バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

パスカルの代表作「パンセ」について 02 燃える火に出会ったパスカル 

2024-04-20 04:00:00 | パスカルが私たちに語りかけるもの
心の秩序
パンセ298


心には、心の秩序がある。精神にも秩序があり、

それは原理と証明による。

心は、それと別な秩序を持っている。

イエス・キリスト、聖パウロの持っているのは、愛の秩序であって、

精神の秩序ではない。

すなわち、彼らは熱を与えようとはしたが、教えようとはしなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この指摘は先回の「心で感じる取る」とは別のパスカルならではの

深い意味を持つものです。

何故かと言えば、イエス・キリスト、聖パウロに続いて、

聖アウグスティヌス(注・01)の名も出て来るからです。

まさにパスカルは聖書に誘発されて、聖書から出発し、

聖書を底まで「愛をもって」読み込んだパスカルの信仰に

私も大きな刺激を受けました。

つまりイエス・キリストの根幹をしっかりぶれずに把握して、

愛が円環状につながり、愛の中心部は明確につかみとられているのです。

これはこの世の愛とも宗教とも真逆だということになります。

それらすべては無秩序だからです。

そしてパスカルの秩序とは、

その中核がいささかもぶれていないことです。

つまりイエス・キリストへの愛がど真ん中に火のごとく燃え盛り、

そのまわりのものはすべて、この中心の火を指し示しているのです。

パスカルはそれを「象徴としての不完全な形態」といいますが、

キリストへの愛をさらに深めることが必要だと言います。

私たちは愛というものが何かを無神論的にとらえてはいないでしょうか。

つまり自己拡大、自己欲望の充足、願望などということなのですが、

パスカルの愛は、それらはいっさい必要としいてはおらず、

むしろそれらを「全て捨て去れ」と語るのです。

つまり自己をまったく無力化することでしかなく、

そこには必ず、痛みがともないます。

ズキズキどころか激しい痛みですが、

明け渡すことはそれをともなうことは必然なのです。

そこを通過するときに私たちは真に燃やされるのです。

パンセの中でパスカルは


1・燃やす

2・熱を与える

3・へりくだり


をすすめ、それ以上に愛は心を伝え、熱を伝え、高めててくれます。

しかし、それを受けるには傷を受けることを躊躇してはいけないのです。

1965年11月23日にパスカルはその火を見た事実があります。

そしてその火の熱さを伝えるためにパンセを書いたのです。

そうです。

私たちはパスカルを通して火に出会いましょう。

それはモーセが燃える柴で火に出会ったように・・・・。

私たちは、その火の召命を受けていきましょう。


出エジプト記
3:1 モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。
 3:2 そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。
 3:3 モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」
 3:4 主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、
 3:5 神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」
 3:6 神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。
 3:7 主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。
 3:8 それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。

聖アウグスティヌス(注・01)
354年11月13日 - 430年8月28日)は、ローマ帝国(西ローマ帝国)時代のカトリック教会の司教であり、神学者、哲学者、説教者。ラテン教父の一人。テオドシウス1世がキリスト教を国教として公認した時期に活動した。正統信仰の確立に貢献した教父であり、古代キリスト教世界のラテン語圏において多大な影響力をもつ。カトリック教会・聖公会・ルーテル教会・正教会・非カルケドン派における聖人であり、聖アウグスティヌスとも呼ばれる。日本ハリストス正教会では福アウグスティンと呼ばれる。母モニカも聖人である


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 韓国でのキリスト信徒急増の... | トップ | キリストの食卓 09 カナの... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

パスカルが私たちに語りかけるもの」カテゴリの最新記事