創世記
4:9 主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」
カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」
4:10 主は言われた。「何ということをしたのか。
お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。
4:11 今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、
口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。
4:12 土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。
お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
4:13 カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。
4:14 今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、
わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、
わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
4:15 主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、
だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、
カインにしるしを付けられた。
4:16 カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。
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クリスチャンの自殺は、神の主権を犯すことであり、
絶対に許されないことを先回に書きました。
しかし、残念ながら私の娘(最初の結婚で与えられた長女)は、
クリスチャンでありながら決して犯してはならない
自殺を25歳にして、選んでしまいました。
私はその時には、家族を置いて、
キリスト教断食祈祷院を運営していました(注・01)。
自殺後、亡くなったという電話が父からあって、
直ちに実家に急ぎ葬儀に帰りました。
その時に初めて知ったのですが、
その1週間前、娘は日キ教団桑名教会のクリスマス礼拝に参加し、
礼拝後の愛餐会で讃美歌244番(注・02)をリクエストしたそうです。
私は父からそれを聞いて、絶対に牧師になぜその背後にあった
霊的な問題を見抜けなかったのか抗議しようと思いましたが、
父には「喧嘩を売ることになるので行くな」と止められました。
自殺は必ず最低でも直前または1週間前から、
何かシグナルを送っていたに違いありません。
少なくともクリスチャンであれば、
神の主権を犯すような罪を自ら犯すことへの躊躇があったはずです。
しかもクリスマスですから、牧師としては当然なことですが、
霊的なアンテナを張っておかなければなりません。
しかし、残念なことにそのことを見抜けないかったのは、
本当に霊的に間抜けな牧師としかいいようがありません。
思えば私がクリスチャンになる最大の動機は、叔母の自殺でした。
それから30年後、まさかの実の娘まで自殺を選んでしまったのは、
聖書を通して自殺は罪であることを
教えなかった霊的な指導者(牧師)の責任なのです。
そして自殺は悪魔の最大の誘惑なのです。
ゆえに霊的な盲目は、いかに人をいとも簡単に
死に追いやるかを知らなければならないのです。
カインの問題は私たちの問題であることを心に刻み込みましょう。
キリスト教断食祈祷院を運営していました(注・01)
1995年10月~2015年11月まで20年間。断食祈祷院や牧師として献身したことを絶対に認めない両親は、私を死んだことにして拒絶、絶交状態にしてしまいましたので、今も私の生まれ故郷にはもう二度と戻れません。
讃美歌244番(注・02)
讃美歌244番「行けども行けども」 作詞:長坂鑒次郎 作曲:小山章三
1 行けども行けども ただ砂原、
道なきところを ひとり辿る。
ささやく如くに み声きこゆ、
「疲れしわが友、われにきたれ」。
2 やけたる砂原 いたむ裸足、
渇きのきわみに 絶ゆる生命、
しずかにやさしき み声きこゆ、
「生命のいずみに 来たりて飲め」。
3 帰る家もなく つかれはてて、
望みもなき身は 死をぞねがう。
さやかにちからの み声きこゆ、
「帰れや、父なる 神のもとに」。
1 行けども行けども ただ砂原、
道なきところを ひとり辿る。
ささやく如くに み声きこゆ、
「疲れしわが友、われにきたれ」。
2 やけたる砂原 いたむ裸足、
渇きのきわみに 絶ゆる生命、
しずかにやさしき み声きこゆ、
「生命のいずみに 来たりて飲め」。
3 帰る家もなく つかれはてて、
望みもなき身は 死をぞねがう。
さやかにちからの み声きこゆ、
「帰れや、父なる 神のもとに」。
★普通の牧師なら、明らかにこのような暗い讃美歌を選んだ背景を調べ、カウンセリングします。