情けないと言うか、順当な結果と思われたワールドカップアジア最終予選のオマーン戦
(0−1で敗戦)
次の試合の中国戦はリアルタイムではなくDAZNの録画で見た
まずは勝点3を取れた(1−0で勝利)ことで一安心といったところだが
一番印象に残ったのは、日本のことより中国の戦い方だった
中国は5バックで守っていた
点を取られなければ負けはない
守りを多くすればパチンコの釘みたいなもので誰かに当たって
ゴールに入る可能性は少ない
シュートは左右の真ん中辺りから撃たれるのがゴールの確率が高いが
そこを抑えれば(人数で)なんとか失点は免れる
戦い方はいろんな方法がある
良し悪しは、結果でしか判定されないが、見て思い出したのが
南アフリカのワールドカップの日本の戦い方だ
それは、今回の中国と似たものを感じさせる
ベスト16まで勝ち残ったあのときの日本は、PK戦で負けて先に行けなかったが
時間内に勝つ可能性はとても低いもののように記憶している
それは重心がとても後ろにあって、いざ攻撃となってもゴールまでの距離が大きくて、
更に人数もかけられず、カウンター戦術というものの得点の可能性は低かった
この状況にイライラを感じていたのは本田を始めとする選手たちで
その後の日本の戦い方は相手のゴールの近くで試合を進める方法にチェンジした
それは当時主流になりつつあったバルセロナの戦い方を手本とした
一時期のバルセロナはアーセナルのヴェンゲル監督が「テレビゲームみたい」
と称した戦いっぷりで、メッシ、シャビ、イニエスタ、アウベス等が
相手陣内に入り込みボールと時間を支配し勝ちを狙うものだった
例えばボールを失うことがあっても、直ぐに近くの選手がプレスをかけて
2.3本のパスが繋がらないようしていた
チームプレート言っても結局は選手の能力に依存すると実感するのが
バルセロナも人が抜けていって、選手が交代すると、その戦術は完成度の高いままで
実現できなくなった
それに相手チームの進化も激しく、バルセロナに対する戦い方も現実的な対処が
徐々にできるようになった
にもかかわらず、理想を求めたのが日本のブラジル大会で、重心が後ろにありすぎた戦い方を
先進のポゼッションで行おうとしたのだが、既にポゼッションサッカーに慣れている選手の多い
強豪国の選手たちは日本のレベルのポゼッションには戸惑いを覚えることはなかった
試合はいつも何が不足しているかに気づく機会となる
パスのスピード、パスの正確さ、シュート技術、攻めから守りの速さ
そうしたものが、ブラジル大会では不足を感じた
現在の中国の選手たちは、後ろに重心のある戦い方では勝てない
と感じているに違いない
それで次には多少のリスクを覚えても重心を前目に持っていく方法を
取るかもしれないと想像する
サッカー戦術はある意味、試行錯誤の繰り返しだ
実感を踏まえた対処法を常に進化させる
そしてそれが当たり前のように選手個人に蓄積される
確かに最近のサッカーは戦術的な意味合いも馬鹿にできない
そして守りの部分では富安、遠藤の進歩によりある程度上手く行っている
だが点を取るという課題に対してはどうなのだろう
日本には先日のACLでハットトリックでチームを助けた名古屋グランパスのシルヴィツォク
のようなゴリゴリのストライカーがいない
いいボールが来るのを待ってシュートではなく、自らもシュートに持っていき
正確なシュートコースを実現できるストライカーがいない
いつもそこで感じるのは日本という国の持つ雰囲気で
日本では突出したストライカーは(そういう人は変わり者が多いが)
生まれにくいのだろうかと思えて仕方ない
日本の海外で出て活躍している選手は圧倒的にMFが多い
韓国はソン・フンミンというストライカーが目覚ましい活躍をしているが
それは何故なのだろうか、、といつも思う