもってそれに向かうのと、意識しないで
向かうのとはだいぶ違ってくるということ

ノーベル賞の本庶佑さんは、ある時「教科書すら疑う」
的なことを述べられたと記憶している
一般の人なら無条件に信じてしまうことを
果たしてそうだろうか、、と考える
そして自分なりの答えを出す
その結果教科書のとおりであったとしても、それは最初から
盲目的に教科書を信じたのとは違う

最近、判断のプロとされる(議決が需要な役目の)「議員」さんは
その判断の基となる資料をどの視点で読み込んでいるのだろう
と不安になることがある

いちいち全てに疑いの目を持って立ち向かうのは現実的ではないが
それでも、直感を働かせて、センサーに引っかかるくらいの
資料の読み込みをしてほしいと思ったりする

 

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新型コロナ収束後の市議会(ある人の予想)

2020年05月08日 09時11分02秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

例のごとく面倒くさい話

先日、この季節らしいある晴れた日に
三密を避けて屋外でソーシャルディスタンスを確保し
参加者全員がマスクをして、少しばかり著名な弁護士さんと
意見交換をする機会があった

その時のテーマとは別に、記憶に残ったことがあった
それは弁護士さんの
「コロナ収束後の地方議会は、議会の存在感が薄れるだろう」
との予想

彼が言うには、この未曾有の事態において各地の市町村は
緊急の予算を捻出しなければならいが、現実的な対処として
どこでも首長の「専決処分」という手続きをとることが多くなっている
議会の承認を得ずに、とりあえず緊急事態に対処していくこの方法は
あとで議会の承認を得ることになるが、その時に議会で不承認とされても
先決処分の効力は失われない
結局のところ、議会は議決という儀式のような承認作業をしているだけとなり
果たして議会という存在が必要かが問われることになる、、というのだ
若干、間違った捉え方をしているかもしれないが、大枠はこんな感じだった

その時は、ぼんやり聞いていただけだが
最近の市長のブログに、この専決処分のことが取り上げられていたのが目に入った
そこでは、5月14日に臨時議会を招集することと、議案についてこのように書かれていた
「コロナ対策の補正予算を2つ同時提出、
第1号補正は総額48億円を超える巨額予算であるにもかかわらず、
市長の専決処分で執行することを議会報告で了解してもらうという異例中の異例の手続きを踏む」

専決処分については市長も座り心地のいいものではないらしく

「これまでも政府補正予算の執行のために専決を行うことはあったが、
一般会計200億強の本市のなかで48億という4分の1に迫る額を
専決というのは基本的には「ありえない」

と記している

とは言うものの、手続き上は議会の不承認でも進めて行けるようなら
議会の役割は何だったのか、、、との基本的な問に立ち戻る

議員さんには一般市民が目にしないような詳細な情報が市から渡される
(予算とか、決算とか、事業報告とか)
あまりにも細かいので、一般市民が見たら却って混乱して困るようなものもある
市民の代わりに議員がそのチェックを行うというのが現在の分業的な
(と勝手に思っているのだが)システム
ここで問題なのは、この詳細なデータ類を議員さんは(毎度)ちゃんと見て
議決等の判断材料にしているか、、という点だ

ある事業の数字的な報告書を目にすることがあった
その中には、「一般社会ではありえない」と思われる項目があった
これについては今後の市議会で問題になりそうな気配だが
果たして議員さんは、この奇妙と思われる数字にセンサーが働くだろうかと
(今までの行動を見ていると)少し不安を覚えてしまう

議会は議決という承認作業をしているだけ、お墨付きを与えているだけ
それしかしていないなら、、弁護士さん予想した通り
議会の存在価値は、薄れてしまうことになりうそう

 

 

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知らないところで進められている話(昨日の全員協議会)

2020年04月29日 09時07分56秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

地元の新城市議会の話

新型コロナ感染防止のために三密を避けることが推奨されているなか
議会の傍聴をするのはどうか、、は気になるところ
だがその前に新城市議会では昨日(4月28日)全員協議会が
開かれていることを圧倒的多くの市民は知らない

3月議会の予算に関する大事な定例会が終わったので
議員さんは6月までお休み状態で楽ちんな仕事!
などと思っている人が多いかもしれない
しかし、議員さんの味方をするわけではないが
思いの外議員さんはすべき仕事が多いようだ
議会は全員協議会なるものが定例会の期間以外にも開かれる
みんなで集まって行うくらいだから重要なテーマについて
話し合われるのだが、昨日のテーマの一つが
「東三河広域連合の新城市割当の議員選出」

ここで「東三河広域連合」をは何?
となるのだが、正直言って名前はよく聞くが、何をしてるかわからない
時々宅配で広報誌が入るのだが、いい加減に読み飛ばしている
知らないのはこちらが悪いことになるのだが、そこで検索をかけて
いろいろ調べてみた

調べた中で昨日の全員協議会に関する重要なところは、この東三河広域連合には
新城市からは議会の中から3人選出されことになっている(広域連合の議員として)
(東三河広域連合の定例会は2月と8月、他に臨時で5月開催
 議員は市議会のように各委員会に分けられる
  全体的イメージはEU?分担金も収めて議員を送って運営してるので)
その3人は新城市では各委員会の中から一人づつ選出されるのが通例になっていた(委員長?)
(任期は基本的には議員の任期中だが、新城市では別のルールで進んでいる)
昨日はこの議会からの選出議員を誰にすべきか?
という点が議題に上がった

普段ならこれはいい意味でルーティンでウンもスンもなく行われる
ところが、今回は安易にルーティンで済まされるのは
ふさわしくないのではないか、、との声が数人の議員さんの中からあがった
普通にいけばウンもスンもなく済む問題が
何故ちょいとした騒ぎになってしまったのか、、

これは今回、東三河広域連合の議員に立候補した議員及び現在選ばれている議員が
新城市の代表として行くのにふさわしい人物なのか、、との指摘がされたのだ
すると、でてくる疑問は「何故ふさわしくないのか?」となる

実はこの人物を含めて総勢6名の議員は、市民から行政訴訟を起こされている
その内容は政務活動費の不正取得と思われる案件で
ある年度末の東京出張での視察が本当に必要不可欠で、効果のあったものか不明で
単なる政務活動費の使用のみを目的としたものではなかったか
との疑いがあり、その際の宿泊費の返却が訴えられたものだ
(本来あるべき報告書がなかったり、一旦出された書類に間違いが多かったりして
  かなり疑いをもたれても仕方のない状況)

といっても流石に裁判はお金もかかり、大げさなので原告となる人たちは
該当議員に訴訟前に「不当取得されたと思われる宿泊費」の市への返却を求め
返却されたなら、訴訟まではしないと告げていた
ところが、該当議員は提案に応じず「自分たちは間違っていない、」
と面倒な裁判に突入した経過がある

これは新聞記事にもなった
悲しいことに、この6人のうちの数人はこの裁判の他にも
滋賀県の大津の研修の際も政務活動費について少し疑わしいことをしてる
とNHKテレビでも放送された
(車で乗り合わせていったにもかかわらず、電車賃を請求し差額を懐に入れた疑い)

ところが裁判の途中で事態が急展開した
訴えられた6人が市に最近宿泊費の返却を行ったのだ
(自分たちは間違っていない、、との覚悟で裁判を迎えたのに、、)
これについて該当する6人は、誰かがメディアに対して一方的に自分たちの
主張をリリースしたが、市民や議会に対しては説明がされていない

今回、このように市民に対しても議会に対しても説明責任を果たしていない
中途半端なままの議員が市から代表として選出されしまうなら、
他の自治体の選出議員からどんな目で見られるか
少し恥ずかしいのではないか、、
今回は、ルーティンの選び方ではなく(各委員会からの選出など)
新城市の代表として誰がふさわしいか、、をじっくり検討すべき
との、ごく真っ当な意見が提案されたのだ

しかし少しばかり気が重いのは、こうした真っ当な意見は
数の力の前には力をもたない可能性があるということ
いざとなったら多数決!
で一般的にはおかしいとされることも、強引に突破されてしまう
(現在の力関係は、、、、)

市議会は傍聴しない人には、偉い人たちが真面目にちゃんとやっている
と思い込んでいる
しかし、現実は残念ながらそうばかりとは言えない
一方的に感情的に全部が全部ダメだダメだ!
は少し行き過ぎと思うが、明らかに時々議員に対する市民のチェックは
必要不可欠と思われる

ということで、知らないところでこんなことが起きているということ

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コロナの影響と裁判の話

2020年04月11日 08時23分28秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨日(4月10日)愛知県は独自の緊急事態宣言を発出した
小学校は19日まで休校になっていたが、これが5月6日まで延長される
朝の校門までの付き添いや、午後の外国にルーツのある子どもたちの
勉強の手伝いも一旦お休みとなる
思い通りにならないことが多いが、彼らとの時間がとれないことは
物足りなく感じてしまう

飲食店は影響を受けているので、少しでも足しになればと
ウォーキングをかねてSちゃんのお父さんがやってるカレー屋さんに出かけた
少し早い時間だったが、客は見えず心配になった
店員さんと少し話をしたが、彼の話によるとネパール国内は5.6人が陽性だとか(?)
毎日営業のこの店も、月曜日に休む様にしたとの張り紙があった
Sちゃんはこの日はお父さんと別の地区の店に車ででかけているとのこと

コロナウィルスはこんな小さな町にもジワジワと影響が出ている
コロナの影響といえば、裁判も少しばかりいつもと違う手段を取らざるを得ないようだ
知り合いが原告となっている市議会議員の「政務活動費」についての裁判は
4月の中旬に裁判所で公判が行われることになっていたが、この状況下を鑑み
電話会議で行うようになったとの連絡が入ったとのこと
原告・被告・弁護士がそれぞれの弁護士事務所で裁判官と電話で意見交換をするので
傍聴は無しということになったらしい

この政務活動費の裁判は少しばかり頭の痛いことがある
それは裁判費用のこと
原告側の裁判費用(実質的には弁護士費用)は有志による募金で賄っているので問題はないが
被告の弁護士費用は、被告が支出責任者である首長(市長)になっているので弁護士費用は
市から出ることになっている
実質的に訴えられているのは、不正な政務活動費の使い方をしたと思われる市議会議員数人だが
手続き上の(書類上の)被告は市長になっている
実質的な被告である議員に弁護士費用の負担がなく、単に支出行為をしただけの市に弁護士費用が
発生するのは心情的に納得できないが、これは市議会でも山田議員の一般質問でも追求された
流石に市長もゲンナリする案件で
「支出責任は自分にあるが本質的には議員の問題なので、そちらで解決して欲しい」
との本音がこぼれた(しかし手続き上は、、、)

今回の市側の弁護は前回と同様に市の顧問弁護士が担うことになった
この顧問弁護士には市は年間で90万円以上の年間委託費を支払っている
だが突発的なこうした案件には、年間委託費の他に費用が発生する
前回の「庁舎用地以外の物件に対する移転保証費の返還」訴訟では
手付金が確か69万円、裁判が実質的に終了した時点でさらに
138万円くらいが支払われた
今回の手付金は、前回ほど複雑な問題ではないので10万円くらい(?)
だったように記憶している

ついで費用のことを記しておくと、
前回の裁判は市長は125万円を市に支払うことになったが
支払われたうち25万円は原告側の弁護士費用にあてるため
原告の口座ではなく弁護士の口座に市から振り込まれることになった
あとの100万円が市に臨時の入金(?)という形で処理された

一部の人(議員)が気楽に発言した「原告は儲けたな」
というのは全く当てはまらない
原告側にはいったお金はほどんどないのが実態だ
得したのは臨時収入のはいった市側となる
(だが弁護士費用がそれ以上にかかってしまったという問題がある)

こうした現実を見ていくと、もう少し実態を反映した手続きとか
責任追求の仕方はないものか、、と思ってしまう

ところで、このような行政相手の民事裁判をするには
いきなり裁判に持っていくことはできず、その前に「住民監査請求」という
手続きが必要になってくる
この「住民監査請求」の結果に納得出来ない場合に裁判で訴えることになる
「住民監査請求」という言葉自体が、一般人には馴染みがないが
ここで気をつけないといけないのは「住民監査請求」は(不正な?)支払いが行われた
一年以内に起こさないといけないということ(あるいは気づいたときから1年以内?)

これを読んでる方で住民監査請求を考えることがあったら
なるべく早く行動に移したほうが良い
でないと「時効」で切り捨てられてしまう
しかもその「住民監査請求」の文章(訴状の文)も突っ込まれれないように気を配って書いたほうが良い
(気持ちだけ先走って書いていくと全然関係ないところで本質と関係ない話にされてしまう)
要は、住民監査請求の時点でも弁護士に何らかの相談をしておいたほうが良さそうだ
ということ

ところで「政務活動費」については日本国中で度々出てくる案件で
裁判所も珍しくもなんともない問題となっているらしい
このなかで「住民監査請求」では時効とされた今回の件は
裁判所では「真正を怠る事実」というネットで調べてもよくわからない概念で
「政務活動費は時効に関わる案件には当たらない」というのが定説なのだそうだ

この裁判、先日の新聞で対象議員は急遽お金を市に返却したと報道されていたが
これは裁判の結果にどう影響するのだろうか
(当初は返却すれば良いと思っていたが、それだけでは済まないような気分になってしまった)

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どちらから言い出すか

2020年04月03日 08時38分02秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新コロナウィルス、今のところ新城市では陽性になった人は報告されていない
たがその影響はいろんなところで見られる
薬局にはマスク・ガーゼ・体温計が売り切れている
スポーツジムは一時的に休会できる手続きができるようになって
駐車場はいつもガラガラの状態
スーパーの売場のいつもならトングで自由に取れるものは
最初からパック詰めになっている
街で出会う人は殆どがマスクをしている
外で遊ぶ子どもたちの声が聞こえないし、姿を見かけることも少ない
お祭りや公民館で行われる会合は中止になったり縮小されて実施される
それでもまだ一人も陽性の人がいないため、それ程の緊張感は感じられないでいる雰囲気

今朝の中日新聞に、豊鉄バスの高速バス6日から23日まで運休との記事があった
東三河から新宿、京都への直行バスで最近はキャンセル客が多いので運休の手続きをとったとのこと
そうなると気になるのが、新城・名古屋の高速バス「山の湊号」のこと
(これは先だっての議会で事業継続が可決した)
聞くところによると最近のこのバスの利用者は悲しくなるくらいだとか

でもこのバスは運休しない
なぜならこのバス運行は市からの委託事業で、契約により収入が確保されているので
委託会社はあえて運休する必要はない
更に、利用者が少なくて予定収入に届かなかった場合には、年度末にその分を請求できることになっている
つまりは委託業者にとっては安定した収入源ということだ

密閉された換気の悪い空間としてのバスを、経営上ではなく健康上での判断で中止するというのは
ありそうな話だが、例えばそれをするとして、今度は誰が言い出すかが問題となってくる
委託業者から運休したいといえば、市に費用は発生しない(多分)
だが市から運休して欲しいと言い出すと、それなりの費用が発生しそう
少なくとも年度末の不足分の請求額は増えてしまいそう

東京オリンピックの延期とか中止の話を東京から言い出すか
それともIOCから言い出すかで、費用の支払いが随分違ってくるらしいが
フトこのようなニュースを思い出してしまった

契約書は見ていないが、こんなことがある時を考えての内容になっているか
ちょっと知りたい気分

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今朝(4月2日)の中日新聞の記事

2020年04月02日 09時56分47秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市の話題(あまり生産的な話ではないが)
向こうからのコピペ

あまり目立つ記事ではないが、こんなのが今朝の中日新聞の東三河版に掲載されていた

読者の中で、「あのことか!」と直ぐに理解できる人がどのくらいいるだろうか
記事の後半部分の「住民訴訟(裁判)が現在行われている」実態をどのくらいの
新城市民が知っているだろうか

もしかしたら勘違いする人がいるかも知れない
滋賀県の大津に研修に行った時に、数人で車で乗り合わせたにもかかわらず
新幹線で行ったことにして、差額分を不正取得した件と!
(これはNHKのニュースでも放送されたから印象に残っているようだ)

しかし、これは全くの別件で、記事にあるように国立印刷局東京工場への
視察が必要性があったかどうかが問われている
議員は一般的には政務活動を行った際には報告書が提出される事になっている
ところがこの国立印刷局東京工場に視察の報告書はいつまで経っても提出されず
提出されたときは一年以上後、しかも本来提出すべき議長ではなく、
市長に提出されている(千郷地区選出議員による議会報告会で明らかにされた)

更にこの印刷局の研修の前日の国会議員への請願が、書類上の請願者が「新城市議会」
となっていて市議会議員全員の意志の様に見えるが、実態はこの請願のことを知らない
議員さんもいた(これは全員協議会で明らかにされた)

このように(知らないでいると)何事もなく進んでいるかのような新城市議会だが
現在は問題を多く抱えている
その問題とは、議員辞職勧告を受けた人物を委員会の副委員長に選んでしまう
「政治倫理条例違反」とも思われることを実行してしてしまったこと
(条例では辞職勧告を受けた議員は任期中は役職につけないと解釈される)

議員の個人攻撃的な要素が多い「問責決議案」が議会運営委員会主導で提出されたこと
その他にも正当な段取りを踏んだある議員に関する「政治倫理審査会」の開設依頼に対して
これまた議会運営委員会が少しばかり先走った越権行為的な判断を行っていることなどがある
(ある議員の政治倫理審査会対象の事案とは、畑に灯油を撒いて草を燃やしたという事件のこと)

市民は4年に一度、選挙で議員や市長を選ぶ
選ぶときは一種お祭りのようなノリで、それなりに考えたりするかもしれない
しかし、議員の任期中の活動に関心があるかといえば、一部を除いてかなり怪しい
議会の傍聴席はいつも空席が目立つ
しかし、議員が実際にはこのような不祥事っぽいことを連発している事実は
知らなかったから、、、で済まされる問題ではないと思われる

予算執行の議決権をもつ議員が、自己の経験による知識と常識的な判断力を持ち合わせているか
果たして彼に議決権を与えて良いのか、、
そうしたことを、選挙の年以外でも考えること、自発的に調べてみることが面倒でも大切と思われる
(でも面倒だからな、、、という気持ちもわかる)

ところで、この記事で不思議に思ったのは、誰がこの記事のリリースをしたのか?という点
市庁舎内の記者クラブに議員から行ったのだろうか
だが現在進行している「行政訴訟」では大詰めの段階になっており
どちらかといえば穏便な解決策(裁判官の提案?)が原告・被告の間でまとまりそうな雰囲気だったのが
裁判の開かれる数日前に被告側(議員側)が急遽キャンセルして、原告側にも裁判官にも悪い心象を
残しそうなことが最近あった(裁判には立ち会っていないので関係者に聞いた話)

穏便な解決策とは、一人あたり13000円の宿泊料を返却して(多分)今後気をつける的な
ものだったと思われる
だが裁判所で提案された解決策を双方了解の上で実行するならまだしも
対談を蹴っておいて結論(13000円の返却)を先走ってメディアにリリースして
済まそうとするのはどうなんだろう、、

メディアはこうした事実があった、、と伝える
しかし、その背後とか同時進行している事実は伝えない
メディアの報道をそれだけで判断するのは、、、、少しばかり心配と思うこの頃

ところで数日前の予算・決算委員会のブログ投稿で、裁判になっているというのは
このこと
それにしても、、、

 

 

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情報の鵜呑みには注意を(「議会報告」に書かれたことの実態は)

2020年03月26日 10時38分36秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市の話題
少し頭にきたことがあったので、あちらのをここでも以下にコピペで、、

新コロナウィルス騒動で大変な時期だが、それとは関係のない少し面倒な話
でもこれも個人的には新城市の大事な話だと思っている

国会中継を生で見た人とニュース番組だけでその内容を知る人では
感じ方は大分違うと思われる
現実に我が家のお歳を召した偉い方も、国会中継を見てポツリと口から出たのは
真面目に話を聞こうとしない答弁側の人への批判だった

市議会でも同様なことがあるに違いない
文書化された議会の広報誌だけではわからないことは、その現場では沢山ある
一番いいのは傍聴に出かけて自分が何を感じるか確かめることだが
現実的には時間に余裕のある人ばかりではないので、広報誌に頼らざるを得ないのは仕方ない

議会が主体となって各戸に配布される広報誌とは別に、議員は「議会報告」なる印刷物を
新聞折込をすることができる
ところが、この「個人の議会報告は必ずしも正確な情報ばかりではない」ことがある
まして現在のように議員間に少しばかり怪しい緊張関係がある場合は
意図的に何かを匂わせるような表現の仕方をしているところが見られる

今朝、ある議員の「議会報告」の印刷物が折り込まれた(長篠・設楽原市議会通信)
この議員の前回の「議会報告」の印刷物にもあったが、浅谷地区の養鶏場を市が買い上げる件について
この議案に反対した議員4名の名前が列挙されいた
この部分だけ読むと、従来から悪臭とコバエの発生により地元から苦情が出ていたことが
市の買上げによってクリアできる様になった
にもかかわらず、反対している不届きな議員が4名いる
とのニュアンスを感じる

ところが、現場で傍聴していると現実は大分違う
その一番大きな点は、この4名は「買上げに反対をしているわけではない」という点だ
4名が反対しているのは、この事案の進め方が突然の臨時議会でいきなり債務保証という手続きをとって
その後の定例会ですぐに買い上げの議決を迫るやり方に対して疑問を感じているので
もう少し時間をかけて(間に合うのだから)ほしいという意味での反対意志だ

この件の奇妙な点とは、買上げ金額の正当性を担保する不動産鑑定士との契約が
臨時議会で債務保証が議決されたその日に行われ
不動産鑑定にかかる期間も妙に短時間(長期連休があったにもかかわらず)で行われ
しかも価格の比較となる土地が新城市内ではなく豊橋市(豊川市?)であったこと
(これを聞いた人はみんな「なんで?」と声を発する)
対象となる土地の面積に若干の数字の違いが見られること、
更に問題となる鶏糞の処分はどの様に行われるのか、それは安全なものか
工業団地としての購入としているがその計画はどのようなものか
その整地のためにかかる費用はどのくらいか
また仮契約においても通常の契約とは違うような先方に有利過ぎるようなところも見られるので
この際、もう少し丁寧に審議したほうが良く、次回の定例会で議決したほうが良いのではないか、、、
との趣旨の討論を行っている

これを見ると、好き嫌いはあるとしても、どちらが丁寧な議員活動をしているか
よく分かると思われる
ちなみに印刷物で戦犯扱いされた4人(山口・浅尾・澤田・山田議員)は
直近の定例会の予算・決算委員会でも分厚い資料を読み込んで質疑を行っている

一方この印刷物の発行者は、前回の選挙で当選以来ずっと一般質問は行っていなかった
それがやっとのこと今回一般質問をしたのだが、そこでは
「久しぶりなので、、、、」と自分の頭をかくシーンがあった

以前の投稿で情報の不公平を嘆いたことがあったが、それに関連することになるが
市政に関心のある仲間は情報提供として広報誌を作成している
ところが、この広報誌は新聞折り込みができない
(政治的なニュアンスのあるものは不可のようで)
ところが、議員には「議会報告」という形でこのような一方的な情報を伝えることができる

いたずらに対立を煽ったり、誰かを批判するつもりはなく
ただ現在起きていることを、ちょいと市民目線で批判的に捉えて報告できれば
結局はみんなのためになるだろうと思っていても
それがなかなかできないもどかしさは、つい諦めにまで至ってしまいそうになる
(でもしつこいから、、諦めないが)

ところで、市議会議員(全員ではない)には批判的な自分たちだが
他の人たちは市議会議員に対してどの様に思っているかがわかる資料がある
それは「特別職報酬等審議会議事録」で、議員さんの報酬について
アップしたほうが良いか現状維持がふさわしいかを話し合う会議の記録だ
ここには
「議員については最近問題が多すぎると感じている。もう少ししっかり働いていただきたい」
「議員については市民の意見交換の場が少なく、市民の意見を取り入れていないという面も
 あると思う」

とある
やはり同じような印象を持たれているものと思われる

それにしても、情報はある程度自分の方から働きかけて取り寄せないと
ちゃんとしたものは手に入らない世の中なのだと実感するこの頃
(情報の鵜呑みには気をつけなくては!)

 

 

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