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パスカルの代表作「パンセ」について 03 深淵 

2024-05-10 04:00:00 | パスカルが私たちに語りかけるもの
深淵

パンセ199-201

わたしたちは、広々とした中間の海を、つねに定めなく、

ただよいつつ、両方の端から端へと押しやられて、航海している。

どちらかの端に自分をつなぎとめ、落ち着きたいと思っても、

それはひと揺れして、わたしたちを離れ去る。

追いすがっても、わたしたちのためにとどまってくれるものは何一つない。

これがわたしたちにとって自然な状態なのだ。

・・・わたしたちは堅固な地盤と、

ゆるぎのない最後の土台とを見つけ出し、

そこに無限にまで高くそびえ立つ塔を築きたいと熱望している。

ところが、わたしたちの基盤はぐらっと揺れ、

大地は裂けて、深淵が口を開く・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

立花隆の名著「宇宙からの帰還」は、1983年に発行されていますが、

アメリカの有人宇宙開発に携わった宇宙飛行士たちを取材したものです。

アメリカでは1969年のアポロ11号のミッションによって、

ニーム・アームストロングが人類の歴史で初めて月面に降り立ち、

バズ・オルドリンがそれに続いきました。

「これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」

という語ったのですが、立花さんは、

宇宙船の外に放り出されたう闇の恐怖をこのように書きました。


・その時の何とも言えない気持ち悪さ

・光がなく、何もない

・私以外に何も存在していないという世界の気持ちの悪さ


つまり私たちを取り巻く宇宙は、完全で、

圧倒的な思い闇の内にあるということなのです。

しかし、私たちはほかのいろんなものに目くらましされ、欺かれて、

真の闇の恐怖を知らないのです。

パスカルはこれと同じかそれ以上にこの闇を知り、

その深淵に恐れ、震えあがる時が時々あったのです。

それがパンセにあるように

「ところが、わたしたちの基盤はぐらっと揺れ、大地は裂けて、

深淵が口を開く・・・」だったのです。


私たちは毎日の生活の中でそのような闇の深淵と戦うことなど

おそらくないでしょう。

しかもそのような考えたくもないかもしれません。

しかし、希望はあります。

パスカルを研究した日本の哲学者、森有正(注・01)の愛唱聖句は

詩編137編でした。

森はパスカルの深淵を書いたパンセは詩だといいます。

あの137のように私たちは神に希望を置くとき

深淵を越えた希望があるのです。


詩編
137:1 バビロンの流れのほとりに座り/シオンを思って、わたしたちは泣いた。

 137:2 竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。

 137:3 わたしたちを捕囚にした民が/歌をうたえと言うから/

わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして/「歌って聞かせよ、

シオンの歌を」と言うから。

 137:4 どうして歌うことができようか/主のための歌を、異教の地で。



森有正(注・01)
1911年11月30日 - 1976年10月18日)は、日本の哲学者、フランス文学者。父の森明は有礼の三男で、有馬頼寧の異父弟、キリスト教学者、牧師。母は伯爵徳川篤守の娘。祖母寛子は岩倉具視の五女。妹は世界平和アピール七人委員会の委員を務めた関屋綾子。1913年に洗礼を受けてクリスチャンとなり、6歳からフランス人教師のもとでフランス語、後にラテン語を学んだ。暁星小学校・暁星中学校から東京高等学校 (旧制)を経て1938年に東京帝国大学文学部哲学科を卒業(卒論は『パスカル研究』)、同大学院を経て東京帝国大学の特研生、副手、助手を歴任。傍ら東京女子大学や慶應義塾大学予科などで講師を務め、フランス思想・哲学史を講義した。旧制一高教授を経て、1948年東京大学文学部仏文科助教授に就任する。第二次世界大戦後、海外留学が再開され、その第一陣として1950年フランスに留学する。デカルト、パスカルの研究をするが、そのままパリに留まり、1952年に東京大学を退職しパリ大学東洋語学校で日本語、日本文化を教えた。(ウィキ)
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