申命記
6:4 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
6:5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
6:6 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、
6:7 子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、
寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。
6:8 更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、
6:9 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
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先回(12/10)に神をまことに愛するため、まず、第一段階として、
私は、最愛の妻を失ということが起こったことを書きましたが、
その後、昨日、書きましたように最初の妻(洋子)との間に与えられた長女が
日キ桑名教会で洗礼を受けたクリスチャンでありながら
牧師の霊的なカウンセリングが一切なく、自殺を選択してしまったことは、
私は唖然したばかりではなく、相当なショックなことでした。
なぜなら私が断食祈祷院を建設するように導かれたのは、
自殺した娘の霊的な開放を求めはじめたことがきっかけだったからです。
このことがなかったら年商2億円という
日本でトップクラスの保険代理店業を放棄してまで、
献身は絶対にしていなかったからです。
娘はいじめによる登校拒否から強度のうつ状態になり、
これは霊的な問題だと分かった(注・01)のは、
「神の国の証人ブルームハルト父子」(井上良雄著・新教出版・注・02)
を読んでからです。
その頃、父ブルームハルトのような悪霊の追い出しに実際に出会ったのは、
韓国最大のキリスト教断食祈祷院オサンリでした。
そこで私は墓石を蹴って悪霊に憑かれた女性を
30人ぐらいの牧師で追い出す光景を目の当たりに見て、
私は残された人生を断食祈祷に捧げることを決断したのです。
そして私一人では担えないと霊的な力を持った人と
タイアップしなければ運営できないと考え、
その時には霊的な賜物を持っていた牧師(杉本智子)と再婚しました。
しかし、それが大きな選択の間違いで、
再婚相手は強烈なボーダレス精神障害者で、
それに気づくのに20年間かかってしまいました。
そして私の求めていた本物の断食祈祷からはこの20年間で次第に
かけ離れたものに変質してしまいました。
それを回復するために滋賀県高島市に移住したのですが、
その結果は、一昨日のブログ(12/28)に書いた通りです。
しかし、私は必ず、聖書に基づく断食を普及する道に辿り着きます。
なぜなら8節以下にあるように
6:8 更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、
6:9 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
と宣言して、門柱だけではなく、
こうしてブログに何度も記しているからです。
霊的な問題だと分かった(注・01)
高校時代からこのような問題が起こるまで無教会にいた25年間、悪霊の追い出し、十字架の血潮の勝利、イエスのみ名の勝利、そしてそのために清めと断食祈祷が必要と言う(福音派、聖霊派では常識的なこと)を、一切、教えられたことも聞いたこともありませんでした。
神の国の証人ブルームハルト父子(注・02)
★父、ヨーハン・クリストフ・ブルームハルト
1842年に若い女性から悪霊を追い出した事件から、リバイバルが起こり、神癒もなされた。その時「イエスは勝利者である」との叫びと共に悪霊が少女から出て行ったという。そして神癒を求めて多くの人がブルームハルトのもとに集まった。ブルームハルト父子は体系的な神学を構築しなかったが、牧会的、神学的な大きな運動を引き起こした。特に神の国、キリスト教終末論に大きく影響を与えた。
★子・クリストフ・フリードリッヒ・ブルームハルト
ブルームハルトの急進的な神の国待望――「将来、まもなく」――そして、社会主義に対する決断は、当時の市民と教会の中では拒絶された。しかし、1918 年以降の公の神学論争を形作った神学者たちに影響を与えたのは、まさにこの戦前の部外者だったのである。何よりもまずカール・バルトだけでなく、ヘルマン・クッター、レオンハルト・ラガーツ、エードゥアルト・トゥルンアイゼンも同様であった。今日、ドイツ福音主義教会は、8月2日を、ブルームハルトの福音主義教会人名カレンダー上の記念日として記憶している。
(すべてウィキから)