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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

エレーヌ・グリモー ピアノリサイタル

2016年05月14日 18時34分08秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

きれいな人だな

別に言い訳する必要はないのだけれど
今日名古屋芸術劇場コンサートホールに
出かけたのはエレーヌ・グリモーが美人だからではない
この人の指向性が面白いと思っていたから
機会があったら聴きたいと思っていた

指向性?なにそれ!
フランス人なのにフランス音楽でなくドイツ・オーストリー音楽に
共感を感じていること、それにオオカミと暮らしているという
ちょっと変人ぶりは興味をそそる
それにYoutubeでみると音楽に陶酔している姿が半端地じゃない
ということで、自分に言い訳して、お顔が見えない席で聴いた

でもリサイタル終演後にサイン会があってCD購入者と握手できるんだったら
間違いなくCDを購入していただろうな
どうも自分は国はドイツが好きなんだが女性はフランス人が好きみたい
ジュリエット・ビノシュもなんか好きだし、、、

プログラムはかなり変わったもの

最近発売のCDをメインとしているらしいが、演奏の曲順は変わっているとのお知らせがあった
曲順が変わっても変わらなくても、この中の曲は殆ど知らない
僅かにドビッシーの「沈める寺」を知っているくらい
(知らない曲ばかりでチケットを買ってしまうとは、やっぱり美人の力か)

入口で配られた曲の説明のパンフもあまり真剣に読まず
演奏を聞いて感じることを大事にしたい

前半の部
ベリオは現代の作曲家と記憶していたが
最初の2つの音は現代音楽というより、あれっ!と思うほど素直で聴きやすい
が、それでも時間が経つとやっぱり複雑な感情のこの時代の音楽を感じさせる
(おおらかな旋律もあったが)
曲を知らないので、続く楽章があるのかないのかわからない

休みがあるかなしで違う曲が始まった
低音の使い方が、日本っぽいと言う感じがしたから武満?
なにか船に揺れてる感じだから舟歌っぽい(フォーレ)
キラキラ水面を感じさせる曲だ(ラベル)
そういえば、グリモーさんのアルバムは「水」をコンセプトにしたもの
なにかロックのコンセプトアルバムみたいな感じ

この辺りになるとプログラムにどんな作曲家があるか頭になかった
でも、どこかラテンぽいぞ  きっとスペイン絡み?(アルベニス)
これまた水のたわむれを感じる  でもオクターブをいっぱいに使うから
リストっぽい (リスト)

これはわからなかった(ヤナーチェック)
やっぱり知っている曲は聴きやすい(ドビッシー) 
ドビッシーは独特の音色というか特徴がある

でもこれだけ知らない曲が続くと、不意にキース・ジャレットの
ソロライブを思い出した
何十年も前、やはり名古屋の千種でソロコンサートを聴いた時も
演奏されたのは知らない曲、
というよりその時初めて演奏される曲、
その時と同じように初めての曲を楽しむことにした

でも集中が続いたのはライブだから
CDだときっと無理かなという気持ちは拭い切れない

15分の休憩の後はブラームス
エレーヌ・グリモーさんはブラームスが好きなのかな
Youtubeでもブラームスのピアノ協奏曲を演奏しているのがアップされている
自分はブラームスはそれほど好きじゃない
(3Bはバッハ・ベートーヴェン・ブルックナーでブラームスじゃない)

まずは聴いてみようと耳をすませる
勝手な連想が浮かぶ
ブラームスはかわいそうだな
いろんな可能性は全部ベートーヴェンがやってしまった
あとに残された彼は何をすれば良いのか、、、

なにか男らしい迫力のある音形と音響が続くが
なぜかブラームスはあまり男っぽくないな
モーツァルト・ベートーヴェンは男っぽい
でもその風貌と音形の割にブラームスは弱々しいところがありそうな、、
何の根拠もない勝手な連想、、

プログラム終了
グリモーさんは丁寧にお辞儀をする
それはゆっくりと柔らかく、まるで柔軟体操のよう
残念ながら(本当に残念ながら)お顔をよく見れなかったが
あのお辞儀が心打って、拍手をちょっと力を込めてした

アンコールはあった
あるとしたら何かなと考えたが
勝手に連想するより聞けば分かること
最初は、、、ピアニスティック  しかも幅広い音程
ラフマニノフかな  が第一感
もう一曲も同じ印象
次は、ひらめきのないもやもやした、
しかし男っぽく表現しようとしているからブラームスかな

最後は、妙にピアノが鳴るというか音が出やすくキラキラしてるから
多分ショパン

そんな風に予想したが、帰りのアンコールの曲名がかかれたものを見て
 

 大当たり!
なんか嬉しかった
昔はNHKFMで演奏途中から聞いた音楽の演奏者・年齢・国籍を
想像して後で答え合わせをするのが楽しみだったが
その時のことを思い出した

で、帰る時、CDは買わなかった
サイン会がないためじゃなく、最近はCDの音が
なぜかきつく感じられて仕方ないので 、、、

 

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ヴァイオリン聴き比べ(宗次ホール)

2016年03月27日 09時09分49秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

最近お気に入りの宗次ホールに出かけた
昨日のプログラムは

3人の演奏者による3つのヴァイオリンの聴き比べができるというもの
(本当はそんな低次元でのプログラムの意図ではなかったかもしれないが)

昨日は3つどころか急に一人追加で、結局4つのヴァイオリンの聴き比べができた 
(急遽参加していただいたのはグァルネリ・デル・ジュス【1741製】で
 ラヴェルのツィガーヌを演奏したアンドレア・オビソ氏)

正月のテレビ番組で、何億というヴァイオリンと普通の価格帯のヴァイオリンの
演奏を続けて聞いて 、どちらが高い方のヴァイオリンか?を選んで耳の良さを
競うものがあったが、今回は正直なところこのくらいの軽い気持ちででかけた

で感想は?
ヴァイオリンの音の違いは、演奏者が違う、曲も違うし
素人の耳で正確にあれこれ批評することはできないが
最初に演奏された ツィガーヌを演奏したアンドレア・オビソは
馬力のある音と言った感じ
最初は比較できないので、まずはこの音を基本にして比較

予定通りのプログラムに戻ってイ・ユジンさんのG.F.プレッセンダ【1697年製】
これは先程の音と違って随分華やかな音 やんちゃな音
曲想がそう感じさせるのか楽器がそうなのか、素人には分からないが
とにかくそんな印象 
曲はバルトークなど、でもバルトークはどうも相性が悪い

2番めは松岡井菜さんのM.ベルゴンツィ【1764年製】で 
ストラヴィンスキーとサン=サーンス
これは先程の音より品が良い もっと上質の感じの音
でも一番印象に残ったのはこの演奏者の集中、音楽に没入しているところ
その表情やら演奏風景でこちらもついのせられてしまった感じ
バルトークよりストラヴィンスキーのほうがまだ自分には合いそう

最後のフランシスコ・ガルシア・フラナさん
楽器は(ついに出た)ストラディバリウス「レインヴィル」【1697年製】
偉そうに楽器の名前を上げているが知っているのは(耳にしたことがあるのは)
ストラディバリウスとかすかにグァルネリくらいなもの
こうした事前の情報量が聞く方にも影響したかどうかは定かではないが
このヴァイオリンは先程の音と比べて更に上品さが増した感じ
つい日本酒の比較を思い出した
純米・吟醸・大吟醸
良いお酒はべとつかずスッと品よく鼻に抜ける感じ
僅かな違いだが、この差は限りなく大きいと感じことがあるが
このヴァイオリンの比較もそんな感じ
音楽ではなく音自体を聴きたいなら3番めのストラディバリウスを聴きたいかな
この上品さは艶っぽい
曲はモーツァルトとリヒャルト・シュトラウスのソナタ
モーツアルトはK301とかK304のほうが聴きたかったな
リヒャルト・シュトラウスの方はどうもすっきりしない
(この人の曲を聴くといつもそう思う)

ということで、とい経験をさせてもらった
ところで会場でパンフレットをもらったが
触手が動いたのはキム・ダミのヴァイオリンリサイタル
プログラムにヴィターリの「シャコンヌ」がある
それだけじゃなくプログラムの写真が美人ぽい

お顔が見えるわけじゃないが
5月のグリモーの演奏会といい、美人には弱い、、、 

 

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バレンボイムのブルックナー1番

2016年02月05日 08時37分46秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

昨日は、みんなが寒い中頑張っているので
少し心苦しいかったが、ずっと前から計画していたお楽しみ
バレンボイムとシュタッツカペレ・ベルリンのコンサートにでかけた

プログラムはモーツァルトの最後のピアノ協奏曲27番
それにブルックナーの交響曲1番
会場は愛知県芸術劇場コンサートホール
 

ブルックナーは大好きな作曲家の一人で
昨年は晩年を過ごしたウィーンのベルデヴェーレ宮殿や
その前にはリンツの聖フローリアン修道院にでかけたりして
全く「オタク」の部類

現実のブルックナーの演奏は
マーラー・ブルックナーとセットにされて
ブームになった時でさえ4番が多く演奏されたくらいで
8番が時々、初期の方はほとんど相手にされない

でもこの初期の、1番、2番が実は自分は大好き
どうして好きか?を答えるのは難しい
なんか、好き
そうしか答えられない

聴いたことのない人には1番は大音量で鳴りっぱなし
それも無意味に、、、と思うかもしれない
しかし、好きな立場で聴くと、この鳴らしっぱなしの音が
オルガンを目一杯鳴らして楽しんでいるみたいで
とても心地よい
この大音量の感じはロシアの例えばチャイコフスキーのとは全然違う
ブルックナーはなんか音に汚れがない
だから疲れない

バレンボイムの指揮はこれで3回目
最初はパリ管でドビュッシーの海だったか夜想曲
このアンコールが良かった
グルックの精霊の踊りが演奏されたが、
酔っ払っていい気分になっている聴衆を
また酔わせる感じでうっとり、
時間の経過を忘れさせるような瞬間を今でも覚えている

2回目はシカゴ交響楽団とのブラームスの2番
これは大いに外れ
損した!という感じ

そして今回
最初のモーツァルトは小さな編成でサラッとなるのか
とおもいきや、北のドイツらしく真面目な演奏
冒頭の弦と管の絡みはもうすこし管にニュアンスが欲しかった
(なんて偉そうなことを)
そして一楽章の中間部、短調でぐさりと驚かされるところ
これももうすこしやりようなあったのでは!
つまり、ちょっと残念な演奏だった
これがウィーンのオケだったら、
もうすこし気の利いた演奏をしたのではと思ったりする

しかしモーツァルトは聞き流すと、どうってことにない音楽だが
しっかり耳をすますと、なんと多くの感情やらニュアンスが
込められているのかと つくづく思ったりする

さてお目当てのブルックナー
何故か指揮台が舞台の端ギリギリまで移動されている
落ちてしまわないかと心配するほど
オーケストラの配置は扇型ではなく
ティンパニを山の頂上とした富士山みたいな形
それに左肩にコントラバスが配置されて
ちょっと見たことのない陣形
この配置から出てくる音はブレンドされたというより
塊 として出てくるのか
そこはプロではないのでわからない
ただ何かしらの目的、効果があって行われていることだろう

1楽章の冒頭 マーラーの6番を予感するような刻みの音形から
音楽が始まる
この時の弦と管の掛け合いは管が音量を抑えてとても雰囲気がある
これで一気に曲に集中できた

この曲、やんちゃな若いブルックナーの音楽
イケイケで音を鳴らしっぱなしのところがある
ところで、ブルックナーの演奏はテンポを変えないで
演奏するほうが良いみたいな話をよく聞くが
この一番を聞いていてクライマックスにいたるところなんかは
徐々にスピードを上げていったほうが自然、
音形もそれを要求しているような気がした 
フルトヴェングラーが演奏したらきっと煽っただろうななどと連想

2楽章 ゆっくりした音楽はブルックナーの真骨頂
美しいというのは感傷的というのとは違う
もっと体全体を音楽に委ねて法悦に達するような
(この最たるものは8番の3楽章)
とてもうっとり

3楽章 若いブルックナー  ブレーキのないイケイケのブルックナー
誰にでも若い時はあったのだ
と当たり前のことを感じる
これはロックの世界のノリに通じる

そのままの勢いで4楽章のフィナーレに
ベートーヴェンの7番も3楽章から4楽章まで一気加勢だが
この曲も似た感じ
イケイケが拍車をかける
でも初めてこの曲を聴く人は、
訳わからずに音がなっていると感じるかもいしれない 
何度も聴いて楽しむコツを知っている自分らは問題ないが
一般的には聴きにくい音楽の範疇に入るのかもしれない

結局、ブルックナーは愛する神様にいたるところで
「神様バンザイ!」とやりたかったのではないか
とにかく肯定的な結論や音楽を表現したかったのではないか
そんな思いが頭をよぎる

演奏が終わって、それははっきりと終わりというのが分かる終わり方だが
いつもなら起こるブラボーの声が起きない
終わったあと、静寂、誰もが声を上げるタイミングを失ったかのよう
それは圧倒されたのか、それとも聴いたことのない曲で戸惑ったせいなのか
1.2秒の沈黙
そしてパラパラと音がしだすと、徐々に大きな拍手に
自分は本当に楽しめたけど、他の人はどんな印象を持ったのだろう
変な曲?

ところでブルックナーの演奏会には女性が少ないというのが定説のようだが
昨日は意外に多かった
隣の女性に「メインがブルックナーですが、女性は珍しいですね」と声をかけると
お目当てはモーツァルトのピアノ協奏曲の方との答え
なるほど、そうでしょうね

ということで、大いに楽しんだ
(チケット代の元を取らねばもったいない) 
本当は2番も聴きたい5番も
誰か名古屋でやってくれないかな

あとシモーネ・ヤングの演奏で8番の初稿での演奏
やってくれないかな
絶対行くのに! 

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伊藤恵 ピアノコンサート(宗次ホール)

2015年12月15日 08時53分40秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

昨日(12月14日)は久しぶりの宗次ホール
プログラムは

伊藤恵さんは以前NHKFMの「おしゃべりクラシック」だったか「気ままにクラシック」だったかに
出ておられて、その話しぶりがとてもおおらかで「いい人だな!」と感じられ
いつか機会があったら聴きたいものだと思っていたところ
たまたま今回このプログラムを見つけたものだから足を運ぶことにした
彼女のお気にい入りのシューマンはやっぱり入っている

演奏自体を比較・批評できるほどたくさんのピアニストを聴いているわけでもないので
いつものように聴いてて連想したことなどを思いつくままに
(この連想することが結構楽しい)

最初のベートーヴェンの一番最初のピアノ・ソナタ
音階的な主題はベートーヴェンらしい、同じ一番のピアノソナタでもモーツァルトのそれとは
随分違う(当たり前だが)
初期と言ってもガッチリしているというか、全曲のバランスというか、トータルな視野で作られている感じ
演奏はライブの良さで途中からノッてきたようで、ピアノの音も心なしかよく鳴る感じになった
そこで連想したのが、一番のソナタで始まるなら途中中期のソナタを入れて、最後のソナタで締める
プログラムはというのはどうかな
中期は熱情だと完結してしまいそうな印象が強いので、ワルトシュタインくらいで

そんなことを思っていたら全演奏が終わったあと伊藤恵さんが
今回のプログラムはベートーヴェンの最初のピアノ・ソナタ
シューベルトの最後のピアノソナタ
間に夢見るロマン派のシューマンを入れてみたとの挨拶
なんのことはない、似たような発想で組まれたプログラムだった

ベートーヴェンの後だとシューマンのピアノ曲は音が柔らかい
というか、輪郭がはっきりしないというか、夢の中で浮かんだイメージをもやもやと
音にしている感じ
このもやもや感が好きな人は好きなんだろうな

シューベルトの21番のピアノ・ソナタ
これはアリシア・デ・ラローチャの演奏で名古屋で聴いたことがある
いまでもよく覚えているのが第2楽章の部分
本当に夢のなかにいるような時間
沈潜し陶酔するような時間
これが聴きどころと思っていたが、昨日もやはりそうだった
演奏中、心なしかうなり声が聴こえた気がした
演奏している伊藤恵さんが気持ちがノッて、つい歌ってしまったのかもしれない
グレン・グールドやキースジャレットも声を出すけど
昨日は邪魔にはならなかった(声なんて出していない?もしかしたら幻聴?)
この辺りは集中しきっている

でもこの別世界のような音楽 ベートーヴェンの32番の第2楽章も
別世界のような音楽だが、その印象はだいぶ違う
シューベルトは響き、音の中に惑溺しているがベートーヴェンは
そんな中にもまだ客観的に自分を、音楽を眺めている存在を感じる
それがためにベートーヴェンは最終的には全体のバランスを崩さない
構成的な音楽になっているのかもしれない

それとシューベルトは音楽の旋律が長いが
ベートーヴェンは動機というかモチーフというか短い音形
それを変形していくのでより自由度が高いのかなと思ったりする
でも音楽家でもないし、ただ好きで聴いているだけなので
勝手な思い込みかも知れない 

で、最後の伊藤恵さんの挨拶
やっぱりいい人
そんな感じだった

また機会があったら聴きに行こう 




 

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パルジファルの感想 その2

2014年10月13日 08時57分06秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)
新国立劇場のパルジファル公演
自分が見たのは10月8日
せっかくの貴重な体験、その感想を語り合いたい
と思ったが、最近はその代用となるような便利なものがある

ヤフーの検索で「パルジファル」と入れて
リアルタイムで検索すると、ツイッターのつぶやきがを
見ることができることができる

つぶやきだけではなくて、
ツイッターとブログを連動している人もいるので、
もっと文字数の多い感想をそこから見ることができる

そこで、公演後急いで帰った消化不良を紛らわすことになるのだが
やはり当たり前といえば当たり前だが、良かったと肯定的な人もいれば
全体的には少なめだが否定的な人もいる

自分はたくさん見て、比較できるほどの知識の絶対量がないので
ただ漠然と見た感じの印象を述べることしか出来ないが
どちらかと言えば、「これもあり」といった印象
仏教徒の存在はイマイチ 総合的な理解は出来なかったが
舞台は近代的な抽象的なシンプルなもので
細かく説明的であるよりは勝手にいろいろな想像ができる分だけ
却って音楽に集中できたかも知れない

この演出の賛否の別れとなるのが第3幕の最後の部分
アンフォルタスは聖槍で傷口をなぞっておらっても治らず死によって救済(?)を受け、
クンドリーは泣くことができるようになって安らかな死による救済を得るのではなく、
グルネマンツとパルジファルと三人で仏教徒の袈裟を身につけ城から去っていく

確かに意味深長な感じはするが、少し考え過ぎのような気がしないでもない
ヴァーグナーが晩年仏教に興味を抱いて、その部分を反映させたのかもしれないが
やはり取ってつけたような気がしないでもない

このパルジファルという舞台祝典神聖劇
自分が気に入っているのは音楽の響き
バイロイトの劇場の響きを前提にヴァーグナーが作曲した音楽は
刺激的な生々しい音ではなく、どこかふくよかないい具合にブレンドされた感じ

そして少し芝居がかっているが、ついつい惹き込まれてしまう神聖なシーン
音がコーラスが上昇する音階の部分 ここは何度聴いてもうっとりしてしまう
ヴァーグナーの魔力そのものだが、魔力はクンドリーがパルジファルを誘惑するところの
まとわりつくような音楽もたまらない

この物語で一番気になるのはこのクンドリー
彼女は救い主を見た時、笑ってしまった
(それがつい笑ってしまったのか、嘲りの意味なのか)
とにかくその行為を救い主と目があって永久に咎められることになる
この彼女の設定が自分には非常に興味深い

特に、笑ってしまったのが軽蔑や嘲りではなく
つい笑ってしまったとしたら(その奥にある心は問わないこととして)
そして、こんなことは割合あり得ることなのではないか
と思うと、彼女の苦悩はより現実的なものとなる

でも救い主も笑われたから、ずっと彼女を苦しめるというのも
どこか心が狭い気がしないでもない
今の自分の年齢になると原因があって結果がある
それがためにクンドリーはしかるべき状態にあるのは当然
と頭で理解できても、もう少しおおらかでいいのではないか
とさえ思う(もっともそれでは物語が出来ないが)

飯守泰次郎指揮の音楽は
10月8日は多くの人が指摘したように1幕の途中から
調子が出てきて、圧巻は第2幕
これには同意する
クンドリーの誘惑部分は凄い説得力
自分なら参ったかもしれない

3幕の聖金曜日の奇跡の音楽は、
期待した分だけ評価が厳しくなって、もう少しやりようがあったのでは
と思わないでもない

しかし、ヴァーグナーの魔力はすさまじい
ルードヴィッヒ2世がヴァーグナーに夢中になるのも
彼が感受性が強いだけに大いに理解できる

関東の人はつくづく恵まれていると思う
自分のように一日仕事
(そして交通費もしっかり使っての)
ではなくて、思い立ったら見に行けるなんて
(当日券を手にしたり)
羨ましい限りだ





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新国立劇場のパルジファル

2014年10月09日 20時53分38秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)
地元の駅を昨日(10月8日)8時13分に出発
家に帰ったのは終電で24時近く
(だから今日は少し寝不足で眠い)

交通費もJR東海ツアーズを利用して安くなったものの
チケット代を含むと結構な出費

しかし、大きな満足感が得られたのが新国立劇場で行われた
ヴァーグナーの楽劇「パルジファル」の公演


生(ライブ)の良さというのだろうか
1幕の途中から演奏に熱を感じるようになった
そして3幕終了間近に頭をよぎったこととは
この非日常の体験が凄まじくて、明日から普通の生活に
戻れるのだろうか?と言う不安
それほどまでに久々のパルジファル体験は面白かった

演出はクプファー 
名前は聞いたことがある
くらいの知識しかない
そんなことよりまずは楽しめるか否か?

前奏曲が始まると同時に幕があがると
まるで漫画の稲妻みたいな光の道みたいなものが
目に入る
奥の方には何故か仏教の僧侶と思しき人物が三人
これは何だ?
判断保留にして舞台を眺める
舞台にあるものはこのジグザグの光の道だけ
このジグザクが時々途中から切れて、短くなったパーツが
あるときは上にあるときは下にへと移動する

この上下の意味も判断保留
まずは音楽に集中
そうしていると特にその動きも違和感がない

自分はこのくらい抽象的な演出のほうが好き
昔上野でみたパルジファルは夢遊病者の頭の中の
出来事と言う設定で、部分部分が現実的で説明的だったのが
かえってつまらなかった
日本のお能の様に想像力を刺激される方が楽しい

しかし、グルネマンツ役のトムリンソンは素晴らしかった
風格ある佇まいと余裕のある声量と音色

パルジファルはちょっと太めで
若者ではなくておじさんだったのが、
歌のある劇だから仕方ないけど、少し残念
クンドリーは2幕の誘惑は迫力があった

2幕の花達の誘いはもう少し音楽に
ネットリ感があっても良かった
なんとなくあっさりしていた
そういえば3幕のお楽しみ聖金曜日の奇跡の音楽も
あれれ、というまに済んでしまった
クナッパーツブッシュならもっと聴かせるところなのに、、、

そういえば飯守泰次郎氏の指揮するオーケストラは
1幕途中から全開と言う感じになって頑張ったけど
ちょっと金管が生々しすぎる部分があった
バイロイトはオーケストラの上部に天井があって
音が抜け切らないために少しこもり気味な独特な音色になるが
自分は聞き慣れている(レコードで)ので
もう少しブレンドされた音が聴きたかった

あとは合唱の部分
徐々に音階があがって聖なる感覚を表現するところ
これもライブなのに思いの外あっさり

こんな風に続けると不満が多いみたいだが
そんなことはない
全体的にはオーケストラも楽しませてもらった
ヴァーグナーの毒、魔術にどっぷり浸かることが出来て
やはりバイロイトに行ってみたいと思うことしきり

さて多分多くの人が一番に問題にしたのは演出
奇妙な仏教の僧侶の存在と、傷を塞げるはず槍でアンフォルタスの傷口を
なぞったにも関わらずアンフォルタスは死という救済の形をとり
泣くことを覚えて死によって苦悩から逃れられるはずのクンドリーが
最後まで生き残って、パルジファルとグルネマンツとクンドリーは
この城に逗まると思いきや僧侶の衣装の一部を受け取りどこかに行くような結末

何かを暗示しているのだろうけど
そしてその暗示への解釈は人それぞれ違っていても良いのだろうが
自分としてはこの結末もありかな!
と大した違和感はなかった
(自分の想像したのもがクプファーの意図したものとは違ったとしても)

ただなるほどと感心した演出は3幕の前奏曲の部分
この部分はパルジファルがいろんな辛い経験をして
人間的に成長する様を表現できればいいのだが
パルジファルが僧侶に施しをして、次に僧侶から何かを得て
新しいパルジファルになる
つまり行為自体が成長の証を表現しており
少なくとも見ている最中は納得できた

本当は終演後あの演出の意味や音楽について
いっしょに鑑賞した人たちと歓談したかったが
帰りの新幹線の時間が気になって急いで会場を後にしたが
これがちょっと残念だった

昔見たバイロイトでは何を話したかは覚えていないが
終演後どこかのレストランであれこれ感想を話した気がする
音楽を楽しむということは、こうした感想の交換もあると思うが
仕方ない!といったところか

ヴァーグナー
その魔力はルードヴィッヒ2世を虜にしたが
なんとなく分かる気がする

新国立劇場では来年「さまよえるオランダ人」が
あるようだが、自分はタンホイザーかトリスタンなら
もう一度足を運ぼうかな

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宗次ホール 弦楽四重奏コンクール

2014年09月15日 10時04分28秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)
連休2日目の昨日
暇を持て余して名古屋の宗次ホールに出かけた
この日は、第2回弦楽四重奏コンクールの本選当日

前日、その前に行われた公開マスターコースに
続いてのいよいよの本番


スタートは11時から
当日券を購入したのは11時半
ということで、第一番目のグループは待合室の映像で見学
何やら切り詰めた緊張感のある雰囲気
やはりコンクールとなると違うのか



すべてを聞いた人から投票やアンケートがあるようだったが
聞き比べられるほどの耳を持ち合わせていない
それに、何グループか聞ければいいといった気楽な態度で望んだので
途中眠くならないか心配したほど

2番目のココット弦楽四重奏団から聴くことに
どのプログラムもハイドンが入っている
ハイドンはそんなに夢中になるほどの作曲家ではない
所有しているのは「ひばり」くらい

モーツァルトと比べるとちょっと気が利かない感じが
していたが、こうして聞いてみるとなかなか行ける
(ライブのせいもあるかもしれないが)

全てにハイドンの弦楽四重奏曲が入るのは分かる気がする
表現欲に満ちて個性バリバリの曲作りというより
バランスがとれていて、確かに弦楽四重奏の基本の基
みたいな要素に満ちている

聴き比べるのは曲もさることながら
演奏力も知らないとできないが
ただ好きなだけの時間つぶし目的では
ここに残す事ができるのはその時頭に浮かんだことだけ

最初のグループ(ココット弦楽四重奏団)は、みんな黒い服を着て
第一ヴァイオリンの人がものすごく気合が入っているというか
音楽に入り込んで座っているところから
立ち上がってしまいそうな勢い

騎士と名付けられた曲以外はコダーイの曲
コダーイはチェロと言う楽器が好きなんだろうな
確か無伴奏の曲があったような
そんなことを思いながら聴いて午前の部は終了

お昼は近くの喫茶店でコーヒーを飲んで
一休み、、、のつもりが、ついお腹にクッキーを入れてしまった
これで睡魔との戦いになりそうと危険な予感

午後の2つのグループのプログラムの
規定のハイドンの曲はは「五度」
これらな比較ができるので少し楽しみ
そんなことを思いながら、午後はスタート
(ビーネン・カルテットから)

最初アナウンスで曲は「ニ短調 五度」と紹介された時
まず思ったのは、ニ短調ならモーツァルトのニ短調の弦楽四重奏曲と
比較できるということ

それで演奏の質というよりは曲の個性の違いを思いながら
耳を澄ます
なるほど感情に溺れることなくバランスも崩さずハイドンは進んでいく
いろんなアイデアもこうした楽曲の初期の段階だから
盛り込まれている
しかいモーツァルトと比べると、モーツァルトの直接感情に
訴えかけるような(ただ聞き流すとなんてことはないが
耳を傾けた瞬間いきなり雄弁になるのがモーツァルトの曲)
人懐こさとは随分違う、改めてモーツァルトの異能さを感じてしまう

ハイドン以外はベートーヴェンのセリオーソ
この曲は自分も好きな曲
カッチリまとまってそれなりに美味しい旋律もあって
推進力もあって
確かにこのグループの人たちも達成感のような雰囲気
モーツァルトもすごいがベートーヴェンも凄いな


次のカルテット・アホイでこの日二回めの「五度」
ふむふむ、確かに感じが違う
こちらのほうが地味だがふくよかな音色
弾き慣れていると感じたのは錯覚か
二度目で耳がそんなふうに感じただけか

このグループのハイドン以外の曲はドビッシーの曲
これも実演では初めて聴く曲
ドビッシーの一筋縄ではいかない音楽、響きを
さあ聴きましょうと、幸い眠くならずに耳を澄ませることができた

最初の楽章 途中なぜだかオーケストラ曲の「海」を連想してしまった
やっぱり個性というのは出るものだ
それから中間の楽章でフランスというより
スペイン的なテイストが感じられたが
それはラテン系と言う共通点か

二グループを聴いたあと休憩タイム
帰りの時間もあるし
あとひとつベートーヴェンの曲を聴いて終わりにしよう

ということで関心はまたしてもハイドン以外の曲
クランタンツ弦楽四重奏団
ベートーヴェンはやっぱり凄い
その音楽の推進力は半端じゃない
音の流れが感情と構造と高いところでまとまって
職人的な作曲というより、表現意欲に満ちてアイデアも豊富
めったに聴かなかった四番のハ短調の弦楽四重奏曲も
今CDを流している(やっぱりライブのほうがいいかな!)

それにしても今回の2,000円の入場券は
完全に元をとった印象
音楽に集中し、様々な妄想に酔って、
頭に栄養を与えることができたというところか


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フォーレとは何者か?(宗次ホール)

2014年08月17日 06時05分32秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)
今回の夏季休暇、天気がスッキリしない曇天や雨続きで
何処に行く気にもなれなかったが
それでも人並みに一日くらいはと出かけたのが
宗次ホール

しかし、会場に向かう間も天候に合わせたのか
眠たいことしきり
目は覚めて普通の生活はしているのだがどこか夢の中の
できごとのような気がしてならない
名古屋に向かう電車の中で読んだ三島由紀夫の金閣寺も
なんだか夢の中の出来事のよう

JRはいつになく混んでいた
名古屋発はそれなりに混んだりするが豊橋から
こんなに混んだ東海道線を経験したことがない
座る席がないどころか、立ってる人も他の人と触れてしまいそうで
おやすみ最後の土曜日は自分と同じように
どこかに出かけようとしたのだろうか

さて宗次ホール

開場前に行列
「本日のチケットは完売しました」の張り紙が見える
自分は3日ほど前に予約しておいたので購入はできたが
当日券狙いは危なかった
しかし、何故こんなに混んでいたのだろう?
フォーレはそんなに人気作曲家とはいえないのに

この日のテーマはフォーレ
「フォーレとは何者か?」題して彼の一生を曲を混じえながら紹介していく

ラシーヌの雅歌(ピアノ5重奏版)
子守唄(ヴァイオリンとピアノ)
エレジー(チェロとヴァイオリン)
レクイエムから「ピエ・イェス」

後半がピアノ五重奏曲第2番ハ短調 作品115

本当はピアノ5重奏でも1番のほうが聴きたかった
品のいい、フォーレらしい和声で全ての楽章が心地よい
しかし2番は、CDで聴いてもどこかはっきりしない印象

電車の中から眠くて仕方なかったが
なんということ、開場でも結局眠気は抜けず
最初から最後までなんかぼんやりと夢の中での出来事のよう
ひたすら眠い、
ただ時折
フォーレはヴィオラの音色が少なんだろうな
美味しいところをヴィオラに任せたりして

レクイエムは解説者が好きな「ピエ・イェス」より
自分は「楽園にて」のほうが好きだな
そんなことを思いながら聴いていた

とろで皮肉なことなのだが
こうして宗次ホールで気楽に手軽な費用で
生の音楽を聴くことができるのはありがたいのだが
その演奏力、解釈力、説得力というものが
以前聴いた超一流と言われる人々の演奏とはかなり違う
ということが明らかになってしまった

今までは名演奏家の演奏を聴いてもなるほど
と思うくらいだったが
若いまだ成長しきっていない未熟な(?)演奏家のそれを聞くと
いかに名演奏家と言われる人々の演奏が素晴らしかったのかが分かる

曲が自分のものになっているとかなっていない
とかのレベルではなくて
才能の違いというものは残酷なくらい明らかに存在する
そんなことをまたもや感じた一日だった


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宗次ホール 南 紫音 ヴァイオリンリサイタル

2014年06月29日 08時43分26秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)
目的はフランクのヴァイオリンソナタ
この曲のライブはこの日で多分4回目

最初はチョン・キョンファ
これは良かった 特に3楽章の夢見心地な雰囲気は今も覚えている
2回目は ヂュメイ
ラ・フォル・ジュルネでの演奏
しっかり手のうちに入って職人と芸術家の混在した演奏
3回目はやはりラ・フォル・ジュルネで一昨年
日本人の演奏だったがちょっとピアニストの演奏が
自分の好みでは無かった

毎月送られる宗次ホールの案内
前々からチェックを入れて
時間ができたので土日の安いJRを使って名古屋へ



このヴァイオリニストの事は知らない
ただ曲に興味があっただけで、フォーレも好きな方なので
この二つを楽しみに出かけた

さて演奏は
チューニングの時からよく鳴るヴァイオリン印象
解説パンフレットには1727年製のストラディバリウスとある
演奏時もよく鳴った
高い音も以前宗次ホールで聞いたヴァイオリンのヒステリックな音とは
全然違った
中音も余裕のある音

お目当てのフランクのソナタ
一言で言えば若々しい演奏
ピアニストもヴァイオリニストもまだ若い
聞かせどころを掴んだ職人という演奏よりは
勢いに任せた情熱的な演奏

本当はもう少しきめ細やかなニュアンスも欲しかったし
せっかくの第3楽章の瞑想的な部分も音楽の進行以外の
感慨は無かった

そこでふと浮かんだのが演歌の歌手の歌い込んでいるパフォーマンスの事
彼ら、彼女らは同じ曲を何千回と歌っている
そしてそこから演奏される音楽はまさに歌い手のものとなっている
細かな感情の揺れ、間の取り方、それは良い意味で効果的であり
芸術家というより職人のなせる技

若い二人の演奏はそれぞれよく練習はされているかもしれないが
まだその域には達していない
といっても今が悪いというのではなく
今は今しかできない演奏なので、それはそれで良いとも思うが
それでももっと弾き込んで自分のものになっている状態にものを
もう一度聴いてみたいものだと思う

フォーレのヴァイオリンソナタは
晩年の室内楽の渋いものとは違って
フォーレにもエネルギーに満ちた若い時代があったのだ
と感じさせる曲
何となく最初の楽章のメロディで統一されているような気もしたが
最近の記憶力は全然自信がない

最初にアンコール曲は何だったかな
と気になって仕方が無かった
聴いた事は有る、好きな曲だ、なのに、、、

ラフマニノフのヴォカリーズ?
いや違う、、、、
もやもやしていたが
答えは壁際に貼ってあった
「フォーレ 夢のあとに」
そうだ、そうだったんだ
バーバラ・ストライザンドの「クラシカル バーバラ」の中にあった曲だ

という事で久しぶりに集中して聴いた音楽
いつもとは違う疲れ方をしたせいか久しぶりに深く寝た感じ

来月の宗次ホールはベートーヴェンの14番の弦楽四重奏曲と
シューベルトの「死と乙女」のプログラムを今のところ予定している

ところで、昨日の演奏会のピアニスト
楽譜は紙製ではなくiPadを利用していた
ページをめくる人がいなくてもできるところが便利
(一応予備で後ろには女性が待機していたが)
便利な時代になったものだ
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一気呵成の演奏 ヴィターリのシャコンヌ

2014年04月30日 19時12分02秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)
名古屋の宗次ホール
クラシック音楽専用のこじんまりとした室内楽用の
立派なホール
ここでは毎日のようにいろんなコンサートが催され
時々不意に思い立って出かけることがある
有名な演奏家が出演する場合もあるが
地元の演奏家の発表の場としての意味もあるらしく
値段もべらぼうに高いということもない

先日ホールのスケジュール表を見ていると
こんなプログラムを見つけた

2番目の演奏曲にヴィターリのシャコンヌがある

この曲はNHKFMで耳にして妙に気に入って
早速CDショップに出向きオイストラフの弾いたものを購入
これがまた素晴らしくて益々興味が湧いて
Youtubeではハイフェッツ、サラ・チャン、フランチェスカッティ、シェリングなどを
聴き比べたりしている
ちなみに好きなのはやはりオイストラフ
一番最初に聴いたこともあるけれど感情の濃さが
その世界から離れることを許さない

ということで、バッハのシャコンヌほど演奏されることのない
この曲を聴くためだけに出かけた


他にもカルメン幻想曲など派手っこい曲もあったけど
あくまでも目的はこのシャコンヌ

2番めだから少し耳も慣れたところで
集中もしやすくこちら側も絶好のコンディション
最初のピアノで奏される繰り返しのテーマも
生はやはり録音のものより豊にタップリと聞こえる

出だしの音でその演奏家の力量が分かったしまう
みたいなところがあるけれど
批判的に聴くよりは楽しく聴きたいので
多少のことには目を瞑ることにした

演奏されるメロディーを頭で追ったり
先走ったり
耳で聴くというよりは頭と体で聴いている
予想もしなかったが
最初の方のピアノとの掛け合いのあたりで
少しうるっとしてしまった

本当にいつも思うのだけれど
このシャコンヌは何回もテーマが繰り返される
上での変奏曲なのだが
この変奏曲という形式が全然気づかない
むしろ感情の流れに身を任せているみたい
そしてその上での幻想

バッハのシャコンヌも幻想感たっぷりで深いが
それは変奏曲と言う範囲を超えていない感じがする

この日の演奏者は青木恵音(あおきあやね)という
男性の若いヴァイオリニストと
同じく若い女性のピアニスト織田麻祐子(おだまゆこ)
この若いというところがこの曲のトータルの印象を決めていたように思う

つまり一気呵成の感じ
エネルギーと生命力に満ちて
本当なら中間部の部分でもう少し力を抜いていけば
かえって曲全体の印象として
メリハリもつきそうな気がしたけれど
これは多分年令を重ねるしか、そんな演奏できないだろうし
その解釈がいいとは必ずしも言えないから
今日は今日の時点での良さということになるのかもしれない

しかし、それでも若さはいいな
多少の傷は勢いで何とかなってしまいそう
青木恵音氏は途中でこの演奏しているヴィターリのシャコンヌが
本当に好きなんだな!と思ったりした
解釈よりは共感
これがまた人の共感を生むことになりそう
ということで、今日のコンサートは1000円分の元は充分にとった感じ


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