序・質問
1・正直なところ、私は本当に、断食と祈りによってどのようにして、
神を求めればよいのか分かりません。
私は教会に行き、聖書を読み、少しは祈ります。
しかし、それだけなのです。
2・断食して祈ってみたいと思いますが、
今まで一度も断食したことがありません。
やはり、毎日、仕事できるのか気になります。
3・聞いてください。
もし、いつも食べ物のことばかり考えていたら、
仕事が手につかないのではないでしょうか。
どうやって、神に栄光を帰し、神を礼拝することができましょうか。
4・本当は断食することに恐れを感じます。
断食したら不機嫌にならないでしょうか。
どうやって子供たちに対処すればよいのでしょうか。
おそらく、ほとんどのクリスチャンと同じく、
あなたも断食について似たような心配をしていることだろう。
あなたはこんなことを考えているだろう。
5・どうやって始めるのだろうか?全く食べ物を口にしないで、
頑張なければならないのだろうか。
もしそうならば、水だけ飲むのだろうか、それとも、
他の飲み物を飲んでもいいのだろうか。
ウォーキングやジョギングを続けてもいいだろうか。
断食して祈り、神を求めることと、毎日の務めを果たすことを、
どうすればできるのだろうか。
断食の期間がお泡ったら、どうすればよいのだろうか。
断食をすることによって、生活がどのようにかわるのだろうか。
【ブログ編集者から】
序の5つの質問は、今もなお日本のキリスト教会では牧師も
信徒も同じ質問をされます。
この本を出版して30年になりますが、この間、
私も含めてビル・ブライト師やリバイバリストであった
ジュリオ・C・ルーイバル師が求めた断食祈祷には程遠く、
日本にリバイバルが起こらず、奇跡も起こらず、
怠惰なだらだらした教会運営をしてきた30年間だったのです。
まさにイザヤが語った姿は私たちの姿なのです。
イザヤ書
58:4 見よ/お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし/
神に逆らって、こぶしを振るう。お前たちが今しているような
断食によっては/お前たちの声が天で聞かれることはない。
58:5 そのようなものがわたしの選ぶ断食/苦行の日であろうか。
葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと/
それを、お前は断食と呼び/主に喜ばれる日と呼ぶのか。
では正しい断食とは何か。それもイザヤは指し示しました。
イザヤ書
58:6 わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、
軛の結び目をほどいて/虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
58:7 更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え/
さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/
同胞に助けを惜しまないこと。
58:8 そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で/
あなたの傷は速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し/
主の栄光があなたのしんがりを守る。
そして預言者ゼカリヤは断食についてこのように言いました。
ゼカリヤ書
8:18 万軍の主の言葉がわたしに臨んだ。
8:19 「万軍の主はこう言われる。四月の断食、五月の断食、七月の断食、
十月の断食はユダの家が喜び祝う楽しい祝祭の時となる。
あなたたちは真実と平和を愛さねばならない。
断食こそ「喜び祝う楽しい祝祭の時となる」ことなのです。
断食をすることなくして、それを得ることはできないのです。