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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

情報の不平等性

2020年03月11日 08時18分45秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市の話題

時々取り上げている新東名高速道路経由の新城名古屋直行バス「山の湊号」の話題
これに関する記事が今朝のローカル紙「東日新聞」に掲載された(ネットで見たところ)
バス事業は約3年半の実証実験が終わり、行政は「今後も継続の必要があると判断」し
来期の予算計上をしたとある

その根拠となる理由も合わせて掲載しているが、実はここには触れられていないが
もう一つ無視されてはならない重要なニュースがある

それはある市民団体が「高速バス運行廃止の請願書」を市議会と市長に提出していることだ
特に市長に対しては約1700筆の署名を添えて直接手渡している(3月10日)

高速バスについては様々な意見が存在することは否定しないし、その一つ一つを批判する気はない
だが、情報(報道)の不平等性は気になる
市民の一部(?)とはいえ1700筆もの署名が集まった事実を、何事もなかったかのように
報道されないことは、どうなのだろうと思わざるを得ない
「高速バス運行廃止の請願」については、最近何かと話題の記者クラブに事前に文書で伝えている
その上で、記者がこのことを報道するに値しない、、とか、
スペースの関係で報道できないと判断したのかもしれない
しかし報道がないことは、世の中にそういう行為がなかったと思われる可能性が大きい
このような報道は果たして公平とか平等なのだろうか、、と時々思う

このような報道に対する疑問は今回に限ったことでなく、以前の新庁舎建設に関する報道でも
しばしば感じたことで、特に「実務協議」(の結論)については、協議に参加した両者の認識を
同等に扱われるのではなく、行政の言い分をそのまま報道していた

市民は行政のような定期的に報道してもらえるツールを持たない
世の中には、表現の自由とか、その場はいたるところに与えられていると言われるが
現実の世界、ましてオールドメディアと言われる世界では、こうしたことが頻繁に起きている
新聞がなくても困らない人が増えていると言われる
ヤフーニュースを見れば事足りる  との考えだが
気をつけないといけないのは、そこには実はニュースが選別されていることだ
ヤフーニュースの記事ピックアップの基準がPVが多い事かもしれないが
世界でのヤフーニュースの記事は、政治、経済等が上位にアップされていて
日本はスポーツ・芸能が異様に多いと言われている
これは「パンとサーカス」を連想してしまい、果たしてこのままで良いのか
と思わざるを得ない

ということで、あまり価値のない(?)報道がスペース・時間を奪い
肝心なニュースがメディアに報道されない最近の傾向は
報道されていない限りは何も起きていないと思われがちな現実を踏まえると
このように一言愚痴でも言いたくなってしまう

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市議会で公聴会は開けないものか(情報の不平等が気になる)

2020年03月03日 20時09分06秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

少し面倒くさい新城市の例の話題

国会をネットで見てたら予算委員会に公聴会というのがあり、興味を持った
公聴会とはウキペディアによると
国会法51条1項において、委員会は、一般的関心及び目的を有する重要な案件について、
公聴会を開き、真に利害関係を有する者又は学識経験者等から意見を聴くことができると定め、
2項において総予算及び重要な歳入法案においては、開催義務があることを規定している。
加えて、衆議院憲法審査会規程及び参議院憲法審査会規程により、
衆議院憲法審査会・参議院憲法審査委員会において憲法改正原案についても公聴会の開催が義務づけられている。

とある

たまたま見た2月21日の衆議院予算委員会で行われた公聴会
印象に残ったのは、情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子氏と弁護士の新里宏二氏
前者は情報公開請求を頻繁に行っている方で、文書管理の法について実践のうえで
法的にもかなり詳しい方で、20分の所要時間はよどみなく、しかも話がダブることもなく
理路整然と話されてて世の中には頭のいい人がいるものだと感じた次第
後者の弁護士はパチンコ等のギャンブルで生活が成り立たなくなった人を多く見ている方で
両者とも野党側から要請されて出席したものと思われる

予想されるように三木氏は、海苔弁で出たり、速やかに破棄されたり、
改ざんされたりの問題が多い現政府の公文書についての第三者からの意見
新里氏はIR(統合型リゾート)に関してギャンブル依存の実態とその弊害について現役の弁護士からの意見

ここで地元の話とは関係なさそうな国会のことを取り上げたのには理由がある
それはいわゆる第三者という立場の人が、議決権をもつ議員を前に、客観的な(あるいは野党よりの?)
話をしたということが、市議会議員の議決行為に対して参考になりそうと思えたことだ

現在個人的に気になっていることといえば高速バス「山の湊号」のこと
先月行政から市議会議員にいろんな資料が渡されて、その中には専門家(第三者?)の意見もあったようだ
ところが、それらは基本的には行政(の理屈)に都合の良い話だ
沢山のページの資料を渡されて、それを読んで議員が是か非かを判断することにしてほしいというものだが
その資料だけで判断することが果たして良いことなのだろうか  と疑問が浮かぶ
なぜならそこにあるアンケートは利用者に対して行われたもので、利用していないひとの声は反映されていない

議員みんながその資料だけを当てにせず、個人レベルで市民の声を聞く行動をしていれば良いのだが
残念ながらそれだけフットワークの軽い人物はそれほど見当たらない(と思う)
ならば、国会のような反対立場のひと(専門家・第三者)の「公聴会」を開けないものか、、
と思う次第だ

現在、議員間に高速バスの評価の違いがあるのも事実
存続を求める専門家、第三者の声(?)はとりあえず提出された(行政側から)
ところが別の認識とか意見をもつ専門家(第三者)もいるはずなので
その人たちの声を、とりあえず議員はそれも聞く行為(公聴会)
それがシステム的に必要なのではないかと思えてならない
(でないと情報の不平等性が生じてしまわないか)

現在は行政に質疑(質問)して、答えを待つだけで議決判断する様になっていて
議決前の賛成討論は、議員個人の言葉ではなく行政の言い分を
そのまま繰り返し話していることが多い(そう感じてしまうことが多い)

実際のところ、質疑とか質問の場で議員と行政の方とバトルを繰り広げると
その問題に携わっている時間の長さの違いが、そのまま勝負に出ることが多い
結果的に理屈では(あるいは口頭では)議員はなかなか行政を上回ることは難しい
しかし、議員には「常識」とか「市民の声」という強力な価値判断のバックボーンを
もてば怖いものは無い、、と話した方がいたし、そのとおりだと思う(思いたい)

ということで、少しばかり小難しい話になったが、
要は議員さんには「情報の不平等」に留意して欲しいということ

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パレートの法則

2020年01月27日 09時22分19秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

パレートの法則という経験則がある
いろんな場合に応用できるようだが、ビジネスにおいては
「売上の8割は全顧客の2割が生み出している」として用いられる
飛行機利用者、クラシック音楽の客などを想像すると
これは「そんなものだろうな!」と自分でも思う

新城市では新東名高速道路を利用した新城・長久手の直行バスを
市のお金を使って走らせている
これは今のところ3年と少しの間の実証実験という形で行われていて
今年の3月がその実証実験の終りとなる

年間目標利用者は45,000人としているが
現実は29年度 13,061人 30年度13,113人
となっており目標に遠く及ばない
一便あたりバスの利用者は7人前後で、市民の間では
「空気を運んでいる」と評判が悪い
この高速バス事業の費用は
29年度36,881,999円  30年度36,459,051円
となっており、一般財源と基金から充当している

この結果を踏まえてバスの運行を続けるべきか、やめるべきかを
検討すべき時になってきている
利用者にはもちろん継続してほしいとの声がある
ところが、この事業のコストパフォーマンスの悪さに即廃止すべき
この費用は、福祉や教育に使うべきだとの声もある

実証実験期間と言いながら市側は十分な検証をしていなかったことは
現場の人間が認めている(PDCAチェックもその他の検証も)
そこで昨年末、急遽利用者アンケート(調査)を行った
そこには、新城にバスで来た方がどのくらいお金を使うか
と言った項目もあるとのことだ

そこで冒頭のパレートの法則に話に戻るが
このバスの利用者は(ヘビーユーザーは)どういった人たちなのだろうか
と想像してみる(実際に聞いてみた)
2005年に作手、新城、鳳来の自治体が合併して現在の新城市となっているが
バスの利用者は、かつてのどの地区の方々の利用が多いかをまずは想像してみる

作手はバスの停留所まで来るのが大変だし、発着時間が限定されているバスの利用は
現実的でないと思われる
バスの利用者がヘビーユーザーで名古屋まで通勤・通学をしている人と仮定するならば
鳳来地区の方々は名古屋までの時間がかかりすぎて、そもそも通勤・通学を考えないのではないか
もし名古屋で働く、学ぶとするならば名古屋で家を借りる方が現実的と判断するのではないか
となると、現実には新城地区の人間がバスを利用しているのではないか、、と想像した

以前、新城から名古屋に通勤・通学をしている人が300人以上いると行政から聞いたことがあった
その時は通勤・通学の人たちはこの3つの地区のどこが多いかは調べていないとのことだったが
最近の調査では、やはり旧新城地区の人の利用が多いとのこと

ところがこの新城地区の方が名古屋に行く場合には、高速バスと競合するライバルの存在がある
それはJRで、旧新城地区の駅からでは、日帰りの名古屋往復は
普通の日は1680円、土日祝が2000円となっている
これは安くて本数も多くて使い勝手が良いのでよく利用する
一方高速バスは片道1000円 往復2000円 本数は3往復で朝昼夕方で
利用はある程度限定されてしまう
ただし、一旦バスの乗ると乗換なしに藤が丘・長久手まで行けるので
これは確かに便利と感じることはある

でも再びパレートの法則に戻って、このバスの利用者、収益の柱となる
ヘビーユーザーがそもそもそれほど多く存在したのか、、という疑問にぶち当たる
通勤通学している人が300人以上(400人未満)しかいない
しかも、この数字の人達には代替え交通機関(競争相手)が存在するのでは
最初からこの事業の採算的な面の勝ち目は無かったのではないか、、というのが
厳しいと言うより常識的な見方ではないだろうか

民間がやらないから行政が行う
そのようなことは現実には存在する
同じ交通でも市内を走るSバスがそうだ
このSバスも現実には赤字の垂れ流しに近い形になっている
でも年寄りが多く過疎が進む代替え交通機関がない地区には必要不可欠となっている
税金の使い方としては、これは仕方ない、、と思えてしまうが
この高速バスは「そこまで費用を使って継続する価値があるか?」については
どうしても自分自身を納得させることができない

物事は、特に行政は走り始めたら何が何でも(屁理屈を付けても)事業を継続する
継続してるうちに、そこでの問題は忘れ去られて継続が当たり前のようになっていく
だから肝心なのは一番最初の決定に関わることとなるのだが
市職員も議決をした議員さんも現実的なパレートの法則を少しは考えてみたのだろうか

 

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損のインパクトの強さの影響

2019年11月15日 09時17分00秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

行動経済学の研究者であるダニエル・カーネマンによれば
「人間は得より損のほうに強く反応する」傾向があるとのことで
例えば、10万円のものを1万円まけてもらって得をした場合と、
10万円で買ったものが近くの店で9万円で売っていることが分かり、
1万円損をした気分になるのとでは、多くの人は、前者の得した気分より、
後者の損をした気分のほうが強く感じるだろうし、後々まで尾をひく。
心理学の実験では、損のインパクトは得のインパクトの2.25倍だそうだ。
「損の影響は得の約2倍」、経済心理学のススメ)より

これを現在の新城市の問題一つの事柄に当てはめて考えてみる

新城市では新東名高速道路を利用した名古屋直行バスの運行が
市のお金を使い実施されている(今のところ実証実験として)
この費用が年間約3800万円ほどで、利用者は一便あたり7人前後と少なく
空気を運んでいるとの批判が出ている

そんな批判のあるなか、市は継続か中止かの判断を迫られている
(来年度の予算案に入れるかどうかということ)

総合的な判断のために市はいろんな人の意見を聞いているが
その中に利用者の声がある
当たり前の話だが利用者の評価は高い
今まで使っていたものがなくなっては困る
これが利用者の大半の声だろう

そこで出てくるのが冒頭の「損した気分のインパクトの強さ」の問題
不効率で税金は別の分野に回すべきとの中止意見に対して
利用者の今まであったものがなくなる「損した気分」の力は強く
この問題を総合的に考えることを難しくしている

継続すれば自分にとっては有利だが、果たしてそれが市にとって
正しいことなのだろうか?
批判的な意見の持ち主は、利用者もこうした広い視点から考えるべきと口にする
しかし、損する(既得権を失う)ということは、そんなに簡単に他人事のように
考えるられるようになることではない

そうなるには、多分、自分自身の感情のコントロールとか理屈に従う訓練が
必要なんだろうと思われる
自分は損をしてもこうあるべき!
そのように信念をもって行動できるようになるのは難しいが、それができる人は尊敬できそう
(議員さんや首長がこのような人たちであれば良いのだが)

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週刊誌(文春砲)に取り上げてほしい!と思ったことがある

2019年11月05日 18時47分10秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市の話題

「文春砲とか週刊新潮のスッパ抜き記事が新城市でもあったならなぁ!」
と思うことが度々あった

住民投票の奇妙な選択肢は勿論のこと、南部の工業団地に産廃業者が進出するキッカケとなった買戻特約の不思議な破棄
突如湧いて出たような産婦人科医院の開設話と直後に行われた県会議員選挙でのある出来事
市議会議員になった途端に市からの受注が急に増えた水道工事店の話
支払った実績がないにもかかわらず受け取った領収書による(市議会議員主導の)活動交付金の不正取得
そして裁判沙汰にまでなってしまった庁舎建設用地外の移転補償費の支払い
これらは行政の問題はないとする解釈もあれば、それに不満を持つ人たちの想像力たくましい解釈もある
特に後者の場合は、そのように解釈するとすべての辻褄が合ってくるので妄想とは言い切れない部分があり
そのところを週刊誌の記者に突いてほしいと思うわけだ

以下は裁判沙汰になった庁舎用地外の移転保障費に少し絡む不思議な出来事

平成24年に道路幅が8.02メートルの道路(市道東入船3号線 仮称)が突然市議会に議案提出された。
この議案は市議会によって討論がなされた結果、廃案となった。
ところが平成26年の9月24日、市役所用地として収容された土地が(知らないうちに)分筆されて
(少し疑ってかかると)廃案となった市道東入船3号線が復活したような形になっていた
話はそこで終わらず、なんとこの分筆の手続きが終わったわずか二日後にある人物が公拡法による「土地買取り希望申請」を行っている
この結果、その人物は庁舎建設用地内にあった物件を、土地収用法と公拡法による2つの理由で土地を市に買ってもらうことになった

些細なことだが、これで何が起きたかといえば、この人物の税金支払い義務がなくなった。

租税特別措置法には資産を収用交換等により譲渡した場合は5千万円の特別控除の譲渡所得の計算をすることができる決まりがある
今回の物件は都合よくこの2つの理由による譲渡所得となって、それらがいずれも5000万年円以下となったために税金を収めなくて済むことになったのだ。
そこでこれらの行為(分筆等)は、ある人物の節税のためにしているのではないか?
と、たくましく想像することができるが、この件は山田議員が6月の市議会の一般質問で扱っている

そもそも急に8.02メートルもの道路が議会に上程されたのは何故か?
廃案になったにもかかわらず分筆等の処理で(結果として)復活したように思えてしまうが、それらはどの様な理由によるものか?

行政は
「敷地用地の残りに部分を将来のそこに道路を入れたいという市の考え方はございますので、
 その部分については、道路敷地、または将来の庁舎敷地ということで先行取得をさせていただいたものでございます」
と答えている


この答弁は今の時点で考えると(現在のところ庁舎の駐車所として使えない南側の土地のことを思うと)そんなものか!と思わないでもない
ところがこの分筆をされたのは現在の話ではなく、まだ住民投票も行われていず、その土地は駐車場として計画されていたときに行われたのだ
その当時は住民投票の話は起き上がっていない
だからその土地は計画通り駐車場になっている可能性が高かった
ところが市の説明によるとその時点で
将来に道路敷地にするために分筆して、わざわざ公拡法を用いて取得することにしたと答えている
(果たして本当にわざわざ駐車場を削ってまで道路とするのか?)
これは言葉の上では可能性はあるかもしれないが、現実的にはかなり無理筋と思えてならない
そこで思うことは、週刊誌ならこの問題をどの様な取り上げ方をするだろう?という点だ

残念ながら、このような無理筋にもかかわらず進められていく事柄は少なくない
(最近新城市では浅谷の養鶏場の買上げでも奇妙な進め方だった)

世の中は知らないところで知らないまま、少しばかり不公平に物事が進められていく(税金を使って)
これはここ数年で身にしみた実感
それで多くの人に問題意識を持ってもらおうとすると、その難しいことは、この上ない

それにしても、冒頭の週刊誌が扱ってくれないかな、、
と思うような問題が我市に多すぎるのは少しばかり悲しい
やっぱり新城市はピンチかな?
と思ってしまう

 

 

 

 

 

 

 



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達成感を感じるためには何が必要か

2019年10月29日 08時39分31秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

先週の土曜日、26日に新城文化会館の大会議室で市民まちづくり集会が行われた
条例で年一回以上開催されることになっていて、自分は最近は
(文句を言うためには実態を知らなければと)参加している
毎年その年のテーマが決められて、それについて話し合う事になっている

数回参加して思うことは
参加している人といない人の認識は大きく違うという当たり前の事実
参加していない人は世の中はいつもと同じ毎日が続いていると思っている
面倒なことは他人に任せておけば大丈夫(本当にそうかな?)とか
今の自分の生活にはあまり影響しない、、、とか

一方参加した人はとりあえずいろいろな問題があるものだと実感を得ることができる
それは継続して考えなければいけない問題かもしれないと考える
だが現実的なところ参加した人たちも会場を出たらすぐに忘れてしまうかもしれないのも事実
そこで参加した人の一部は、この時間が無駄にならないためには、
このイベントの効果・成果を求めたくなってしまう

数回経験した上で強く感じるのは、この集会はなんの目的で行われていて
それは効果を上げているのだろうかという点
毎回いくつかのテーブルの分かれ、その年のテーマに沿って話し合いが行われ
最後にはそのテーブルでの結論じみたものが発表される
時間を費やした総括がここで示されるわけだが、毎回感じるのは自分に参加した達成感が全然ないこと

総括として発表されることは、自分の思いとかそのテーブルで話された人の思いとどこか違うような気がしている
各テーブルで代表して総括をする方の表現力とか、まとめ方の稚拙が大きく影響しているかもしれないが
そもそも慣れないことを素人にさせる(?)形になっているのが少し運営上に問題がありそうな気がしている

市民の共通認識を得られればそれで会の目的の1つは果たされている
と主催者側は発言する
でもこの会の評価は本当にそれで良いのだろうか

行政は自分たちの行うことに対する評価は少しばかり甘いのではないのか
と思ってしまう(これは常々思う)
評価で一番わかり易いのは数字だが参加した人の数、
昨年は準備したテーブルが埋まらない寂しい参加者数だった
今年は昨年と比べれば多いようだったが、この動員のために市は無作為の抽出したデータで
2000人の案内のDMを送っている
また見渡すところ市関係者がいたるところで見受けられた
つまり参加者という点でこのイベントは成功しているか?
が問われなければならないと思うのだが、これについてどの様な総括がなされているのだろうか

少し意味合いは違うが新城市には議会報告会がある
これも参加者数は褒められたものではない状況が続いている
ところが岐阜県の可児市の議会報告会は結構な人が集まるらしい
(これは可児市の市議会議員の方のパワポの写真にその様子があった)
そこで何故可児市の議会報告会はそれほど幅広い年齢層のひとが集まるのか?
と尋ねると、
「それは発言した人の意見が現実に形として現れるからです
 会場で出た意見を持ち帰って、その中で優先順位をつけて、
 具体的に予算をつけて目に見える形としているにしているからです
 これで参加している人たちは達成感があるからです
 議会報告会で出た意見に予算をつけるシステムが出来上がっているからです」

自分たちが物申したことが形となって現れる
このまちづくり集会にもこうした要素は必要なのではないのだろうか
漠然とした市民の共通認識という言葉で済まされて
参加した人の達成感のない実感で終わってしまって良いものだろうか
(グループワークで言いたいこと言えてスッキリしたという人もいるだろうが)

結局のところ、意見を聞くということは、目に見える形で何か実行に移す
ということでなないのかな、、と思ったりする

ところで、このイベントに参加していない人たち
(多分この人たちが普通の人と思われるが)
かつては自分も全くその立場だったので、その気持わかるが、あれこれ経験した上で感じたことは
(民主主義のシステムとして)人にお任せして自分の代わりに何かを判断・決めてもらうことは
残念ながら無条件にそれほど良いことではないという事実だ

議員さんに対しても行政に対しても、時々少しばかり疑いの目を持って
監視するという行為が一般の人の間にも必要なのではないか、、、と思ったりする

※まちづくり集会の細かなことは、いつか取り上げるかも



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わかりやすいのは「市長が別の人だったら!」と考えること

2019年09月13日 08時16分17秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

「お金を返したからといって、良いってもんじゃない」
これは我市でも議員さんが政務活動費や疑惑絡みの活動交付金の返却したにも
かかわらず、巷で囁かれた言葉
この声は思いのほかいつまでも消えず、ある議員さんは相当な心理的ダメージを
負ったようだ(どこ吹く風といった態度の議員さんもいたが)

「お金を返したからといって、良いもんじゃない」という思いは
多分多くの人に自然に湧いてくるものだろうし、それを声に出すことは
当然で当たり前のことのように思える

これに似た感情を韓国の人たちが日本の姿勢に対して持っていると想像できないだろうか
つまり、歴史認識をちゃんとせずに解決ステップだけを問題にしてるとしたら、
どこかごまかされているようで不満を覚えるのは無理からぬようにも思えてしまう

「お金を返したからすべてお終い!」
とされたくない問題が新城市にもある(活動交付金と政務活動費以外に)

新城市議会定例会で、爆弾男の山田辰也議員が前回に続いて追求している問題がそれだ
ただ問題は前もっていろんな知識が無いと、彼の意図がかわかりにくいという点がある
そこで、大雑把な解説をしてみると

新城市は新庁舎建設用地以外の物件の移転補償について市民から行政裁判を起こされた
普通ならば支払われることのない用地外にも支払われたのは税金の不当支出で
市民は損を被っているので、その額の返却を最高決定者であった市長に求めたものだ
この裁判は2年以上に渡ったが、集結判決によらない解決を裁判所から提案され
原告・被告の両者とも受け入れた

この終結判決によらない解決の合意の主な内容は

1. 本件移転補償に際し、損失補償基準要綱の要件を満たすか否かに関する調査に必ずしも十分とは言えない点があり、
支出に疑義が生じる不適切な事態が生じたことを重く受け止め、遺憾の意を表する

2.補助参加人(穂積市長)は市に125万円の解決金を支払う

3.被告(新城市)は原告らの裁判費用の一部として25万円を支払う

4.被告(新城市)は今後損失補償の事務等に関し、関係法令等への適合性に疑念を持たれないよう、適正に処理すべく一層努めるものとする

4月の臨時会の議決を経て裁判の補助参加人である市長は市に対し125万円を支払うことになった
問題は、これで一件落着か!という点

これが冒頭の「お金を返したからといって、良いもんじゃない」につながる
ここで少しややこしいのは、移転補償費が支払われた物件は2つに分かれており
その移転補償費の市からの支払いは別々に行われた
その別々の支払のうち、より金額の多い物件は時効を過ぎていた
だがもう片方は期限内であり、裁判はその分の損害部分を支払うように求めたものだ(と解釈)

ところが、時効は市民が行う場合と行政が行う場合とその期間が違う
今回は市民が訴えたのでその時効は1年(支払いが行われた1年以内に住民監査請求の手続きをとるべし)だった
ところが、行政がその件を追求する場合は時効は5年となる
上記の合意文1に支出に疑義が生じる不適切な事態、、の言葉があるが、この支出に疑義が生じるのは何だったのか
それを行政が調べるべきではないのか、、時効は5年で間に合うのだから、、というのが山田議員の考え

これは、仮に現在の市長が今の市長ではない別の人として考えるとわかりやすいかもしれない
現在の市長が、以前の市長が行った移転補償の契約、および支払いが納得できないものと考えて
その疑義の残る件について精査し、何が損をする状態になったのか、損を生じることになった原因のひとに
損害を支払いように請求する、、そういう精査なり検証をすべきではないのか、、というのが山田議員の言わんとする事

これは韓国やアメリカの政権が、前政権のあら捜しをするのをイメージすればいい
だが現実は市長は4期の真っ只中で、自分が中心に行った契約等についての再検証などは現実的には取り組むはずがないから
議会が山田議員の意図を読んで同意すれば検証と精査はできるはずだが、残念ながら議員さん無関心
「お金を払ったから、もういいじゃん」の声も出るようだ

現実的には前に進まないこのような問題だが、山田議員がテレビ・インターネット中継が行われる一般質問で
この件を扱ったことは大きい
何を質問しているかさっぱりわからない、、と思うひともいれば、
直感的になにか変なことがあったかもしれないと感じる人もいるだろう

ということで、相変わらず問題の多いピンチの新城市の話題
つくづく、議員さんにお任せばっかりじゃアカンな、、と思うことしきり

※行政訴訟については、備忘録として2019年5月22日のブログで取り上げているので
時間のある方は覗いてみてください


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「誰がそれをした」と「その内容」について

2019年07月18日 08時36分47秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

 一月ほど前NHKローカルのニュースで、新城市議会議員の政務活動費の疑惑が報じられた
滋賀県の研修に実際は数人で車で乗り合わせて行ったにもかかわらず、交通費の精算は
新幹線を用いたものになっており、各人はその差額を懐に入れていたのではないかとの疑いだ

この差額は返却されたり書類上の処理が行われ一段落したかのように見えたが
先日の議会報告会では一部の市民からかなりの批判を浴びることとなった

この問題について気になったのは2つのこと
1つ目はニュースを見た人の関心事は、それは「誰が行ったことなのか」という点に集中していたように思われたこと
実際に自分もニュースを見た方から、「あれは誰のこと?」との質問を受けた
だがその内容について詳しく理解して、怒りに値するかどうかを知ろうとする人は少ないように思われた
これは国会でも統計の問題が政府側が悪い、、との理解は容易だが、そもそも何が悪かったのかは
イマイチわかっていない状況を思い起こさせる
人は具体的な「誰が悪い」という理解のほうが、抽象的な問題点を指摘するより理解しやすいようで
人を非難する快感は知らず知らずつい犯人探し的な方向に進んでしまう

もう一つの点は該当議員さんが「あれはミスだった」と説明している点
ミスだったとすれば、それがどのようなミスだったのか
そしてそのミスだったという説明は一般市民に説得力を持つかが気になる

そこでおせっかいながら足を運んでいろいろ確かめてみた
まずは政務活動費の精算の段取り
議員さんの活動は職員の業務ではないので、職員に行われる段取り(出張命令書、集計)ではなく
議員さんからの申請によるものとされている
決められた形式に沿って、政務活動の説明を書いて事務局に提出することになっているが
これがかなり大まかなくくり方で、具体的に書くようにはなっていない
そこで書き方にも個人差がある

交通費は旅費規定というのがあって、公共交通機関を用いた場合は経路検索を行って
事務局が調べた一番安価な金額を認めるというもので、議員さんが提出した数字と異なっている場合は
事務局が議員さんに手直しするように伝えることになっている

ところが、申請主義が原則というものの例外は存在する
議員さんが事務局に手渡す交通費は、結局事務局が計算をするのだから議員自身がしなくても
最初から事務局にやってもらえば楽できると考える人が出てくる
今回は最初から事務局にやってもらうとした横着な議員さんがいたということ
(議員さんはいろいろで、きちんと計算や交通費の領収書を提出するひともいるが、
 このように横着する人もいて、これまではなあなあで済まされていたかのよう)

事務局が計算した数字は、本来ならば事務局が議員さんに確認をするのだが
今回の場合は事務局が公共交通機関を用いたものと思い込んで計算をし
時間がなかったし、従来もそのようにしていたので、議員さんに確認とらずHPなどに
公表したが、そこである人たちから事実と違うと指摘されたことから騒動は始まった

ここで、問題は横着した議員さんは「車で行った」と事務局に伝えたかという点
事務局は公共交通機関を用いたものだと思いこんでいた
その勘違いは何処から起きたか
ある議員は伝えたといい、片方は聞いていない(記憶がない)との「言った言わない」論争は結論が出ない
ところが車で乗り合わせた議員さんたちは、ドライバー役の議員さんに割り勘で交通費をひとりあたり〇〇〇円支払っている
その事実を自覚している議員さんが、事務局に「計算しといて、、」と依頼する時に
何人が何人とも「車で行った」と言わなかった(事務局の記憶に残るほどに)ということは
そこに悪意(差額分は得できるかもしれないとの思い)が存在していた可能性を否定出来ないのではないか

確かに現象面では確認を怠った事務局の責任がないとは言えない
しかし、割り勘をして車の費用を各自支払った自覚のある人物が、そのような説明を事務局に記憶に残るように
していないとすれば、それは事務局のミスと言うよりは意図的な何かを感じてしまう

議員さんの説明が一般社会に通用するものか(上記解釈は個人的なものだが)
議員さんは説明責任がある
しかし議員さんの説明は、自分たちの議会用語、議会内理屈でなされることが多いので
まるで詭弁のようで一般市民にはイマイチよくわからない

残念なのは一部の市民にとって、何人かの議員さんは信頼に値する存在ではないということ
「新城市はピンチなのか?」が再び頭をよぎる





 

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少し荒れた議会報告会(千郷会場)

2019年07月13日 11時38分45秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市では7月1日から議会報告会が行われている
会場は地域自治区ごとの10箇所
18人の議員さんが適切に分かれて、共通の報告と
各地区の問題点を話し合うことになっている
以下は議会報告会最終日のある会場での話で
別の方からの引用

普通なら7時に始まって最初の30分は議会からの報告とそれに関する質問
その後は各地区に割り振られたテーマに沿って議会と市民との対話で終了は8時半
それが新城市の議会報告会のスケジュール

ところが昨日行われた千郷地区の議会報告会では最初からスケジュールどおりには進まなかった
もっとも、それは予め予想されていたことのようで運営側もさほど緊急事態と感じていなかったようだ
人口が多い千郷地区は市議会議員も浅尾・山田・澤田・鈴木・山崎・竹下議員が選ばれており
この議員さんたちは議決に際し対立する判断をすることが多い
昨日はこの6人に加えて、村田・山口・長田議員が参加して9人で行われた
(別の地区でやはり9人で行われている)

スケジュール通りに進まなかったのは冒頭から問題提起がされたからだが
その前にこの日の議会報告会の議員間の力関係を最近の傾向(議決判断)から紹介すると
浅尾・山田・澤田・山口議員のグループと、村田・長田・竹下・山崎・鈴木議員のグループに分かれる

冒頭から問題提起されたのは、テレビ・新聞で報道された政務活動費の疑惑について
ここでややこしいのは政務活動費の疑惑は2つあって、平成30年3月に東京へ赴いた件と
31年3月に滋賀県に赴いた時が問題となっている
テレビで報道されたのは滋賀県に行った時の方で、車で乗り合わせて行ったにもかかわらず
政務活動費は新幹線等を使ったとして精算を行ったのは事実と異なりおかしいのじゃないかという点
もう一つは新聞に掲載された件で、東京出張して一泊して2日目にある場所に訪れたと報告しているが、
その場所というのが現在は埼玉県の方に移転しており存在しない
結局は別の名称の機関(国立造幣局)を訪れていて、なおかつその日は土曜日で普段ならお休みの場所
何らかの方法でそこに立ち寄ったとしても議員さんの所感等が存在しないので、
果たして本当に有効な視察出あったのか、、、と疑いの目を持たざるを得ないとするもの

この日冒頭からこの点について詳しく情報を知る人から鋭い(きつい)指摘が突きつけられたのだが
怒りを覚える感覚は理解できるが、あの会場にいた人たちがこれらのことを詳しく知っているとは思われないので、
もう少し会場での事実確認・共通認識を確保をしてからの進め方のほうが良かったと思われる

千郷地区はややこしい問題がこのところ起きている
少し前は地域自治区の活動交付金の不正受給問題で、山崎議員が政治倫理審査会にかけられ
その結果「議員辞職」を議会から受けているし、中こども園の建て替えの候補地については現在のところ、
別の所と割れていて、この地区選出の議員さんの間でも意見が割れている
この意見の対立構造が若干いろんなところに現れているようだ

会場にはそれぞれに応援団が集まると良いのだが、昨日の場合は明らかに政務活動費の件で旗色が悪いので
そちらの陣営の方々の参加は少なかったようだ
この地区の人間ではない自分は成り行きを眺めていたわけだが、政務活動費について追求する方々の理屈はよくわかったので、
今度は「(事務局が)ミスをした」と弁解する方々のミスとは一体何だったのか、どのような作業のなかで起きたのか、
それはミスなのか、それとも悪意のあったものなのかどうなのか、、、が知りたいと思った
そしてそのミスの説明が一般常識からして通用するものなのかを確認したいと実感した
議員さんや職員の方々は難しい言い方をするので(国会でも)実際には説明が「言い訳」にしか思えないことが多い
この言い訳が、一般人にストンと落ちるものか、それともモヤモヤが残ったままになるのか
会場に漂う雰囲気を感じたいと思ったが、昨晩は怒りを表明する方々が多かった

議会報告会に集まった方々は(現実には)議会で議決された内容を詳しく知っている人は多くない
今回の議会報告会では議決が割れた案件について、配られた資料に賛成・反対の理由も記されていたが、
残念ながらその細かな部分まで理解が進まない
そこで問題となったのは浅谷地区の養鶏場の買上げの議決判断の問題
この議決では、予算執行に関し、養鶏場を買い上げるのには反対はしないが、まだ不明なところの多いまま拙速に物事を進めるのは好ましくない、
9月議会に再度検討すべし、、との意見の浅尾・澤田・山田・山口議員のグループと、
この機会をは絶好のチャンスで長年に渡って懸念されていた悪臭問題が解決されるとの判断を下した村田・長田・山崎・竹下・鈴木議員の
グループが同席しているので、特に後者のグループの議員さんに最終的な議決判断の根拠を伺いたいとの質問が会場からでた

それに対しては、
1.長年の悪臭被害をクリアする絶好の機会、
2.今を逃すと他の民間業者の手に渡ってしまうかもしれない、そうなればまた苦情が起きることになるかもしれない、
3.この養鶏場の場所は工業団地の計画の場所で将来的に買い上げておいても無駄はない、、という行政の説明をまるっきり同じだった

しかし拙速に進めないほうが良いとする方は
2.の今を逃すと他の業者に渡ってしまう可能性について、少し首を傾げている
それは現時点での立地とか条件が果たして企業が投資対象とする場所なのか(道が狭い)
仮契約を結んでいるのだから、あらたに別の企業が購入に割り込んできても、仮契約状況を縦にすぐさまの行動には至らないでのはないか
そして3.の工業団地用についても、現在はその計画もできていないし造成費用もどれだけかかるか試算もできていない

問題は、これらの慎重にとする派の意見を踏まえた上での反論や討論がもう一つのグループからはなく
結果として議員さんの間で熟した議論はされなかったことだ(議場でも報告会でも)
結局は片方は疑いを持ったまま、片方は行政の言ったことをそのまま信じ、採決になったということだ
会場の方々はテレビや新聞で知った政務活動費の件では、怒りを覚えることが多かったようだが
この少しばかり難しい判断を要する問題について、初めてその内容を聞いて、どのように感じただろう
チャンス到来、逃すべきではない、多少の小さなことはあとでなんとかするほうが良いかもしれない
と感じるか、それとも
どうも不明なこと(面積・鶏糞処理等)が多すぎるので、慎重にことに当たるべき
と感じたのだろうか

そしてその会場にいた議員さんたちは、その空気をどのように感じたのだろうか

議員さんたちは住民投票の年の荒れに荒れた議会報告会のことがトラウマになっていて
現在は議会報告会は意見を聞く場所というものの、現実はやっただけのアリバイづくりに終始している
と思ってしまうのは、ひねくれた感じ方かな

それにしても、、、、








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違和感を感じる進め方(何故か急ぎすぎ)

2019年06月21日 21時27分04秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

コパ・アメリカのウルグアイ戦、スアレス、カバー二がいるなかアウェイで2-2の引き分け
よくやった、、(負けないで良かったと言うより勝てずに残念)
今回は縦へのスピードがあってなかなか良かった

そのDAZNの中継を無理やり振り切って出かけたのが新城市の本会議場
少しばかりややこしい気になる問題があったので、仲間と一緒に傍聴した
以下は愛知県の新城市の問題

新城市は住民投票があったり、市長リコール運動があったり、政治倫理審査会が立て続けに開くことになったり
めったにない住民監査請求と住民訴訟裁判があったり、また市議会議員が主導する団体が不正な会計処理で
市からの補助金を返還することになったり、産廃進出問題で奇妙な「買い戻し特約」の破棄がなされたり
つまりゴタゴタが収まることなく続いている
そんななかでのこと 以下別のブログからのコピペ

昨日(6/20)・今日(6/21)新城市議会の傍聴に出かけた
昨日は一般質問、今日は追加議案の説明と質疑などが行われた
今回の定例会で気になるのは、4〜5億円の金額がかかると言われる
新城市浅谷の養鶏場の買い取りの件
これだけの金額だから気になるのは仕方ない

この養鶏場の買い取りについては、4月26日に臨時会が開かれた時に
急に5億円強を上限とする債務負担行為の議案が提出され
議会は「この上限金額が買上げ金額ではなく、不動産鑑定の結果を見て買取の可否は判断する」
との認識のもとに可決された

そうなると気になるのは不動産鑑定のこと
不動産鑑定士はどのような根拠で、いつ選ばれたのか
不動産鑑定の面積は市が公表している2つの面積
18,232.10㎡(実測46,303㎡)のどちらを基にして行われるのかという点

これは昨日の澤田議員の一般質問で明らかにされたが
少しばかり違和感を感じさせる市側の答弁だった
ひとつには不動産鑑定士の選択は入札ではなく随意契約であったこと
(最初の議員への報告は入札だったとの情報あり)
少額のものなどは入札によらず随意契約でも良いとの条例があるようだが
今回は100万円を超えている(市の条例では工事は130万円以下は随意契約が可)
でも不動産鑑定が工事?と疑問が湧く、
で調べてみると柏市の例を見つけると委託(測量など)50万円以下というのが見つかった
(もう少し違う理由で随意契約としたのかもしれないが、よくわからない)

今回数社あると思われるなかで、その不動産鑑定士に発注をした理由は何か
と澤田議員が聞くと
その企業を選択した理由というより不動産鑑定の一般論が述べられただけで
該当企業が選ばれた理由は不明
次にその随意契約をした日付を質問すると4月26日との答え
4月26日といえば、臨時会で債務負担行為の議決が行われた日だ
議決のあったその日のうちに市はある不動産鑑定士の企業と契約をしていた
そして、その不動産鑑定の回答期限がまた少し驚く
今年は5月に10連休があったのだが、締切は5月24日
そんなに早く結果が出せるものなのだろうか
(というより市は妙に急いでる印象を覚える)

次に不動産鑑定の面積はどちらで行われるかについては
18,232.10㎡の方は登記されているが、実測の46,303㎡は登記されていない
にもかかわらず約三倍大きなの面積の方で買取金額を出すとの回答、
登記されていない面積で行うのは何故なんだろう
そしてその大きな面積は基本的に土地を買い上げてほしいとする企業からの資料(H9年)によるもの
それを一方的に信じて行って果たして良いものか

他にも首を傾げる部分がいくつかあって、気持ちが吹っ切れない

不動産鑑定はまだまだ結果が出ず正式な金額の高い安いを検討するのは
もっと先のことだと思っていた議会に、今日、養鶏場とは仮契約を結んでいる(6/14)ので
その不動産鑑定の半額の2億某を補正予算としたいと議案が急に出され、この議案に関する質疑が行われた

この議案について質疑を行ったのは、
山口市議、柴田市議、澤田市議、浅尾市議、鈴木市議、小野田市議、山田市議の7人
ところが、この質疑の内容が傍聴者には手元に資料がないし、法律的な解釈のやり取りが多くて
なかなかわかりにくい
市議会議員でも自らの職業体験でこの手のことに詳しい人はいいが、そうでない議員さんは
質疑をするためには一から勉強し、調べ物し、頭を整理して質疑に臨まなければならない
ところが今回はその時間が全然なかった
急に補正予算の議案が出され、急に質疑を行うことになったのだ
質疑の作戦を立てるとか、市からの分厚い資料を読み解くために寝ずに頑張った市議もいたようだ
しかし、質疑の場が戦いの場であるとすれば、今回の勝負は行政の方に分があったかもしれない
職員の方で議員に対して「もっと勉強しておいてください」と「そこまで言うか!」
と感じさせるような答弁をされた方がいた
討論の場になれば現実的には情報量の差、日々携わっている経験量で議員さんは職員にはかなわないのが多分現実だ
だが、市議会議員には何か普通でないことに対する違和感・直感・常識だったり、
市民はこう考えるだろうなとの想像力がある
それは専門バカにはない視点と役割だ
つまり職員に対し専門性で劣ったとしても、自ら信じる人間性による判断をベースにするなら
一概に馬鹿にされるものではないということ

急いでいる、急いでいないの判断
行政は特に急いではいない、、と当然口にする
しかし、こうした状況、不動産鑑定士の発注日、回答日、急な補正予算の提出と
議員に考える暇を与えないような質疑の実施は、やはり外から見てると妙に急いでいると
感じさせるものだ

ところで、質疑の何人かの議員さんも口にしたが、彼らは別に買い取りに反対をしているのではなくて
これだけの金額を議決することになるのだから、もう少し精査・検討する時間があったほうがいい
といった、ごく真っ当なことを言ってるに過ぎない

ところで、市のこの分野の担当の方は、例の新庁舎用地外の移転保証費返還裁判の案件でも
中心になって動いた人物で、もっくる新城でもみっともないミスをした人物

新城市は裁判の合意の中に、「今後、疑念を持たれないように適正に処理すべく一層務めるとする」
と注文をつけられているのだから、もう少し丁寧なステップで進めるべきだと思うのだけれど










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