使徒言行録
◆ステファノたち七人の選出
6:1 そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、
ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。
それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが
軽んじられていたからである。
6:2 そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。
「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、
食事の世話をするのは好ましくない。
6:3 それで、兄弟たち、あなたがたの中から、
“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。
彼らにその仕事を任せよう。
6:4 わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」
6:5 一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、
ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、
アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、
6:6 使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
6:7 こうして、神の言葉はますます広まり、
弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。
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では、使徒言行録に書かれてある問題を1節から順番に見ていきましょう。
まず出てきた問題は、分配という経済問題でした。
どこの教会でもまず問題が噴出するのは、経済問題です。
教会堂建設ともなればそれが極めて露骨に出てきます。
その次は牧師の報酬でしょう。
聖霊派は什一返金が徹底していますので、
役員が話し合って経済の処理をしますが、
教会員には、まず教会会計をオープンにしていくことが求められます。
そこを誤魔化していくと悪魔の餌食になります。
すでにアナニヤとサッピラ事件で見せつけられたことなのです。
しかし、今度は分配という日常的な問題が発生したのです。
つまり教会員が急増して、細かな支援のお金や食糧の分配が、
不公平になってきたのです。
まず、献金の管理が、12使徒たちがアナニヤとサッピラ事件を
二度と繰り返さないように管理していたのですが、
しかし、「ギリシア語を話すユダヤ人から、
ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。」とありますように
背景の異なる人々たち同士の争いが起ころうとしていました。
1節ではキリシャ語を話すユダヤ人とありますが、
これはヘレニスト(注・01)と呼ばれる信徒たちのことです。
ヘブライ語を話す人たちは、従来、ユダヤに住む列記とした
ユダヤ人ですが、いわゆる異邦社会で育って来た人たちからの
クレームが起こったのです。
日本の教会でも最大の問題は、
転入してきた者とそこで育ってきた教会員との衝突がしばしば起こります。
しかし、お互いに意思疎通が悪いところから問題は発生していきます。
ヘレニスト(注・01)
以下は東京青山NHK文化センターで語られたもので長文になるので詳しくはサイトを読んでください。
1.共同体から教会へ
前回はエルサレム初期共同体の様子について、特に経済的な側面について考えた。ペテロの指導の方針が必ずしもうまく機能しないで、神の前での正しさを表現することになっていた規則が、比較的簡単に変わってしまうという様子をこのテーマに関して検討した。こうした中で完全財産共有制は、変化せざるをえなくなる。そして一つの場所にすべてのメンバーがいる、一緒に生活するという共同生活が維持できなくなる。こうなると共同体という呼び方は不適切になる。既存の名称の中では、教会という呼び方が生じてくる。エルサレム初期共同体がエルサレム教会と呼ぶべきもののなってきた、ということになる。
2.エルサレム教会内に生じた分派
使徒行伝の物語ではさらにエルサレム教会の状況が語られる。エルサレム教会からは後のキリスト教の展開に極めて重要な二つの分派が生じる。ヘレニストと呼ばれる流れの分派と、パウロの分派である。新約聖書には四つの福音書が収められているが、最初に書かれたのはマルコ福音書である。このマルコ福音書はヘレニストの流れから生じた。今回からは、ヘレニストについて、そしてヘレニストから生じたマルコ福音書について検討する。
3.ヘレニストとは
使徒行伝の物語では6章に入ると、キリスト教徒の中にヘレニストと呼ばれる人たちがいることが示されて8章の末尾までが、ヘレニストたちの物語になっている。このヘレニストという言葉は、ギリシャのことをギリシャ語ではヘラスという。したがってヘレニストというのは、ギリシャ的な人という意味である。英語やフランス語の辞書を見ると、ギリシャ学者、ギリシャ語学者、古代ギリシャ文明研究者といった説明がでている。学者というほどでなくても、ギリシャ語を勉強していたり、話せたり、ギリシャ文化のことが好きだったりすると、「君はヘレニストだ」というような言い方で使うことができる。ギリシャ語を話す人、ギリシャ好きな人、といった意味である。
4.エルサレム教会内のヘレニスト
しかし、新約聖書との関係でヘレニストというと限定的な特殊な意味になる。エルサレム教会の初期のころに、エルサレム教会の内部に存在していたグループで、結局はエルサレム教会の主流と決別するグループのことをいう。このヘレニストはギリシャ語を話すというのが大きな特徴である。初期のエルサレム教会でギリシャ語を話すキリスト教徒なら誰でもヘレニストというのではない。バルナバとか、バルナバという人はギリシャ語を話す幹部だったようだが、ヘレニストとは簡単に言えないとことがある。また、パウロもギリシャ語圏の出身で、エルサレム教会のメンバーになるが、ヘレニストの立場にかなり近い感じもするが、やはりヘレニストだと簡単には言わないのが普通である。こうした例外を除けば、初期のエルサレム教会のメンバーでエルサレムにいる者たちでギリシャ語を話すのならば、基本的にヘレニストだと考えてよい。
5.教会内部の言語グループ
ペンテコステの出来事のエピソードとの関係で、使徒行伝の物語では、エルサレムの普通の共通語はギリシャ語であって、ペテロもギリシャ語で演説しているというふうに考えた。使徒行伝2章の物語に関するかぎり、これは間違っていないが、使徒行伝の物語全体を見ると、この原則がかならずしも一環いていないような感じのところがある。いすれにしてもペテロをはじめとする12人および周辺の者たちはヘレニストではない。簡単にいうと二つのグループが生じた。アラム語グループとギリシャ語グループである。
6.アラム語グループ
アラム語グループはエルサレム教会の主流である。指導的な集団は12人、12使徒と呼ばれる人たちで、その筆頭はペテロである。
7.ギリシャ語グループ
ギリシャ語グループがヘレニスト、指導的な集団は7人、その筆頭はステファノという人である。このヘレニストという存在は、エルサレムという町に限定された現象である。それからヘレニストというと新約聖書関係では、初期キリスト教の時代にいたキリスト教のヘレニストのことをさすのが普通であるが、ユダヤ教のヘレニストというべき人たちもエルサレムにいた、と考えられる。簡単にいうならば、まずユダヤ教のヘレニストがいてその中でペテロの活動と接してペテロたちの仲間になった。
8.キリスト教のヘレニスト
エルサレム教会のメンバーになったのが、キリスト教のヘレニストである。エルサレムは基本的にはアラム語の町である。ギリシャ語を話すユダヤ人が、ユダヤ教のヘレニストということでかなりの人数がエルサレムに住んでいた、ということになる。エルサレムは神殿の町だから前回も指摘したが、多くのユダヤ人が神殿への巡礼のためにエルサレムに来ている。ギリシャ語圏からの訪問者も多かった。しかし、巡礼者は短期滞在者であってエルサレムに住むのではない。しかし、ユダヤ教のヘレニストたちは、エルサレムに住んでしまっている者たちである。つまり、エルサレム以外のところに住んでいたのに、移住してきた人たちである。