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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

チューリッヒトーンハレ管弦楽団の音、ギドン・クレーメルの音

2014年04月13日 08時28分42秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)
昨日、名古屋の芸術劇場コンサートホールに知人から招待状のチケットを頂いて
出かけた


プログラムはベートヴェンのヴァイオリン協奏曲とブラームスの交響曲1番

オーケストラの独自の音はあるのだろうか
イメージ的にはドレスデンとかゲヴァントハウスは低音が効く重心の低い音色
しかし、それでいて柔らかくふくよかにブレンドされた感じ
同じドイツでもバイエルンはもう少し明るい音色で反応が速いような印象
ベルリン・フィルはイマイチよくわからない
ウィーンフィルはピッチのせいもあるかも知れないが
どこか絹の光沢のような艶っぽいイメージがある
オランダのコンセルトヘボウは中音が充実したサウンド
ロシアのオーケストラは金管が生々しく響く豪快な音色
フランスはドイツと比較すると重心が高めにあって
明るい色彩的な感じ

と、いろいろ想像してみたが昨日のチューリッヒトーンハレ管弦楽団の音は
果たしてどうだったのか?
オーケストラの音はそのオーケストラ固有の音なのか
指揮者の導き出す音なのか要素がたくさんあってわかりにくいが
昨日聞いた感じから判断すれば指揮者の求める音のウエイトが高かったかもしれない

名前にチューリッヒとあるのだろうから本拠地はチューリッヒ
解説を読むと設立は1868年
歴史は十分すぎるほど 客演指揮者も大御所が訪れている(フルトヴェングラー、ワルター、クレンペラー)
ところが、音色はイメージしたものとは違った
(CDで聴いた音色とは同じだったが)
つまり、ヨーロッパの歴史を重ねたどこか余裕のある音色というより
現代を表すような賑やかな印象だった
ここで考えたのが指揮者のデヴィッド・ジンマンがアメリカ生まれ
ということに起因するのかもしれないということ
なるほどニューヨークの町を想像させるような、映画音楽のような音色だった

音色の話はここまでとして
演奏会の印象と感じたことなど

最初はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲
実はソリストが誰かを知らずに聴いた
曲の最初からハプニング発生(?)
第一ヴァイオリンの奏者が途中で退席
体調のせいか弦が切れたせいか
ソリストは自分の出番前に何故か第一ヴァイオリンのパート(?)を弾いていた
ずっとというわけでなく、どういう基準で参加したのかちょっと素人にはわからない
やがて待望のソリスと登場の場面になって期待を持って耳を澄ますと
あれっ!
まず感じたのがこの事
音の線が細い、音量も小さい、神経質そう
高い音になると神経質さはより際立って
なにかそこが気になってどうも音楽に浸りきることができなかった
一体このソリストは誰なんだ?
終わったらプログラムを確認しなきゃ
そんなことを思いながら聴いていた
ヴァイオリンのソリストは気に入らなかったが
ファゴットの演奏は気持ちよかった
演奏がいいのかそのパートの音楽がいいのか分からないが

集中できずにいたがやがて一楽章も終わり部分 
ソリストの名人芸を披露するカデンツの部分になると
これがびっくり、ベートーヴェンのつくった音楽の変奏というよりは
現代人の感覚のアレンジされた音楽、音色もフレーズも
もっと驚いたのはオーケストラパートもすっかり新しい今まで聞いたことのない
部分が大量に挿入されていた
ところが、この部分  いつも定番の音楽じゃつまらない
と言う気持ちは分からないでもないが、自分は今ひとつの判断
まずは気分の統一感が全然ない
いきなり関係ない気分で太鼓を叩かれても
どうもなあ、、
と言ったところ

不満のまま第2楽章へ
これは良かった
冒頭部分、急に昨年行ったウィーンのハイリゲンシュタットの
エロイカガッセのあたりの風景が頭に浮かんで
やっと集中して聴けるようになった
ヴァイオリンの高音域の使用が少ないのか余裕のある音色

ウィーンのハイリゲンシュタットの小径



だが第3楽章になると、またあの現代的な音が復活
明らかに前後関係をぶった切られるような異色な音楽
はたしてそれを良としないのは凝り固まった頭から来ているのか
どうかは分からないが、フト考えたのが
生の演奏会の神秘的な瞬間、みんなが陶酔している瞬間を
この演奏者は認めたくないのではないかとおもったりした

音楽における神秘的な瞬間
それは職人芸から生み出されるものだろうが
そうした一種の慣れ合いのような定番の感情に浸るのは
このソリストは認められないとでも考えたのではないか
(あくまでも勝手な思い込みだが)

結局、一曲を通しては集中できたとは言いがたい
終わった後で演奏者の名前を見ると
なんと、ギドン・クレーメル

そうか、クレーメルか
それで納得

あの神経質そうな音色も
現代音楽っぽい志向性も
クレーメルならやりかねないな

しかし、あの音楽を聞いている瞬間が
幸福だったかどうかは別問題
楽しいだけが音楽の本質ではないとしても
ちょっとついて行けない感じがしたのは事実

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はラ・フォル・ジュルネで聴いた
デュメイの演奏が良かった
それは音楽に浸りきることができた
第2楽章の忘我となる瞬間、第3楽章の短調になるフレーズの美しさ
いまでもなんとなく覚えている

今回の演奏は変わった演奏だった
ということ以外覚えているシーンが有るかどうかは
大いに疑問

さて演奏はブラームスの一番のシンフォニー
個々で感じたのが冒頭のオーケストラの音色のこと
ドイツ語圏のオケなんだが、なんか熟成が足りない
まだあちこち収まりが悪い若いワインのような音色

前回芸術劇場のコンサートホールで聴いた
ゲルギエフとマリインスキー歌劇場管弦楽団の音は
本当にふくよかで柔らかく、あれは本当に良かったんだと
今回の演奏と比較して再認識

普通音楽はフォルテになると盛り上がるが
今回の演奏は映画音楽的な盛り上がり
音の連なり上の盛り上がりはあるかも知れないが
心理的な盛り上がりとその必然性はあまり感じられなかったかもしれない

アンコールはハンガリー舞曲の一番
いいアンコールピースだったが、どうしてもフルトヴェングラーの
先へ先へを煽り立て、みんなが面白がってついて行くベルリン・フィルの怪演を
思い出してしまった
(この演奏は一回聴いて見る価値は絶対にあると思う)
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宗次ホール(リスト編曲のベートーヴェン第5交響曲他)

2013年10月06日 21時14分56秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)
キッカケは中日新聞夕刊
11月のこの地区のコンサート情報
その中に宗次ホールの今回聴きに行ったものが紹介されていた
と言っても中日新聞の記事では記憶に残っているのは
ベートーヴェンの5番の交響曲をリスト編曲のピアノで行う
ということだけ

なにか面白そう!
最近コンサートに行っていないから久しぶりに出かけようか
と急遽チケットを予約した



宗次ホールでは最初あえてプログラムをもらわなかった
プログラムを知らないほうが新鮮に聴けそうな気がしたから

それは見事に的中
最初の曲は知らない曲だった
でも何か日本のメロディーっぽい
2楽章になるとフーガみたいな、ショスタコーヴィッチみたいなテイスト
やっぱり日本人のつくった曲かな?
そんなことを思いながら聴いていた

後でプログラムをもらおうっと
聞きながらずっとそんなことばかり考えていた

二曲目は聴いたことのあるような曲
靄がかかったみたいなこの感じはシューマンかな
やっぱりプログラムで確認しよう

その後はこの出だし、音の使い方、リストに違いない

それからショパンの英雄ポロネーズに
シューマンの靄のかかった音色と比べると
なんと音が前に出るというか響きやすい音楽だろう
ピアノの特性はショパンのほうが十分発揮してる感じ

ということで休憩時に手にしたプログラムは以下のもの


後半、お待ちかねベートーヴェンの5番
CDではリスト編曲のピアノ番の3番と6番をカツァリスで持っているが
聴いてる最中にオーケストラの音が聞こえる(連想して)
さて実演はどうか?

この曲はあの有名な動機・テーマを元に
統一的な構成になっているとか徹底的に展開し尽くしているとか
言われるけれど、聴いている方とすれば感情の爆発のような印象を
拭い切れない

音というより音響
ゲーテが何か文句言ったのもうなずける
音色がどうのこうの言う前に感情が前に前にでてくる

ベートーヴェンの作品では正直なところ5番より
3番のほうが完成度は高いのではと思ったりする

2楽章の途中、不意に第9の3楽章の変奏部分を思い出した
そして終楽章も最後のところでやはり第9のコーダの部分を連想した
やっぱり第9までつながっているということか

やはり実際にコンサート会場まで行って聴くと
いろんなことを感じるものだとつくづく思う

生きていくのに必要不可欠ではないかもしれないが
無いとつまらない世界となってしまう音楽とか絵画(いわゆる芸術)

宗次ホールのフレンド会員に登録したから
いいのがあったらもう少し聴くことにしようかな
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今年のラ・フォル・ジュルネ(フォーレのレクイエム・サン=サーンスの3番)

2013年05月06日 19時22分19秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

二日目の4日は、以前にも聴いたことのあるメンバーによるフォーレのレクイエム

前回は「楽園へ」のところで気がついたら涙がにじみ出ていた
そしていつまでも続いて欲しい、曲が終わるのが残念で仕方なかった

そして期待を込めた今回は最初に、
聞いたことのない作曲家デュリュフレによる無伴奏のグレゴリア聖歌による4つのモテット

音楽が始まると合唱(多分女性の声)の精妙さにビックリした
「ヨーロッパの音」この言葉が最初に浮かんだ
まだ大人になりきっていない世代の人間が出すことができる声を
既に沢山の経験をして、いいことも悪いことも知っている大人が
あのような澄んだ純粋な音を出すことに感動した
そこにはどれだけの才能と訓練があったことだろう

耳慣らしの10分ほどが過ぎてメインのフォーレ
このレクイエムは今回で3回目
最初はこの地で、2回目は名古屋でスウェーデン放送合唱団によるもの
いずれも静かな感動を得たが、それは今回も同じだった

そしてまたもや「楽園へ」になると
感動のあまりではなく、知らないうちに両目から熱いものが
にじみ出ていた

だが残念なことに余韻に浸っている時間はなかった
次に控えているのはメシアンの「アーメンの幻影」
会場の移動まであまり時間がない
それで拍手もほどほどに会場を後にした
本当はもう少し幸せな時間を満喫したかったな

最後に聞いたのはオーケストラ曲の「魔法使いの弟子」とサン=サーンスの「交響曲第3番 オルガン付き」

実はこのプログラムの前、屋台村で昼食とビールを口にしたもんだから
ちゃんと聴いていられるか?
と心配だったが、予想はぴったし、至極幸せな夢の中を味わうことになった
音楽は聴いているような遠くで響いているような、、
これも音楽の楽しみ方の一つかな
と思うことにして、今年のラ・フォル・ジュルネは全て終了

それにしても、今回のハイライトはやっぱり
「児玉麻里・桃 メシアンのアーメンの幻影」
とにかく音が詰まっている
技巧だけでない何かが、自分たちの時代の感じる気分を反映する音楽
多分二度と生では聴くことのない曲
この演奏会だけでも今年東京に来た甲斐があった

※このアーメンの幻影については先日のブログにアップ済み

 

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今年のラ・フォル・ジュルネ(フランクのソナタ・ドビッシーのオーケストラ曲・仲道郁代)

2013年05月05日 16時56分01秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

昼ごはんを屋台村で軽く済ませて臨んだのが、よみうりホールでの竹澤恭子のヴァイオリンの演奏

演奏者ではなく曲でこのプログラムを選んだ
お目当てはフランクのソナタ

この瞑想的な音楽、美しいというのとはどこか違うけど
とても心に染み入る
以前のラ・フォル・ジュルネでデュメイで聴いたときも
名古屋でチョン・キョンファで聴いた時もとても良かった
特に3楽章のほんと夢見心地になる瞬間
生演奏のエッセンスはフォルテシモの盛り上がりではなく
ピアニシモの集中にあるのではないかと思ったりする

演奏はサン=サーンスのハバネラから
あれっ、少し違和感を感じたのがピアノの音
音が小さいというかスケール感、大きさがない
気のせいかと思いつつ聴いても最初の印象が気になって
どうも楽しむことは出来ず1曲が済んでしまった

2曲めの「死の舞踏」
これは良かった
竹澤恭子のまるで舞踏するかのように体を大きく動かして
ピアノも先程よりずっと曲に共感しているようで
盛り上がりもあってやっと調子が出てきた感じ
隣の席で「竹澤恭子、凄い!」
という声が聞こえた
さてフランク、集中して耳をすませた
最初のヴァイオリンの入り方、メロディーをフワッフワッと奏でる
なるほどこの人はそうなんだと納得

音楽というのは楽譜があってもそこに音があるわけではない
必ず演奏者の介在が必要となり
その音楽の内容・意味合い・良し悪しは演奏者に左右される
だからこの人の演奏がこうなんだと思ったわけだが

音楽は気持ちが盛り上がるとフォルテになったり
テンポが早くなりがちになると思うけれど
この演奏はピアノが自らを盛り上げようとフォルテしているように
感じられて仕方なかった
期待した3楽章のあの瞬間はまずまず、もっとうまく出来るのでは
と思わないでもなかったが
でも4楽章になっての音色の変化はそれなりで
全体としてはこんなもんかな!
という感じ

夕方、国際フォーラムで行われたオーケストラ曲のプログラムが2つ目

少しばかり通俗的な組み合わせで期待薄だったが
それに反してこれは良かった
サティーのジムノペディは頻繁に耳にするような印象があって
軽音楽の部類かなと思っていたが
いざオーケストラで聴くと非常に繊細な音楽なんだと印象を新たにした
そして繊細だけに、音楽を展開するといった方向に進まなかったのは
理解できると自分勝手に納得したりした

ドビッシーの牧神の午後と海
確かにドイツ・オーストリアとは異なる語法で
音楽が進んでいく
そして自分たちの国の音楽という体に沁み込んだ
演奏ぶりで音色も豊か
管楽器が活躍するがけっしてロシア音楽のように裸で響くわけじゃない
ちょっと洗練されたところがある

どんな人にもその人らしいメロディーとか和音、リズムがあるけれど
海のドビッシーも全曲を統一するためかどうかは知らないが
時折、特長あるメロディーが流れる
ただ、こうして響き中心に音楽を展開していったドビッシーが
最後に前後関係、展開に形式的なソナタを書こうとしたのは何となく分かる気がする

ところで海の最初の楽章
夜の海だったかと解説にあるのを読んだことがあるが
確かにこの演奏会はそんな感じがした

それにしても、このオーケストラは自国の音楽には素晴らしい演奏をするようだ
指揮者も日本人やドイツ人がするのとは違う音を出していた(ような気がする)

この日最後は仲道郁代のピアノ独奏
ドビッシーを中心に三善晃・武満徹も混ぜて不思議なプログラム
同じよみうりホールでも最初のフランクの時のピアノとは大分違う音がする
柔らかいまろやかな音色
月の光・アラベスクなどドビッシーがドビッシーでない時の
メロディアスな曲の演奏は芳醇なワインのようだった

三善晃は刺激的な音楽
だが、この曲を聞きながら考えたことといえば
作曲者はこの曲が演奏されることをどのくらい想像したか
ということ
楽譜はあっても演奏されない
そんなことがずっとありはしなかったか
余計なお世話だが、現代作曲家の不幸を想像してしまった
武満徹はやっぱり彼独自の音世界がある
でも、自分は無条件に好きというわけでもないかな

いろいろ聴いた中で面白かったのが
喜びの島
ドビッシーの熱心な聴き手ではないのでこの曲は知らなかったが
何となくスクリャービンをも思わせるような気がして
なるほど、こうして音楽は引き継いでいくのか
と思ったりした

ということで、音楽素人の勝手な思い込みによる感想を3つ
果たしてこれらに一般性はあるのか
どうなんでしょうね?


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今年のラ・フォル・ジュルネ(アーメンの幻影の印象など)

2013年05月05日 09時05分22秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

ショパン・ロシア音楽などチケットが取れないこともあって
少し遠ざかっていたラ・フォル・ジュルネ
今年は久々に気合が入ってチケットも予約抽選で
5月3日・4日の二日間 計6回のコンサートのチケットを手にすることができた

そして今日5日 時間が開いて記憶が曖昧にならないうちに
その印象などを残すことにする

圧倒的に印象に残ったのが、昨日の

この児玉麻里・桃の姉妹によるメシアンの「アーメンの幻影」

最初の数秒で、ピアノってこんなに豊かな音がするんだとビックリ
そしてある意味メシアンの彼らしいパターン化した音楽が
とうとうと流れていったが、音響の中に頭がしびれていってしまって
なにか不思議な感覚
現代音楽ということもあって、何かよくわからない部分もある
しかし、ヴェーベルンほどじゃない
頭で聴くのじゃなくて音響に身を任せると
何となく何か訴えるものがある

そして音楽はしっかり詰まっている
そんな印象を持つ
音楽はメロディー的に美味しい部分は皆無
この曲はメシアン得意の小鳥の歌の部分も少なく
複雑な和音の連打・連続 
そしてプロから見ればやはり複雑なリズム

実は先日予習の意味でこの曲のCDを聴いておいた
だがスピーカーを前にしての聴き方は集中が続かない
何となく嫌いじゃない!とは思っても聴きこむ程には至らなかった

ところがさすがに生は違う
この聴き手にも集中を要する曲も一気に楽しく聞くことが出来た
それは姉妹の息のあった演奏によるものか
それとも単に生の演奏というものによるものかは分からないが
とにかく、ドイツ・オーストリア音楽の語法とは違う響きを主体とした音楽を
ドビッシー以上に楽しめたことは事実だ

こうしためったに聴けない曲を聴けるのもこのラ・フォル・ジュルネの楽しみの一つ
第1回目のベートーヴェンではミサ・ソレムニス
モーツァルトの回ではレクイエムの自筆の部分だけの演奏
それらは貴重な体験で今後再度聴ける機械があるかどうか分からない
そして今回のメシアンの「アーメンの幻影」もその一つ
そもそもメシアンは「世の終わりのための四重奏曲」「トゥーランガリラ交響曲」
くらいがプログラムに登る確率があるだけで
ホントに今回は貴重な体験だ

それにしてもメシアン
よくわからないが好きだな!
心が受け入れているせいで
前後関係を考えながらと言うよりは
響きの中に身を委ねているだけで気持ち良い

このよくわからないが心が受け入れるのが絵画の分野ではミロ
ほとんど落書きみたいな絵でもすごく優しくて、純粋で
子どもみたいで幸せな気分にしてくれる
ミロの話はここまでにして、メシアンのこのピアノ楽曲を聴いたせいで
今度は「鳥のカタログ」聴いてみたいと思ったのだけれど
その演奏会があったとしても東京だろうな、田舎には絶対無いだろうな

ところで、この児玉麻里・桃のメシアンの「アーメンの幻影」は
1回だけのプログラムだろうか
だとしたらホントラッキーだった

 

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ドビッシー生誕150周年コンサート

2012年12月23日 11時28分07秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

宗次ホールで聴くのは今回で3回目
アリーナ・イブラギモヴァのバッハ無伴奏パルティータ
篠原悠那のリサイタル に次いで
今回は生誕150周年を迎えたドビッシー
その作品演奏と解説を青柳いづみこさんの話を
混じえて聴くコンサート

演奏曲目はおおよそ作曲順に沿ったもの
あまり凝ったものにならずになっていた

このホールは馬鹿でかくなくて良い
室内楽にはもってこいだ


名古屋には以前スタジオ・ルンデというのがあって
そこも適度な広さで室内楽のコンサートが行われていたが
残念ながらそれを知ったのは活動中止になる直前
知り合いから譲っていただいた児玉麻里のベートーヴェンの
ピアノソナタの全曲演奏の中の一日
とにかく広くない演奏会場は感情の変化などがダイレクトに
見て取れて興味深い

ところでドビッシー
最初のアラベスクとか月の光あたりまでは
おそらく誰にでも美しいと思われるような曲調
でも、ドビッシーじゃない(微妙な響きとリズムの)
青柳いづみこ氏も話されていたが、後期のドビッシーに対する
批判 メロディーがないというのは
実はドビッシーはメロディーをかけなかったのではなく
書かなかったというのがうなずける
これはブルックナーのピアノ曲を聴いた時にも感じた印象と同じ
ブルックナーも美味しいメロディーを書けなかったわけではなく
自分の表現したい音を追求したら、彼にしか、
もしくは何度も聴かないと理解しづらい音楽になったことと
全く一緒だ

ドビッシーはドビッシーになった
ゴッホがゴッホになったように自分の感性を信じて
唯一無比の存在になった

しかし、根を詰めて聴くのはなかなかしんどい
感情移入しにくい面もあるためか
こうして聞いていくとフランス音楽の傾向
ラベル、メシアンなどはドビッシーに影響を受けているのがよく分かる

さて演奏は?
ピアノの方は良かった
ヴァイオリンは、、、

会場では年末から来春のコンサート案内のチラシが配られていたが
来年はこうして生の演奏を聴く機会を増やしていこう

 

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スカイフォール

2012年12月02日 20時20分09秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

前作は何となく行きそびれてしまった007
今回は公開二日目の鑑賞となったが
今日は、いつもなら気になる火薬の大量消費も
車の破壊も、そして悪役側の助っ人が簡単に殺されていく事に、
それ程抵抗感を感じられずに、単なるエンタメとして見られた

確かに、良い出来の作品
ショーンコネリーの時ほどの余裕・ユーモアはないけれど
スポード感に満ちて、多少ご都合主義のところはあっても
荒っぽいストーリー展開ではなくて、ちゃんと起承転結があって
それもなかなか現実味のある社会的背景
50周年の映画としての事実と
それに合わせてMと本人の時代との関係が(時代遅れの引退間近の存在?)
サブのストーリーとして展開していく

スカイフォールがどんな意味なのかは映画の後半の部分で
分かることになるが、
その前のアストンマーチンででかけて一休みする
スコットランドの曇った寒そうな風景
ここは良かったな!
スコットランド・コーンウォールなどは一度行ってみたい気がする
こういう風景を見ると007ではなくてフリーマントルの
チャーリー・マフィンのシリーズなんかはピッタリきそうな雰囲気だ
そこでは淡々と神経戦の戦いが続き、派手なシーンは無さそうだが
面白そうかな!とフト頭によぎってしまった

詳しい内容は、これから見る人のために伏せるけれど
チケット購入分の元は取れる作品
007役のダニエル・クレイグ だんだん様になってきていて
アメリカの派手さはないけど格好いい

この人映画館からの帰りで12月中旬に上映される
「ドリームハウス」(だったかな?)にも出るようだけど
なんか他の役ではどんなんか少し興味あるな

それにしても、あのアストンマーチンが出てきた時は
ロッキーのテーマが流れて盛り上がるシーンを彷彿とさせて
なんか、ワクワクした

 

 

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ゲルギエフとマリインスキー歌劇場管弦楽団(その2)

2012年11月15日 19時10分54秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

11月13日の急に思い立って求めたチケットは
名古屋芸術劇場大ホールの2階P席

P席は指揮者の背中を見る、つまりオーケストラを前にして
聴く席ではなくて、識者の顔を見ることになる席
指揮ぶりを見るのは興味深いけれど
普段聴いている右側に低弦が並ぶ配置だと
音の出処が反対になるので少しストレスが溜まる

この指揮者を見る席は昔チェリビダッケの時がそうだった
のっしのっしと歩くチェリビダッケはその姿だけで充分音楽的で
何故だか演奏自体よりも覚えている
(確かプログラムはハイドンのシンフォニーとチャイコフスキーの悲愴)
その時何か落ち着かなかったのはオケの音の出口が反対だったせいで
できる事ならこちら側の席は避けようと思ったのだったが、、、
お金のこともあり、今回はまあ仕方ないかな!
と思うことにした

演奏が始まると予想に反して案外違和感がない
そこでオーケストラの配置を見ると
指揮者から向かって左側に低弦
と言うことは結果的に普段自分が聴く時と同じ配置
それでストレスなく聴けたのか?

このオーケストラはロシア風の金管の生々しいフォルテが
特徴の音と言うよりは、もう少し上質なバランスのいい音
しかもさすが歌劇場のオーケストラだけあって
感情的な旋律線への共感はしなやかに素早い(様に思われた)

プログラムの最初のリャードフ キキモラは初めて聴く曲
ゲルギエフの腕が柔らかに動き始めると静かな柔らかい音が
これはいけるかも!
この手の響きは好きなタイプ
そう思って集中、途中チャイコフスキーの1番のロシア民謡風な
メロディーついでヤナーチェクの音形みたいなもの
それから禿山の一夜みたいな音が続いて
どうなるのか?と言う展開よりは響きに身を委ねて
まずはイントロは上々

ついでシベリウスのヴァイオリン協奏曲
寒々とした始まりは北欧風
ヴァイオリンの音も曲にマッチした音色
長髪のキリスト顔の奏者の奏でる音は
奏者の個性が表に出ると言うよりは
ひたすら純粋な音の感じだった
相変わらず感情的な旋律線への反応はいいみたい
3楽章は盛り上がった

ところでゲルギエフは指揮棒を持たずにと思ったが
爪楊枝位なものを用いて指揮していた
それが見えたり見えなかったり
一体どうやって持っているのか?
少し気になったのは事実

アンコールのバッハは良かった
お酒を飲んで出来上がったような聴衆も
曲が終わってから直ぐに拍手することもなく
余韻を味わってから拍手し始めて
それがとても自然で何故かホッとした

さてメインのショスタコーヴィッチ
つかつかと出てきて一礼すると反転
直ぐにあの出だし
その一連の流れはそうあるべき姿の様に感じられた
途中、雪が深々と積もるような、行進のようなところは
案外こうしたイメージを喚起させる文学的表現と言うよりは
伴奏音形として交響的に処理
妙な感傷性はなかった

この曲は1から4楽章まで出来不出来がない
どの楽章も結構楽しめる
2楽章の打楽器も好きだな

3楽章は自分的にはマーラーの5番のアダージェットを彷彿とさせるようで
もしかしたらこちらのほうが好きかも
フルート独奏の時の静けさ、闇、そしてそれらを支える弦のトレモロ
聞き手の集中力も身を乗り出して参加するかのよう
それまでロシアのオーケストラと言うよりは上品な西欧風の音楽だったのが
4楽章が始まるやいなや、その本性を発揮し始めた
フォルテの開放感、高揚感そしいてショスタコーヴィッチ独特のリズム
それでいて金管は生々し過ぎない
いやはや、これは良かった
終わった時にゲルギエフがまた来たら聞きに行こうかな
と思ったのだから、満足ということ

しかし、自分は結果的に普段と同じ位置関係の配置で聞けたのだけれど
普通の席で聞いた人は一体どんな響きがしたのだろうか?
そんなに差はないのか?
それとも個性的な響きになっていたのだろうか?
たしかに実際の演奏では音程・音色・音量だけでなく
その音の出処も大事なポイントかもしれない
聞き慣れた音楽が配置を変えただけで新鮮に聞こえたり
(聞こえなかったり?)

料金の高い安いで物事を決めたくはないけれど
最近支払ったオーケストラの中では高い部類
しかし、この上質な響きは、
上質なお酒を飲んだ時の「やすい酒とは違う!」
といった印象に通じるものがあった

ということで、後々印象として数年後まで
残っているかどうかはわからないけれど
まずまずのコンサート体験ということかな

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素晴らしかったゲルギエフとマリインスキー歌劇場管弦楽団

2012年11月13日 22時09分58秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

リャードフ:キキモラ
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品47(ソリスト:レオニダス・カヴァコス)
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

これが久しぶりのコンサートのプログラム。指揮はゲルギエフ。オケはマリインスキー歌劇場管弦楽団

席がいつもと反対側、指揮者の顔が見える側だったので、響きに慣れる事が出来るか心配だったが、オケの配置が低弦が左側で結果的にいつもと同じ様に聞こえた。

弱音からスタートした最初の曲、ゲルギエフの指揮にピッタリ沿って反応が練習の成果と言うより歌劇場のノリの良さを感じさせる。途中チャイコフスキーの1番みたいだったりヤナーチェク風だったり禿山の一夜風だったり、結構楽しい曲だった。

シベリウスの協奏曲はソリストの音の綺麗な事。神経質にならず、ジョンレノン風の容貌がアーチストぽい。
この曲も歌劇場のノリの良さが効果的に思われた。しかしこのオケの音はロシアの大音量の荒っぽい感じではなくて、抑制されたバランスの良い音響。
三楽章は良かった。
アンコールのバッハの無伴奏バイオリンソナタも出来上がった聴衆には最高のブレゼントだった。

休憩を挟んでショスタコーヴィチ。
これはシンフォニックな演奏。ロシアと言うよりドイツ風?
しかし最後の楽章は一気にロシアのパワー全開と言ったところ。
ゲルギエフはアーチストと言うより職人風で妙な気取りも無く好ましく感じられた。

忘れないうちに、帰りの電車の中で投稿。

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宗次ホールでの篠原悠那 ヴァイオリンコンサート

2012年02月12日 19時24分30秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

交通費を別にすれば映画と大差ない料金の2000円
時間もほぼ同じ1時間半くらい
演奏者には失礼かもしれないが
ほんの思いつきで名古屋宗次ホールの
篠原悠那ヴァイオリンコンサートに出かけた

宗次ホールは2回目
前回はアリーナ・イブラギモヴァのバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ
そこでこんなホールがあるのを知った
小じんまりしていて、演奏者都の距離が近くて室内楽にはふさわしいし
価格もやたら高くなくて気楽に来れそう

それでネットで調べて暇つぶしに出かけた
というわけだ

この女性の経歴・実力の程は全然知識がない
でもそんな事お構いなしに楽しめればいいや!
と臨んだ

プログラムは上記の通り

最初の音からして若々しいし伸び伸びしてる
あとで演奏者の解説を読むと1993年生まれ
若いはずだ

バッハは若さに任せて勢いで弾ききっている感じ
ついつい前回のアリーナ・イブラギモヴァと比べてしまう

そうするとアリーナ・イブラギモヴァの演奏は真正面から
思い切り懐に飛び込んでの演奏と言う感じ
篠原悠那のそれはまだ楽譜をなぞっている様子
それが悪いわけではないけれども共感という部分が欠けているかも
と思わないでもない
同じ事は次のブラームスでも言えるような気がした

前半の薄いブルーのドレスから
真紅のドレスに着替えて後半のプログラムは
チョット気合の入ったものになった

イザイの無伴奏ソナタ・ヴィエニャフスキの変奏曲
こうした演奏者に近い世代の音楽のほうが気持ちの上で
フィットするのか共感できる部分が多いように見える
バッハもブラームスも心の底から共感するには
もう少し時間は必要かも
もっとも若いバッハやブラームスが悪いわけではない
その時しかできない演奏もあるだろうから

イザイもヴィエニャフスキもバッハやブラームスより楽しめたのは
もしかしたらバロックよりシェーンベルクのほうが
今は心にフィットするかもしれない
などとフト思ったりした

サラサーテのカルメン幻想曲は派手っぽいけど
少々絵画的、外面的で 自分としては前の2曲のほうが好きだな

ということで、前半はチョット眠かったけど
後半はしっかり楽しめた
この価格なら名古屋まで来るのは面倒だけれど
もう少し頻繁に来てもいいかもしれない

さてこの篠原悠那さんはこれからどんな演奏家になるのだろう
まったく、高校生がこんなに弾けるなんて驚きだった

コメント
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